-畑沢通信-

 尾花沢市畑沢地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

あの峠の万年堂は「大日堂」でした

2016-07-28 20:51:40 | 歴史

 背中炙り峠には、乳母木地蔵堂の外に「乳母木地蔵堂」「湯殿山」「山神」と万年堂があります。万年堂とは単にその作り方のことを言っていて、神や仏の名を意味している言葉ではありません。それでは、万年堂は何を祀ったものでしょうか。その答えも青井法善氏の「郷土史之研究」に書いてありました。この書に、明治3年の寺院道社書上帳の記述があり、「大日堂 弐尺四面 施主 百姓」とあります。弐尺四面の大きさは、万年堂の屋根の大きさに合致します。この万年堂は「大日堂」で、大日如来を祀った祠だったのでしょう。

 

 しかし、祠の中の仏像は、鶏亀地蔵の形をしています。右手に錫杖を持った形ですが、錫杖は木製だったのでしょう。今は影形もなくなっています。左手には如意珠(にょいじゅ)という玉を持っています。風化も見られず、デザインも新しいようです。当初は大日如来を祀っていたのでしょうが、永い間に御神体がなくなって、別の御神体を祀った可能性があります。

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どうか神様、仏様 皆さんも御一緒に

2016-07-25 19:32:20 | 近況報告

 一昨日7月23日に第二種電気工事士の技能試験がありました。去年に続いて2回目の挑戦でした。実は私はリフォーム作業をやっています。大工仕事と左官仕事は自宅を工事するのに資格を必要としませんが、水道管工事や電気工事は例え自分の家でも無資格では作業できません。ところが、私は小さい時から電気が苦手です。中学の技術家庭の中で、希望者だけがラジオ制作を行うことができたのですが、その費用を出せずに作ることができませんでした。その時からずっと電気にはコンプレックスを抱いてきました。リフォームを自分で完成させたいという気持ちのほかに、死ぬまでにどうしても「電気コンプレックス」を克服したい気持ちがありました。昨年6月に筆記試験、7月に技能試験がありましたが、技能試験が散々な結果でした。山形県の会場に800人ほどが受験していて、課題の作品を完成できなかったのは私だけだったように見えました。要するに私だけが不合格だったように見えました。当然、落ち込んで「電気コンプレックス」は強まってしまいました。筆記試験に合格していると、もう一度、次の年も技能試験を受けることができるので、今年、再挑戦したわけです。今度はきちんと練習しました。昨年は解説書を見て、作業方法を理解できたと己惚れてしまいました。試験当日には、持て余した朝の時間に庭の草取りをしたところ、右手を百足(むかで)に刺されてしまいました。それでも、合格するだろうと思っていましたから、私は何という愚か者だったのでしょう。そして見事に「不合格」。試験結果は通知が来なくても分かっていました。何せ、課題の作品が全くの未完成でしたから。

 そこで、今回は徹底的に練習しました。理解できるだけでなく、「手際よく、間違わないで、確実に」できるようになりました。23日の試験では何回も練習した課題が出てきました。材料が配られた段階で、どんな課題であるかをほぼ完全に想像できましたので、問題用紙を開く前から作業の順序をイメージして頭の中で練習することができました。作業を開始しても、スムースに作業することができました。完成した時は、与えられた時間の半分程度が残っていたほどです。ああ、これでやっと合格できるかなと思ってしまいました。

 しかし、試験が終わって二日目になると不安が込み上げてきました。「人事を尽くして天命を待つ」などと言っている場合ではありません。「我に艱難辛苦を与えたまえ」などの気持ちもさらさらありません。ここはなりふり構わずに、神仏の御加護にすがるべきです。畑沢の神々に祈りたいと思います。「どうか、神様、仏様 私を助けてください」です。畑沢の神様と仏様に登場していただきますので、皆さんからも「どうか哀れな畑沢のスビタレを救い給え」とお願いしてください。

 それでは神様と仏様がご登場です。

 先ずは畑沢の一番と奥の「乳母木地蔵」さんです。背中炙り峠越え街道(古道)の峠にある地蔵です。ところで、「乳母木地蔵」と書きましたが、昭和2年に青井法善氏が著した「郷土史之研究」には、「姥地蔵」の文字もあります。

 次は同じ背中炙り峠にちょこんと鎮座している「山の神」さんです。手作り感のある可愛らしい神様です。

 同じく「山の神」さんですが、峠からずっと北の方に下ってきた上畑沢の小柴沢と山の神沢と間の丘で頑張っています。私の見立てでは、正学坊という山伏に所縁があると思っています。先達屋敷と田んぼや千鳥川を挟んで真向かいに位置しています。

 今度は中畑沢です。中畑沢では「関嶺様」と呼んでいますが、地蔵像です。関嶺(寒嶺)和尚の神通力にもお頼りいたします。ハハー。

 最後は女性っぽい下畑沢の「如意輪観音」さんです。仏さんですが、そのポーズから「歯痛の神様」とも言われています。「試験の神様」にもなってくれるでしょう。

 その他の神様、仏様どうかよろしくお願いします。皆さんも御一緒にお願いします。

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梅雨に逆戻り

2016-07-15 20:33:43 | 近況報告

 先日は梅雨が明けたと思うばかりに暑ーい青空が広がっていましたが、再び梅雨らしい天気に戻りました。畑沢の一番奥で、大平山にカメラを向けましたが、山腹から上の方は雲の中です。雲に隠れている辺りは、一面がブナの森です。ブナの葉に落ちた雨粒は、梢を通り幹に集まりながら、やがてふかふかの厚い腐葉土に吸い込まれていることでしょう。これが地下水となって、大平山の麓にある簡易水道水源池に流れて、畑沢の人達の喉を潤します。日本一美味しい畑沢の水です。

 何処の山も雨に濡れていますが、その中でもひと際大きな顔をしているのがミズキです。漢字で書けば「水木」ですから、この季節にぴったりの名前です。この木は、遠くからも識別できます。一つの梢から出た葉は、水平に広がります。何本もの梢がそれぞれ葉を拡げますので、特徴的な樹形を形成します。近年、旧正月に「団子刺し」をする風習がなくなり、「だんごぬぎ」としてミズキが枝を切られることがなくなりました。枝を十分に横に拡げられます。

 次の写真はオオマツヨイグサです。北米原産の帰化植物ですが、畑沢でもありました。私は畑沢で初めて見たような気がします。アルカリ性へ傾いた土壌に生えやすいということだったような気がします。畑沢ここだけがpHが上がっているのでしょうか。難しいことは分かりませんが、畑沢には不釣り合いな花です。

 最後の景色は、時代の流れを感じさせる風景です。畑沢でも自分では作業をできないので、耕地を貸している所が目立っています。借りる人は大規模に農業をやっている人たちです。大規模に農業をするには、いかに作業の手間を省くかが課題になります。作業の中で最も省力化されるのが、除草作業です。除草剤が使われて、畦が黒くなっています。TPPによって外国との競争が激化すれば、このような除草剤はもっともっと大量に使われることになります。米国をはじめとして、米国の農業を取り入れされた各国でこのような現象が見られているそうです。とある本に書いてありました。この写真の奥には、自分で農業をやっている田んぼが見えます。畦の草は、草刈り機で丁寧に刈られています。

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大変だあ、畑沢の地層が傾いているぞ

2016-07-12 19:34:56 | 自然

 松母の山の坂道に入る手前で立ち止まって西の方を見ますと、低い山の中腹が剥き出しになっている場所があります。昔から剥き出しになっているのですが、今は昔よりも木々が増えています。写真の右側が荒町方向で北になり、写真左側が畑沢方向で南です。山の裾には千鳥川が流れていて、山を浸食して剥き出しの斜面を作りました。

 この剥き出しの部分を拡大したのが下の写真です。中央部分の地層が右肩下がりになっていて、ここだけが固い地質でできているようです。地層が斜めになっているのは、私の撮影技術が稚拙だからではありません。長年の地殻変動による圧縮作用などにより地層が捻じれてしまったのです。「それは大変だ」と御心配には及びません。日本中の地層が捻じれているようなものですから、畑沢だけがこんなことになっている訳ではりません。捻じれて普通なのです。そして、私の根性曲がりも心配いらないのかもしれません。

 真面目に本題に戻ります。ちゃんとした地質図などを見ますと、畑沢全体の地層が南の方が高くなっています。この写真はそれを証明しているだけです。どんな力が加わってこんな姿になったのでしょうね。我が身に降りかかっていたいた諸々の圧力を思い出してしまいます。えっ!、「圧力は降りかかっていたのではなくて、振りかけていたのだろう」とおっしゃるのですか。それは誤解というものです。私はただ圧力に対する抵抗力があるだけですから。そして、それは畑沢で培われました。決して挫けない、この気持ちです。

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畑沢に大先輩の著書を届けてきました。

2016-07-11 20:16:22 | 近況報告

 畑沢の大先輩である青井法善氏が著した「郷土史之研究」については、先月の10日に投稿しました。古瀬K氏が貸して下さったのですが、同氏の御好意で複写をさせていただきました。3部複写し、一部は私が、あとの2部を畑沢の区長宅へ届けてきました。この本については、畑沢でも御存じの方がおられる様子も見られるのですが、大部分の方は御存じないようです。皆さんで読んでいただけるように、全戸に私の手紙を配布してきました。昼過ぎに畑沢を回ったのですが、殆どのお宅がお昼寝のようで、6人に会えただけでした。相手の都合も考えない「ふとどき」な訪問をしてしまいました。私も畑沢で農作業をした後は2時間は休んでいたはずです。

 各家へお手紙を配布するために、先ずは畑沢の最上部へ行きました。すると、車両通行止めの標識です。標識には村山市内の建設業者の名前が入っています。工事を請け負った業者の名前でしょう。道路は県道ですので、責任者は山形県です。請負業者の名前で建てる標識ではないはずです。通行止標識は山形県が責任を持って設置するべきです。どうも、責任の所在が分からない滅茶苦茶なやり方のような気がしますが、私の考えが可笑しいのでしょうかねえ。なお、背炙峠は9月末まで通れません。これを見ると、再び言いたくなります。工事をするほどに必要な道路ならば、必要な時にせめて片側交互通行でも確保すべきと思います。工事をするために道路があるのではありません。工事現場は村山市側かと思いますが、背炙峠の通行を必要とするのは尾花沢市側の住民です。村山市側の工事を確保するためには、通行止めとするほうが、やりやすいのでしょうが、畑沢をはじめとする尾花沢市側が不便を強いられています。尾花沢市長も抗議をすべきことと思います。

 梅雨でジメジメとした天気が続いていましたが、つかの間の晴天です。畑沢も「初夏」の日差しがぎらぎらと照り付けていました。大平山(宝沢山 ほうざやま)と立石山の緑が青空と白い雲をバックにして「生きているー」と叫んでいます。

 畑沢中が昼寝をしている静かな道を、市営の循環バスが来たかと思うと瞬く間に戻っていきました。バスも眠そうです。象さんと白鳥さんだけはバスの壁面ではしゃいでいます。

 田んぼは、すくすくと伸びているようです。葉が伸びて水面は見えなくなっています。

 下畑沢へ行くと、「向かい」地区の広い道路があります。巾が7mはあるようで、本道である県道と同じぐらいです。私は以前から何故、この様に幅が広いかが不思議でしたが、分かりました。何とここから五十沢側へ通じるトンネルの計画があったそうで、そのためにここまで幅を広く作ったそうです。この幅広い道はこの写真の少し奥まで作られていて、そこで突然に行き止まりになっています。トンネルを掘る前に小泉政権の時に中止になったのだそうです。なんか、峠もこれも滅茶苦茶です。税金を無駄遣いしないで、ビジョンを持ったしっかりとした計画を作って下さい。

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