第10章「アレキサンダー」はこちら。
ものすごく久しぶりに「史劇を愉しむ」シリーズを。なんか、アラブやユダヤに関して考えさせられる作品にふれる機会が多かったので。
その最初に「グリーン・ゾーン」が描いたイラク戦争。史劇と呼ぶには近過去すぎるかな。でも、古くて新しい課題が満載なのだ。
わたしたちはあの2003年3月19日(日本では3月20日)の開戦を、カウントダウンのように待つという異常な(まったく、異常な)体験をした。
「大量破壊兵器をイラクが隠している」というアメリカの、というかネオコンたちの強弁には、当初から疑問の声があったけれどブッシュ(とブレア)は暴走。わたしたちはその爆撃をCNNの映像で見ていたわけだが、この映画のオープニングは爆撃される側の視点で描かれる。サダム・フセイン政権における高位の軍人や政治家は、イラクの再建のためには、自分たちの力が必要であると読んでいた。しかし米政府は前政権勢力を徹底的に払拭することを選択する。
大量破壊兵器をさがす軍人をマット・デイモンがいつものように愚直に演じている。ある筋の情報が確度が低すぎると疑問をいだいた彼は、ベテランCIAエージェントと組んで真相解明にのりだす。彼がつかんだ事実とは、安全地帯(グリーン・ゾーン)にいる米政府高官たちの陰謀と無能さだった……
「大量破壊兵器があったのにさがせなかった」と今でも思っている人は少ないだろう。問題は、たとえ大量破壊兵器がなかったのだとしても、アメリカ国民は(そして日本国民も)フセインを倒すためには仕方がなかったのだと思った点。この映画の鋭いところは、ラスト近くでマット・デイモンにこんなセリフを言わせていること。
「同じようなことがもう一度あったとき、誰がアメリカを信じてくれるんだ」
そしてラスト、そんな鋭さをも含めたアメリカへの痛烈な皮肉が(ある行動をとおして)イラク人によってかまされる。
「わたしの国のことを、君たちに決めてほしくない」
日常の軍務に戻ったマット・デイモンが乗る軍用車を追うカメラは上空に舞い上がり、その近くにあるオイル・プラントを映し出す。あの戦争が、はたして何のためにあったのかを観客に訴えるかのように。
しかし残念ながらジェイソン・ボーンシリーズで冴えを見せたポール・グリーングラス(名作「ユナイテッド93」も!)&マット・デイモンの訴えは、自国民にうまく訴求したとはいえない。なぜなら、これだけみごとな作品であったにもかかわらず、自国ではほとんどヒットしなかったのだ。図らずも『アメリカ人は自らが見たいストーリーしか見ない』ことを証明する結果となってしまった。惜しい。
第12章「栄光への脱出」につづく。