学生の頃、まだ上越新幹線は建設中で、酒田市民である私は特急「いなほ」に乗り、新津~鶴岡経由で帰省するのが常だった。酒田~東京、じゃないや酒田~上野間の所要時間は約6時間。しまいにはお尻がじんじん痛んだものだが、年寄りに言わせれば、これでも「近ぐなたもんだー」ということだった。今は新潟乗り換えで4時間。近くなったもんだ。
対して新庄経由。極端な例を持ち出して恐縮だけれど、1980年のあたり、金がなくて特急料金が払えなかった私は、23時過ぎに出発する急行「出羽」(上越回り)に乗り込み帰省する算段だった。しかし当時から時間にルーズだったため、タッチの差で乗り遅れてしまう。呆然。大家にあいさつまでしてきた以上、恥ずかしくてアパートには帰れん。仕方なく猛然と時刻表をめくり(まさかそんなことが常態となる仕事に就くとは想像もしていなかった)、酒田にたどり着く方法を必死で模索した。んーよくわかんないけどとにかく乗り込め!
その結果……
・夜行で東北本線を北へ
・福島で奥羽本線に乗り換え
・県境のスイッチバックを“楽しみ”
・山形駅のホームで顔を洗い
・新庄駅で延々と陸羽西線との接続を待ち……
かくして酒田駅に着いたのは翌日の午後3時頃。ほぼ16時間をかけて帰省したのである。大旅行。逆に言えば、この道のりを3時間で結ぶ山形新幹線が実現したことが、いかに県民の熱意に裏打ちされた奇跡かを実感できる。ミニ新幹線方式を選択したことも圧倒的に正しかったし(赤字明白な長野や北陸にフル規格の整備新幹線を引っぱった政治屋の卑しさよ!)。
それでは果たして酒田は、この一種の奇跡を起こそうという熱意に溢れているだろうか。
残念ながら現状は……
・未だに政争の具に利用され
・昔ながらの(湯野浜の争奪戦のように)酒田と鶴岡の綱引き=Tug of warをやっていて
・おまけに大センセイ加藤紘一があの状態では(笑)……
※当時加藤紘一は秘書がらみのスキャンダルもあって謹慎中。関係ない話だけど上越新幹線はほんとうに雪に強い。ほとんどトンネルの中を走っているようなものだからね。
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