先日、ホップ組合の会議にいった折に、ある新聞記事の切り抜きを頂いた。
それは、私たちの御社であるAビール社の元社長樋口廣太郎氏の記事でした。樋口氏はA社のヒット商品「スーパードライ」の発売を決めた社長です。(昭和61年・・・26年前です)
私がホップ栽培を始めたころ(35年ほど前でスーパードライはなかった頃)、A社は、新しい商品を次々と発売するのだが、・・・・本当に売れなかったような記憶がある。
Kビール社の「ラガー」だけなぜか売れていた。A社のホップ栽培者も会社を応援しようと、組合でビールの箱買いを取りまとめた事を思い出す。一人で10ケース程の、まとめ買いも行った。その後もビールが売れずホップも過剰になり、ホップの減反も協力することになった。そんなニガイ思い出も・・・・・・・。
樋口社長が売り出した「スーパードライ」が、経営難の会社を救ってくれた。(シェア10%を切って業界4位目前だった)今もドライは、さらに味が進化し躍進している。
樋口さんは、会社を立て直した後、日本経済の再建の役も行った。(経済戦略会議議長)
偉大な伝説のリーダーに、A社もホップ栽培者も救われた事を生涯忘れる事はないでしょう。
それは、私たちの御社であるAビール社の元社長樋口廣太郎氏の記事でした。樋口氏はA社のヒット商品「スーパードライ」の発売を決めた社長です。(昭和61年・・・26年前です)
私がホップ栽培を始めたころ(35年ほど前でスーパードライはなかった頃)、A社は、新しい商品を次々と発売するのだが、・・・・本当に売れなかったような記憶がある。
Kビール社の「ラガー」だけなぜか売れていた。A社のホップ栽培者も会社を応援しようと、組合でビールの箱買いを取りまとめた事を思い出す。一人で10ケース程の、まとめ買いも行った。その後もビールが売れずホップも過剰になり、ホップの減反も協力することになった。そんなニガイ思い出も・・・・・・・。
樋口社長が売り出した「スーパードライ」が、経営難の会社を救ってくれた。(シェア10%を切って業界4位目前だった)今もドライは、さらに味が進化し躍進している。
樋口さんは、会社を立て直した後、日本経済の再建の役も行った。(経済戦略会議議長)
偉大な伝説のリーダーに、A社もホップ栽培者も救われた事を生涯忘れる事はないでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます