その頃のいなほにて①
上野~酒田間において、どの時点から庄内弁に切り替えるかは結構むずかしい。あまり意識し過ぎて無口になり、ほとんど地元に近づいてから隣の女性(結構落ち着いたOL風)に「どちらまでですか?」と声をかけたら「ホリヒロシだろ?」と返されて大恥をかいたことがある。高校の同級生だったのである。
その頃のいなほにて②
初めての帰省の時、隣に座ったのは友だちの披露宴に出席するために帰る秋田のOLだった。どえらい美人。女性がマニキュアを塗る姿を見るのは生まれて初めてだったのでいたく感動した。空き始めた車内で、東京における男女交際で気をつけなければいけないこと、を純朴な(笑)学生に懇切丁寧に教えてくれたのもこの人。師匠、ですな。
その頃のいなほにて③
昭和五十五年だか五十六年に、記録的な大雪に見舞われた。随分と遅れて酒田駅にたどり着いた私を、親父が迎えに来ていた。杖をついて。あー親父苦労かけるなあ、膝でも痛めたのか、と思ったら大間違い。「車、通らんね。」6㎞の道を歩いて来たのか!杖のもう一つの意味もわかった。道路が雪ですっかり隠れてしまったので、杖で雪を刺しながら、水路に落ちないようにしなければならなかったのである。すごい親子連れ。まるで砂の器(笑)。
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