陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「セルノグラツの狼」(前編)

2008-09-15 23:09:36 | 翻訳
今日からサキの第二弾 "The Wolves of Cernogratz" をお送りします。
原文は
http://haytom.us/showarticle.php?id=89で読むことができます。



「セルノグラツの狼」

(前編)

「この館には古い言い伝えみたいなものはないのかい?」コンラッドは妹に聞いた。ハンブルグで手広く商売をやっているコンラッドではあるが、いかにも現実的な一族のなかで、ただひとり、詩人の心を持っていたのだった。

 グルーベル男爵夫人は小太りの肩をすくめた。

「こういう古い地所にはどこにだって言い伝えはあるものよ。そんなもの、でっちあげるのはちっともむずかしくないし、お金だってかからないし。ここは館のだれかが死ぬと森の獣たちが一晩中遠吠えするらしいわ。そんなものを聞かされるのはぞっとするでしょうね」

「なんだか不気味だけどロマンティックな話だな」ハンブルクの商人が言った。

「ともかくね、そんな話は嘘っぱちよ」男爵夫人は得意げに言った。「わたしたちがここを買ってから、何も起こってないっていうのが何よりの証拠。お義母さまが去年の春に亡くなったとき、みんなで耳をすましていたんだけど、遠吠えなんか聞こえなかったもの。ただのお話。お金をかけずに館に箔をつけようとしてるのよ」

「言い伝えは奥様のお話どおりではありません」と言ったのはアマリーという白髪の家庭教師だった。だれもがあっけにとられてそちらを振りかえった。この家庭教師は常日頃、食事中も静かでつんととりすましていて、誰かが話しかけでもしないかぎりは、自分から口を開くこともない。また、わざわざ家庭教師ふぜいと話をしようという者もいなかった。それが今日に限ってにわかに雄弁になったのである。おどおどとした早口で、まっすぐ前を向いたまま、特にだれに対してというでもなく、話を続けたのだった。

「この館でだれかが亡くなったというだけで、遠吠えが聞こえるということはございません。セルノグラツ一族の者が館で亡くなろうというときに、狼は近隣から集まって来て、森のはずれでいまわの際に遠吠えを始めるのです。この界隈の森をねぐらにしている狼のつがいは、ふたつかみっつといったところでしょうが、森番の話では、そのときばかりはずいぶん大勢の狼が姿をあらわし、物陰をうろつきまわっては鳴き交わすのだそうです。狼の遠吠えが始まると、館や村や近在の農家の犬も怯えたり怒ったりして吠え出します。そうして、その人の魂が死にかけた体からとうとう離れていくとき、荘園の木が一本、めりめりと倒れるのです。そうしたことが起こるのは、セルノグラツ一族の者が、この館で死ぬときだけ。よそものがここで亡くなったところで、むろんのこと狼は遠吠えなどいたしませんし、立ち木が倒れることもございません。ええ、ほんとうに」

 最後の言葉を口にしたときの声には、つっかかるような、見下すといってもいいような響きがこもっていた。栄養の行きわたる、飾り立てた男爵夫人は、みすぼらしい年寄りじみた女をにらみつけた。ふだんは分相応にしているくせに、急にどうしたっていうの、あのぶしつけな物言いはいったい何よ。

「フォン・セルノグラツ家の言い伝えにずいぶんお詳しいのね、シュミット先生」とげとげしい声でそう言った。「学問がおありとはうかがってましたけれど、門閥のことにもお詳しいとは知りませんでした」

 アマリーが前触れもなくべらべらとしゃべり出したことをあてこすった男爵夫人だったが、その返事を聞いていっそう驚かされることになった。

「わたくしはセルノグラツ一族の出でございます」年老いた女が答えた。「だからこそ一族の言い伝えも知っております」

「フォン・セルノグラツ家の人だって? あなたが!」一斉に疑いの言葉が口にされた。

「一族が没落いたしましたせいで、わたくしはそこを出て、教師の仕事を始め、一緒に名前も変えました。この方がふさわしかろうと思ったのでございます。ですが、祖父は子供時代の大半をこの館で過ごしましたし、父もここの話はずいぶん聞かせてくれました。ですからもちろん一族の言い伝えやあれこれの昔話は存じております。何もかもを失って、残ったのは思い出だけ、ということになりますと、その思い出はことのほか大切に胸に抱くようになるものでございます。男爵様にお仕えするようになりましたとき、まさか昔一族の過ごした館へ来ることになろうとは夢にも思っておりませんでした。どこかほかの場所であれば、とずいぶん思ったものでございます」

 アマリーが言葉を切ると、座は静まりかえった。やがて男爵夫人が一族の歴史より、もっと差し障りのない話題を持ち出した。だが、その後、年寄りの家庭教師が静かに席を立ち、仕事に戻っていくと、みなはあざけったり、信じられないと言い合ったりしたのだった。

(この項つづく)

サキ「侵入者たち」後編

2008-09-14 21:34:15 | 翻訳
「侵入者たち」(後編)

 ウールリッヒは数分のあいだ黙ったまま、うなりをあげて吹きすさぶ風の音に耳を澄ましていた。考えが頭の中でゆっくりと形になろうとしていた。顔をゆがめて痛みと疲労を耐えようとしている男の方に目をやるたびに、その思いは強まるばかりだった。ウールリッヒ自身が痛みで気が遠くなりそうになりながら、昔からの憎悪が徐々に消えていくのを感じていた。

「お隣さんよ」やがてウールリッヒは声をかけた。「おまえのところの連中が先に来たら、おれのことはどうにだってしてくれればいい。約束は約束だ。だがな、おれは気が変わった。もしうちの衆が先に来たら、まずおまえを助けさせるぞ。おまえはうちの客人なんだからな。おれたちもこれまでずっと阿呆のように争ってきたが、それもたったこれっぽっちの森のためだったんだからな。ちょっと風が吹いただけでまっすぐ立ってもいられないような木が生えているような森なのに。こうやって今夜寝っ転がって考えてみると、おれたちはずっと馬鹿だったことに気がついたよ……人生には境界を越えたの越えないのと争うより、もっとましなことならいくらでもあるのにな。お隣さんよ、もしあんたが昔からの諍いを水に流してくれてもいい、と思ってくれるんなら、おれは……もしよかったら、おれの友だちになってもらえないだろうか」

 ゲオルク・ツネイムが長いあいだ黙ったままでいたので、ウールリッヒはもしかしたらやつは痛みのせいで気を失ったのかもしれない、と思ったほどだった。やがてゲオルクはのろのろと、うわごとのように言った。

「界隈じゃみんなびっくりして大騒するだろうなあ。もしおれたちが馬で一緒に市場へ入っていったら。もう生きちゃいないだろうさ、ツネイム家とフォン・グラッドヴィッツ家の人間が仲良く話しているところを見たことがあるようなやつは。おれたちがここで諍いをやめたら、森番連中もうまくやっていくんだろうな。おれたちが連中のいるところで手打ちをしても、文句を言うやつはいないだろう。よそから邪魔しに来るやつもいないしな……。大晦日のシルヴェスターのお祝いには、うちへ来てくれ。おれも何かの祝日には、おまえの館に招待してもらおう……。もうあんたの地所では銃は撃たない。あんたが狩りに呼んでくれたら別だがな。あんたもうちの沼地へは鴨を撃ちに来てくれよな。おれたちが手打ちをするとなりゃ、この地方で邪魔するやつなんていやしないさ。おれはこの先一生、あんたを憎むことになるとばっかり思っていたがな、考えが変わったんだ、三十分ほど前からな。そしたら、あんたがワインを飲めと言ってくれたんだ……ウールリッヒ・フォン・グラッドヴィッツ、おれたちは友だちだ」

 しばらくのあいだ、ふたりとも黙ったまま、この劇的な和解でどんなにすばらしいことが起こるだろう、と思いを巡らしていた。寒く暗い森の中、裸木のあいだを風がひゅうひゅうと吹きすぎる。ふたりは横たわったまま助けが来るのを待っていた。いまやどちらの家からでも来さえすれば、ふたりは助かるのである。だが互いに心の中で、自分の配下の者が先に来てくれるように、と祈っていた。そうすれば、何を置いても現在の友となったかつての敵に、心からの思いやりを示すことができるのだから。

 やがて、風が止んだとき、ウールリッヒが沈黙を破った。

「助けを呼ぼう」彼は言った。「風がおさまっているあいだなら、声が少しは向こうまで届くだろうし」

「木もやぶもあるから、どこまで聞こえるかわからないが」ゲオルクは言った。「とにかくやってみよう。声を合わせて。それ」

 ふたりは声を張り上げて、狩りの呼び声を長く引き延ばした。

「もういちどやってみよう」答える声を虚しく待つ数分が過ぎたところでウールリッヒは言った。

「風の音しか聞こえないな」ゲオルクの声は涸れていた。

 また沈黙が続いたが、やがてウールリッヒがうれしそうな叫び声をあげた。

「木の向こうからこっちへやってくる姿が見えるぞ。おれがおりてきた斜面をついてきたんだ」

 ふたりは声をかぎりに叫んだ。

「聞こえたみたいだ! 止まった。ああ、気がついたんだ。斜面を駆けおりてこっちへくる」ウールリッヒは大声をあげた。

「何人だ?」ゲオルクが聞く。

「はっきり見えないんだ」ウールリッヒは言った。九人か十人ぐらいだ」

「じゃあ、そっちの連中だな」ゲオルクが言った。「おれと一緒に来たのは七人だけだから」

「全力で走ってるな、元気のいいやつらだ」ウールリッヒはうれしそうに言った。

「あんたのところの森番だな?」ゲオルクは聞いた。「あんたのところの連中だろう?」ウールリッヒが何も言わないのにしびれを切らしたように、重ねて聞いた。

「ちがう」そう言うと、ウールリッヒは笑い出した。恐怖に度を失った者特有の、気でも違ったようなすさまじい声だ。

「誰なんだ」あわててゲオルクは尋ねると、見えない目を精一杯見開いて、誰も見たくはないそれを見ようとした。

「オオカミの群れだ」



The End

サキ「侵入者たち」中編

2008-09-13 22:33:55 | 翻訳
侵入者(中編)

 ちゃんと生きていることにほっとしつつも、身動きできない現状にいらだって、ウールリッヒの口から、敬虔な感謝の祈りと口汚い呪詛の入り交じる奇妙な言葉が漏れた。ゲオルクは流血が目に入るためにほとんど何も見えず、もがくこともやめて、しばらくそのせりふを聞いていたが、やがて短い、鼻先で嗤うような音を立てた。

「おっと、おまえは死に損なったようだな、くたばればよかったのに。まあ、動けないんじゃどうしようもないが」彼は怒鳴った。「あっさりとつかまっちまった。ハッハッ、お笑い草じゃないか、ウールリッヒ・フォン・グラッドヴィッツが盗んだ森の中で罠にかかるとはな。こういうのを本当の天罰と言うのだな!」

 そうしてあざけりと怒りをこめて、もう一度高笑いした。

「おれがいまいるのは、うちの森だ」ウールリッヒは言い返した。「うちの衆が助けに来てくれるのをどうせ待ってるんだろうが、隣の地所で密猟をしているところで動けなくなった、ってことがばれる羽目になるんだぞ。ざまはないな」

 ゲオルクはしばらく口をつぐんでいた。やがて静かに答えた。

「おまえはおまえのところの連中が助けてくれるまで生きているつもりらしいな? おれだって今夜、屋敷の者を連れてきてるんだぞ。おれのすぐ近くにいるんだ。先に助けに来るのは屋敷の者たちの方さ。ここに来てクソ枝からおれを引っ張り出したら、すぐにあのぶっとい幹をきさまの上に転がしていくなんざ、どんなにぶきっちょなヤツにだってできるんだ。おまえのところの連中が見つけるのは、倒れたブナの下敷きになってくたばってるきさまの死骸だ。世間の手前、おまえの一家には悔やみぐらいは送っておいてやるよ」

「いいことを教えてくれたな」ウールリッヒは噛みつくような声をだした。「うちの衆には十分経ったら追いかけてくるように言ってあるし、七分はもう経っただろうからな。うちの衆がおれを助けたあとは――教えてくれたことはしっかり覚えておくぞ。ただし、おまえはおれの地所で密猟中にくたばったことになるから、きさまの家には悔やみなんぞは届けないのが、礼儀かもしれんな」

「ふん、結構だ」ゲオルクが怒鳴った。「それもよかろう。死ぬまでやってやろうじゃないか、おまえとおれ、それから森番だけで、邪魔者一切なしだ。くたばりやがれ、ウールリッヒ・フォン・グラッドヴィッツ」

「同じことを言ってやろう、ゲオルク・ツネイム、このこそ泥めが」

 どちらもが相手を口汚くののしり、できる限りの打撃を相手に与えようとした。というのも、探し当てるか偶然見つけるかは定かではないが、ともかく配下の者たちが来るまでまだしばらくかかることはわかっていたのだ。しかも、どちらの一団が先にここにやってくるかは、運次第なのである。

 ふたりとも、自分たちを地面に叩きつけている大木から這い出そうと無駄にあがくことは断念していた。ウールリッヒはほんの少し自由になる腕を伸ばして、自分の上着の外側のポケットからワインの入ったフラスコを引っ張り出そうと、ぎりぎりの努力をした。その仕事がうまくいったので、今度はなんとか栓をゆるめて、自分の喉に流し込むという気の遠くなるような困難をやりとげなければならなかった。だが、なんとかぐわしいひとくちであったろう! 冬もまだ浅く、まだ雪もほとんど降っていなかったために、例年のこの時期に比べても、寒さは厳しくはなかった。それでもワインを飲めば温まり、傷を負った体にも生気がよみがえったような気がする。向こうに目をやると、倒れている自分の敵が、痛みと疲労からうめき声をあげそうになるのを歯を食いしばってこらえているのが目に入って、哀れさに胸を衝かれた。

「このフラスコをそっちへ放ったら、手を伸ばすことができるか」不意にウールリッヒは聞いた。「うまいワインが入ってる。ちょっとでも楽になれるのならそれに越したことはないからな。一杯やろうじゃないか。たとえ片方が今夜中に死ぬとしても」

「いや、いい。ほとんど何も見えないんだ。両目とも血で固まってしまってな」ゲオルクは答えた、「ま、何にせよ敵とワインなんぞ飲むのはごめんだしな」


(憎み合うふたりの男はどうなるのか。意外な結末は明日)

サキ「侵入者たち」前編

2008-09-12 23:04:54 | 翻訳
今日からサキの短篇をみっつほど選んで訳していきます。
第一回の今日は"The Interlopers" の前編です。
* * *
「侵入者たち」
by サキ


カルオアティア山脈の東に連なる尾根の雑木林のなかに、冬の晩、男がひとり、耳を澄まし、様子をうかがっていた。森の獣が視界に入ってくるのを、そののちに射程圏内に入ってくるのを待ちかまえている気配である。ところが彼が眼を光らせている獲物は、法の定めた猟期を知らせる狩猟カレンダーに載っていない生き物だ。ウールリッヒ・フォン・グラドヴィッツが暗い森のなかを求めて回っているのは、人間の敵だった。

 グラドウィッツ家の森は広大で、獲物も多かった。そのなかでもはずれに位置する崖に沿った林は、そこをねぐらにしている生き物も少なく、猟の獲物も限られていたのだが、当主である彼は、敷地のなかではどこよりも最も熱心に監視していた。あの評判をとどろかせた訴訟――祖父の代ではあったが――の末に、不法占拠していた隣のちっぽけな地主一家から、苦労したあげく取り戻した土地なのである。取り上げられた面々は、それから先も長きに渡って密猟したり争ったり、といった不祥事が続き、両家の関係は三代に渡って仲違いを続けていたのだった。

隣家との確執は、ウールリッヒが一族の当主になったころには、個人的な怨恨にまで成長していた。もしこの世に彼が心底憎み、不幸を願う相手がいるとすれば、それはゲオルク・ツナイム、争いを相続し、しぶとく密猟を続け、争点となっている敷地に不法侵入を続ける人物だった。もしふたりが個人的に相手に憎悪を抱いてなかったとしたら、この紛争ももしかしたら沈静化、ひょっとしたら和解さえあったかもしれない。ふたりは少年時代から相手の血に飢え、成人してからは相手に不幸がふりかかるのを祈った。そうしてこの風の荒れ狂う冬の夜、ウールリッヒは自分の配下の森番を集め、暗い森の中で、足の四本ある獲物を探す代わりに、境界を越えて足を踏み入れるであろう盗人どもを見張っていたのだった。いつもなら嵐のあいだは窪地に身を隠しているノロジカが、今夜は追い立てられたかのように駆けていたし、夜半は眠っているはずの生き物たちまでもが落ち着かなげに動き回っている。ウールリッヒには何ものかがやってくる方角がわかっていた。

 ほかの見張りは丘のてっぺんに張り込ませて、自分だけは彼らから離れて、急な斜面を密集した下生えをかきわけながら、ずいぶん下の方まで降りていき、幹の間に侵入者の姿が見えないか、吹きすさぶ風の音や、ぶつかりあう枝のざわめきに紛れて近寄る音は聞こえないかと、目を凝らし、耳をすませていた。この嵐の夜に、この闇のなかの寂しい場所で、ゲオルク・ツネイムに一対一、ほかに目撃者もなく出くわすかもしれない――それが彼の何よりの願いだった。そうして、ブナの大木の根元を回りこみ、一歩踏み出したところで、求める当の相手とばったり顔を合わせたのである。

 互い相手を敵と見なすふたりは、しばらく黙ったまま睨み合った。それぞれがライフルを手に持ち、胸を憎悪で焦がし、脳裏に真っ先に浮かんだのは殺意だった。半生を費やした激情を爆発させる機会が訪れたのだ。だが、文明社会の規範の支配下で成長した人間に、言葉もなく平然と隣人を撃つような度胸がすわっているわけではなかった。家庭を汚され名誉を傷つけられでもしないかぎりは。一瞬躊躇したのち行動に移そうとしたちょうどそのとき、自然の持つ破壊力がふたりともを打ちのめしたのである。恐ろしいうなりごえをあげた突風に答えるかのように、彼らの頭上で立木の裂ける音がした。そうしてふたりが飛び退く前に、ブナの大木が轟音とともに倒れかかってきたのだ。

ウールリッヒ・フォン・グラドヴィッツが気がついたときには、地面に倒れ、体の下になった腕の感覚はなかった。もう一方の腕は、きつくからまりあいながら枝分かれした木の下敷きになってほとんど動かすこともできない。脚は倒れた枝に釘付けにされている。重い狩猟用のブーツのおかげで、足をつぶされずにすんだが、致命的とはいえないまでも骨折していたために、誰かが助けに来てくれでもしなければ、そのまま身動きひとつできないことは明らかだった。落ちてきた小枝で顔を切っており、眼をしばたいて、まつげにたまった血のしずくを落とすと、彼にもやっと被害の全貌が見て取れた。傍らに、ふだんなら手を伸ばせば届く位置に、ゲオルク・ツネイムが倒れている。生きているらしくもがいているが、彼同様釘付けにされて動けないのは明らかだ。そこらじゅうに裂けた大枝や折れた小枝が降り積もっていた。

(この項つづく)

はかないもの、むなしいもの

2008-09-11 22:54:03 | weblog
大岡信の詩に「水底吹笛」(ところでこのタイトルはなんと読むのだろう)というものがあって、十代の頃、たいそう好きだった。詩人が十八歳の時の作品で、後の作品にくらべれば、その世界はわたしにも近づきやすかったのかもしれない。

そのなかに
うしなったむすうののぞみのはかなさが
とげられたわずかなのぞみのむなしさが

という一節があって、ほんとうにそうだなあ、何で手に入れられなかった望みにくらべて、手に入れた望みというのは虚しいのだろう、とよく考えたものだった。

ばくぜんと、ああなったらいい、ではなくて、そうなりたい、そうなるんだ、と決意して、そのために努力もする。それを達成するために時間も労力もかけ、ただひたすらにこいねがう。ところが手に入れてしまうと、とたんに色あせる。この詩を読んだ十代の頃でさえ、すでにそんな経験を何度か重ねていたのだ。

待っているあいだが楽しいんだ、と言っている人の話も聞いた。お祭りでもなんでも、その日になってしまえば、もうあとは終わるしかない。待っているときほど楽しいものはないのだ、と。
けれど、そういうのもなんだかちがうような気がした。それだとつぎに起こることを待っているだけで終わってしまうではないか。何かいいことはないかな、つぎ、またつぎ……というふうに。それはわたしにはあまり楽しいことのようには思えなかった。

とはいえ、たまに夢見たものを手に入れて、それが色あせない人もいる。ただ、そういう人を見ていて、それがそんなに幸せなのだろうか、と、最近思うようなことがあった。

先日、知り合いにこんな話を聞いた。知り合いの友人に、ドラマさながらの大恋愛をして結婚した人がいるのだそうだ。まさに理想の人と巡り会い、しかもその理想の人と相思相愛の仲になり、あれやこれやありつつも、めでたくゴールインした。

そうしてその人は、こんどは所帯じみないように、懸命の努力をしているのだそうだ。いつまでも最初の「ドキドキ感」を忘れないようにして、さまざまな記念日にはお祝いを忘れないのだとか。

その人はなんだかんだ彼女を家に呼んでは、結婚式の写真だの旅行の写真だのを見せたり、買ってもらったものを見せたりするのだそうだ。断るとなんだかそれを妬んでいるようにかんぐられて、それも心外だし、かといって誘いに応じるのもいいかげんうんざりだ、どうしたものか、というのだった。

飾り立てたショー・ルームのような家というのは、そうやって日本経済に貢献しているところはすばらしいと思うのだが、ずぼらなわたしから見れば、話を聞いているだけで疲れそうな毎日だ。恋愛は非日常だが結婚したらずっぽりと日常である。所帯じみればいいような気がするのである。

とはいえ、そういう人はときどきいる。たとえば必要もないのに、自分の出身大学を言わずにはいられない人だって同じことだ。なかにはセンター試験(年代によっては共通一次試験)の得点を教えてくれる人もいる。大学を卒業して何年経ったの? と聞きたくなりもするのだが、そういう人にとっては××大合格や、「センターで数学と英語と世界史で満点取ったこと」が、その人が「夢見たのちに、手に入れたもの」であって、どれだけ歳月を経ても、色あせない宝物なのだろう。

ところでロール・プレイングゲームというのがあって、わたしはやったことはないのだが、人がやっているのを端で見たことがある。
あれは、最終的に大ボスを倒すのが目的なのだが、そこに行く前の要所要所に「中ボス」というのがいて、それを倒しながら、徐々に主人公のレベルをあげていくのである。

小説の章構成のように、その段階ではその中ボスを倒すことが最大の目標である。そのためにいろいろのアイテムをそろえたり、小さな謎を解いたりしなくてはならない。それでも中ボスを倒してしまえば、主人公はつぎの章に入っていく。

わたしはこれは人間の成長のアレゴリーになっているのだなあ、だからこのゲームが楽しいんだろうなあと見ていて思ったのだった。

つまり、あらゆる望みは「中ボスを倒すこと」なのである。
中ボスを倒してしまえば、主人公は別のステージに入っていかなければならない。

ところが、たまにその「中ボスを倒したこと」が自分のなかで「かけがえのない宝物」になってしまうと、その人は新しいステージに入っていけなくなってしまう。その「かけがえのない宝物」を眺め、くもらないように、色あせないように磨くことがその人の仕事になってしまう。

「とげられたわずかなのぞみ」はむなしくなればいい。そんなものは手放してしまえばいいのだ。だからこそ、わたしたちは次に進めるのだから。

大岡信の詩はこう続く。
あすののぞみもむなしかろうと
ふえにひそんでうたっているが
ひめますのまあるいひとみをみつめながら
ひとときのみどりのゆめをすなにうつし
ひょうひょうとふえをふこうよ
くちびるをあおにぬらしてふえをふこうよ

更新情報書きました

2008-09-10 22:56:48 | weblog
H.G.ウェルズは以前にも「H.G.ウェルズとタイムマシン」で書いたことがあるのだが、大変に洞察力のある人だった。『アシモフの雑学コレクション』にも「H.G.ウェルズは千九百十四年の小説のなかで、原子兵器について書き、それを原子爆弾と呼んだ」と出てくるが、その洞察力には舌を巻く。

ところでそのウェルズの処女作である『タイムマシン』には未来人が出てくる。
未来人は小柄で優雅でみな美しい。優しく、子供のようにあどけなく、「耳や口は非常に小さく、薄い唇は燃えるような紅色で、顎の先は細い。大きい柔和な眼には、気のせいかもしれないのだが、ぼくの期待していた知的好奇の光はないようである」(『タイム・マシン 他九篇』橋本槙矩訳 岩波文庫)という外見である

実際彼らは優しく、人なつこく、子供っぽい。すぐに疲れてしまい、怠け者で、物事に無関心なのである。なにしろ未来社会は平和な共産主義社会で、生活は安定し、自然は征服されてしまった。人類は何ら野心を抱かず、労働の必要もなく、男女の区別もなくなっている。その彼らを脅かす生き物もいるのだが、それはここでの話とはちょっとずれるので、興味がある方は本を読んでみてください(ただ、わたしの手元にある岩波文庫はかならずしも逐語訳ではなく、省略も多いので、別のところから出ている方がいいかもしれません)。

ウェルズ描くところの未来人が、そのような姿であるのも理由がある。
「人間の力は困窮から生まれるのだが、社会の安定は脆弱を生む。人類は社会改革と生活安定のための努力を続け、ついに最高の地点に到達した。人間は次から次へと自然を征服していった。現在は夢にすぎないことが、実現された。」

理想状態に到達した人類はもはや変革を望まない。そこで満ち足り、穏やかで、優しく、子供のようになってしまったというのである。

理想というのは、手が届かないところにあるからこそ理想であることを思うと、どれほど科学技術が進歩を遂げても、理想はその先にあるように思う。だから、「未来人」がもはや野心を抱かないかというと、それは疑問であるように思う。

一方で、ウェルズの未来人と現代人の類似点を見つけることも容易であることもまた確かなのである。
できればこれは当たってほしくない方の予言なのだが……。

更新情報も書きました。

昔と今と

2008-09-09 09:00:38 | weblog
昨日、ネロの話を探して『アシモフの雑学コレクション』をひっくりかえしていたら、おもしろいのをみつけた。
紀元前二八〇〇年ごろの、古代アッシリアの粘土板にある文。
「世も末だ。未来は明るくない。賄賂や不正の横行は、目にあまる」
 それから二千年後の、ソクラテスの言。
「子供は、暴君と同じだ。部屋に年長者が入ってきても、起立もしない。親にはふてくされ、客の前でもさわぎ、食事のマナーを知らず、足を組み、師にさからう」
 プラトンは、自分の弟子について。
「最近の若者は、なんだ。目上の者を尊敬せず、親に反抗。法律は無視。妄想にふけって、街であばれる。道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる」
アイザック・アシモフ『アシモフの雑学コレクション』星新一編訳 新潮文庫)

わたしが学生のとき、デパートの催事場の手芸コーナーの販売のバイトをしたことがある。催事場期間だけの、確か、一週間の短期のバイトだった。

手芸コーナーというのは楽なもので、お客さんというのも日に十人前後、それも中高年の時間のたっぷりありそうな人ばかりで、わたしのバイト史のなかでも、「楽なバイトランキング」を選ぶとしたら、まちがいなく一位の座に輝くのは、このときの経験だろう。

初日とつぎの日の午前中ぐらいはデパートの正社員の人が来ていたが、それからあとは、始業時間と閉店時間に顔を出すぐらい、わたしと、もうひとり別の大学の、こちらは上級生で、このデパートでは何度もバイトしたことがあるという女の人がふたりだけ。客が少ないばかりではなく、上司に気を遣わなくてすむという意味でも、夢のような売り場なのだった。

初日、臨時社員証と名札を渡された。それにはあらかじめ「安藤」という聞いたことのない名前が書いてある。バイトのお姉さんに聞くと、「安全のためにこういうふうになってるみたいよ。変な人に名前を覚えられたら困るから」と教えてくれた。個人情報保護などという思想もまったくないころではあったが、デパートは自衛のためにそういうことをしていたのだろう。いまは逆にどこでも名前の入ったパスを胸元にぶらさげているが、あれは本名なのだろうか、と、ときどきそのときのことを思い出す。

この臨時「安藤さん」に、デパートの奥にはそこで働く人専用の食堂があって、臨時社員証を見せると、ずいぶん安い値段でおいしい昼食が採れることを教えてくれたのも、そのバイトのお姉さんだった。生協の会員割引どころのさわぎではない、確か、二百円台できちんとしたランチが食べられるのである(しかも学食よりはるかにおいしい)。何人もの人の手を渡ったことがあきらかな、ビニールのパスケースもよれよれの臨時社員証を返さずにはすむ手だてはあるまいか、と、おそらく誰もが考えるようなことをわたしも考えた。

五日目ぐらいに、通りかかったお客さんにミシンの糸の値段をたずねられて、いままで自分が売っていた値段(そこにある札に書いてある)答えたところ、「あんたな、それ、ナイロンの糸の値段え、絹はそんな値段やおへんえ」と上品なおばあさんに指摘されてしまった。わたしのずさんな脳には「ミシン糸」というくくりしかなかったのだが、確かに見てみると、「絹百パーセント」と麗々しく書いてあるのと、「伸縮性・柔軟性にすぐれたナイロン糸」の二種類がある。値段を書いたポップが立っているのは、ナイロン糸の箱のところで、隣の箱には小さな小さな値段シールが、ナイロン糸の三倍ほどの価格を表示してこっそりと張ってあった。

その前にも二度ほどミシン糸を売った記憶はあったのだが、いったいどちらだったのだろう。少ない売り上げに、わたしはいったいどれだけの打撃を与えてしまったのだろう。ちょっと背中を冷や汗が流れたが、何食わぬ顔で「あ、そうでしたね、××円いただきます」と返事をして、絹の方をお買いあげいただいた。

日に数人訪れる客の相手をする以外、特にすることもない。商品整理といったところで、手に取る人も来ないのだから、一度してしまえばそれで大丈夫なのである。商品の台の奥に立っている時間が多かった。立っているだけでバイト代が入るのだ。なんぼでも立っている、ぐらいの気分だったのだろう。

ところが暇だったのは手芸コーナーばかりではなく、隣の健康食品コーナーもずいぶん暇だったらしい。そこの主任、この人もおそらくデパートの正社員だったように思うのだが、中年の男性がしょっちゅう雑談に来ていた。最初は顔見知りだったらしいバイトのお姉さんのところに来ていたのだが、わたしが自分の出た大学の学生だとわかって、どうやら親近感を覚えたらしい。回遊魚のようにふらりと回ってきては、回遊魚らしからぬ仕草で立ち止まって、大学の頃の話をするのである。

その人が学生時代を過ごしたのは七十年代、学生の政治意識は高く、政治集会や抗議デモが毎日のように行われたのだそうだ。こんなことは知らないだろう、とさまざまな「闘争」の話を教えてくれ、たいていの話はおもしろく聞くわたしなのだが、なんだかちっともおもしろくない話で、わたしはいつも退屈だった。

昔の学生は政治意識も高かった。デモをやる、というと、それだけで大勢の学生が集まった。それにくらべていまはどうだ。君なんかはデモに参加したこともないだろう、と言うのである。
「あの頃は君らみたいなふつうの女子学生が、お茶やお花の稽古に行く途中、当たり前のようにデモに参加してたんや」

だからわたしは
「七十年代って『お茶やお花の稽古』がまだそんなに一般的な時代だったんですか? だれでもやるようなことだったんですか?」と聞いてみたところ、相手はいやな顔をして、どこかに行ってしまった。わたしとしては、十分礼儀は尽くしたつもりだったのだが(含嘘)、正直、その話にうんざりしていたということもある。まあ、ほんとうは「だから(それがどうしたって言うんですか)?」と言いたかったのだが、それを言わなかっただけでもわたしの自制心は褒めるに値するのではあるまいか(でもないか)。

それでうまいことその「元学生活動家」を撃退できたかどうか記憶はない、相変わらずその人はやってきて似たような話をしていたような気もするのだが、彼にしてみれば、単に思い出話がしたかっただけではなく、政治意識の低い「いまどきの学生」にがまんならない思いというのはあったのだろう。そうしたところに、日頃の思いをぶちまける格好の相手として、わたしが現れたというわけだ。

「最近の××は……」という言葉は、実によく耳にする言葉だ。このあいだは小学生が、最近の小学生はムシキングも知らない、と怒っていたのを聞いたが、おそらく自分を「ある世代」として抽象化する能力をもつ年代に入るとすぐ、人間というのは「自分の世代」とその下との比較を始めるのだろう。

自分の上にも「世代」はあり、その「世代」が自分の年の頃にも何かをやっていただろう、ということは、頭ではわかっても、実際に眼で見ることはできないから、比較することはできない。自分が体験したこともない、することもない過去の話は、そういうことがあったと聞いても、興味も持てないし、何ら価値を感じることができない。

だが、自分がやってきたことを、自分の下の世代が、興味も持たないでいると、自分たちの世代がバカにされたように感じる。なんでそんなおもしろいことを(価値のあることを)やろうとはしないんだ、関心を払わないんだ?
そこで、「こんな楽しいことがあるぞ」と教えてやる。ところが下の世代は、そんな過去の話など興味を持たない。耳を傾けてもくれないとわかった彼は考える。あいつらはバカだ。

ところで、目の前にリンゴがふたつあるとする。どちらが大きいかわかりますね?
そのふたつのリンゴを、自分から等距離に置いて、それぞれに見比べてみたらいいのだ。

では、あなたの目の前に、よく似た背格好の人がいる。その人とあなたとどちらが身長が高いかわかります? 立って並んでみたわけでもない。お互いすわっていたりすると、実際の身体の大きさなど、相当の差がないかぎり、実際にはわからないはずだ。つまり、比較というのは、ふたつのものをならべて、自分から等間隔に置いて、同じ条件のもとに比較観察しなくては実際のところはよくわからないのだ。

いまと過去を比べてどちらが良いか、の比較は、ふたつのリンゴを比べるようにはできない。わたしたちはその両方から身を引き離して、歴史的な傍観者となることはできない。つまり、いま実際に生きているわたしたちに、過去と現在の比較はできないのだ。

自分がやって楽しかったことは、自分にとって重要なことだ。自分の一部を作り上げているとも言えるような経験は、かけがえのないものだ。だが、それをやったことのない人にとっては、単なる「出来事A」に過ぎない。同じように受け取ってほしい、といったところで、無理な話だ。それを、そうしてくれないから、と「最近の若者は、なんだ」と言うなんて、プラトンさんも心が狭いよ、という気がするのである(たぶんプラトンが言っているのはそういうことではないのだろうが)。

ここでわたしはカズオ・イシグロの『日の名残』を思い出す。執事のミスター・スティーヴンズはかつての日々を懐かしむ。すばらしいダーリントン卿との日々を思い返しながら、彼はやがて自分は当時、ほんとうのことを見ることを避け、自分が見たいことだけを見ていたことに気がつく。そうすることで過去の欺瞞に気づくだけでなく、その結果として導かれた「現在」に気づくのだ。だが、彼は悲痛に満ちた自己認識で告白を終わることはない。最後に彼は「いま」の主人に何が求められているかに気づく。未来に自分を合わせようとする。

ミスター・スティーヴンズの回想は、わたしたちにできる時間との最上のつきあいなのかもしれない。

一番バカげているのは、そういう過去の話を聞いて「ああ、きっと昔は良かったんだろう、いまはそれにくらべてなんだ」と、自分の手に取ることもできない「過去」を夢想しながら、現在をけなして、結局のところ、何もしないことだろう。

いまはとんでもない時代、ひどい時代と言われているが、大丈夫。
紀元前二千八百年から人はそう思ってきたのだから。


(※昨夜書いていたらどうも終わらなくて、今日になっちゃいました)

自慢する人、される人

2008-09-07 22:56:33 | weblog
先日電車に乗っていたら、後ろの席の話し声がいやにやかましかった。

英語では話しかけのなかにかならずといっていいほど、相手の名前や相性、さらにもっと親しければ、ダーリンだのスイートハートだのという呼びかけが差し挟まれるのだが、日本語はあまりそういうことをしない。だから翻訳するときも、うるさくなるようであれば、こっそり落としたりすることもある(そこら辺の判断はむずかしいのだが)。

ところがそのときの会話は、日本語にはめずらしく、相手への呼びかけが連呼されるのだった。
「そうですね、部長、部長のおっしゃるとおり、××は○○でございますよね、部長……」という具合である。
しかもその声が、うわずりがちなところといい、押しの弱そうなところといい、TVの『サザエさん』に出てくるマスオさんそっくりで、そのマスオさんの声質と「部長」「部長」の連呼がぴったりとはまって、わたしはおかしくなってしまったのだった。

最初はそんな感じでマスオさんの声ばかりが聞こえていたのだが、やがて「部長」の声、押しの強い声が聞こえてきた。深い音声だが、タバコを吸う人独特の荒れたところもある。長年のヘビースモーカーにちがいない。その「部長」は最近買ったゴルフクラブの話をし始めたのである。どこ製のウェッジがどうした、どこ製のアイアンはネックの形状がどうのこうの(はなはだ頼りない記憶をもとに書いているので、おかしなことを書いているかもしれないのだが)、と、まあ自慢すること自慢すること。ゴルフが接待などでよく使われる理由の一端が見当がついたような気がした。ゴルフクラブもそれだけあれば、蘊蓄の披露もしがいがあるというものだ。

それにしても、シチュエーションコントでもあるまいに、こんなステレオタイプの会話を実際にする人がいるとは、わたしも驚いてしまったのだが、「自慢」というのは、力関係の誇示なのだなあ、と改めて感じたのだった。

対等な関係で、一方が最近買ったものの自慢を始めれば、聞き手も負けじと自分の持ち物の自慢をする。片方が自分の仕事の成果の自慢を始めれば、もう一方も過去の成果、現在の成果、それがなければ今後の見込みを話し始める。実際にはかみ合っているというより、単に自慢の応酬に過ぎなくても、自分の話を聞かせようと思えば、形の上だけでも相手の話を聞いてやらなければならない。カラオケに行っても同じことだ。頭の中は、つぎに何を歌うかで一杯でも、相手が歌い始めれば、拍手もし、耳を傾けもしなくてはならない。

それをしなければ、「人の話を聞かないやつ」「自分のことしか考えないやつ」というレッテルが張られてしまう。

ところが対等ではない関係の自慢話というのは、力がある側は、このくらいにしておこうか、とか、こんなに自慢するとイヤなやつだと思われるのではなかろうか、とかという遠慮もなく、好きなだけ(かどうかは人によるが)垂れ流すことができる。いや、そういうことができるのが、権力があるということなのだろう。

こう考えてみれば、わたしたちが他人の自慢話にうんざりしてしまうのも、自分の自慢をついしてしまうのも、たまに調子に乗ってやりすぎてあとで後悔してしまうのも、その理由がはっきりしてくる。話題にしているのは、ゴルフクラブや、自分に言い寄ってきた男の子の数や、バイクで難所をツーリングした経験の話であっても、言わんとしているのは、ゴルフクラブの知識を備えている自分の知性や財力、自分の魅力、自分の運転技術の誇示、まとめてしまえば「オレ(わたし)ってスゴイんだぜ~」ということなのである。

聞かされる側は、「自分の優位」を誇示する相手の前に、「自分の劣位」を感じずにはいられない。しかも力関係において相手がまさっていれば、自分の方が優れている点を主張することもできない。二重の意味での屈辱を味わわされることになってしまうのである。

このふたりの話を聞きながら、わたしはその昔『アシモフの雑学コレクション』で読んだ話を思い出していた。
ローマ時代、ネロが皇帝になってから、ぜひやりたかったことは、大勢の前での独唱だった。何回かのレッスンのあと、ナポリで初演をした。あいにく地震が起こり、ネロは歌いつづけたが、聴衆の多くは逃げてしまった。
 べつなコロシアム(野外劇場)での公演では、出口に人員を配置し、外出を防止した。そのため、なかでの出産が何件か発生した。あまりの退屈さに、壁を乗り越えて逃げた男もいた。利口な三人は、堂々と外へ出た。一人が死んだふりをし、あとの二人が運んで、出口を通った。
(アイザック・アシモフ『アシモフの雑学コレクション』星新一編訳 新潮文庫)

自慢話をやり過ごす最前の方法は、「あまりの退屈さ」から逃れる方法を考え出すことかもしれない。


(※ゆふさん、おもしろいコメントありがとうございました。
ちょっと調べてみたいことがあるので、それからレスします。わかるかどうか、わからないのだけど)

便利なもの、不便なもの (続き)

2008-09-06 23:03:08 | weblog
ともかく、いまの世の中が昔に比べて格段に便利になったことはまちがいない。

以前、キャンプに行ったとき、かまどに火をおこすところから料理をやったことがある。割り木を積んだ上に、一枚ずつ丸めた新聞紙の玉をいくつものせて、まずそれに火をつけるのだ。木に火がつくまでがなかなか大変で、そのとき生まれて初めて「火吹き竹」なるものも使った。やがて赤々と燃えだした火は美しく、それを見ているだけで楽しい経験だったが、火を鑑賞するだけで終わるわけもない。そこから大鍋に野菜や肉をぶちこんでビーフシチューを作ったのだが、湯を沸かすだけで一苦労で、煮込むからといって弱火にするのも簡単なことではない。夏のことで全身汗だく、しかも軍手をした手はすすまみれ、終わるころにはぐったり疲れてしまっていた。キャンプならいざしらず、毎日の仕事であれば、晩ご飯ひとつ作るのがどれほど大変なことだったか、ガスコンロのない時代のことがしのばれたのだった。だが、いまやこの「不便」は、わざわざお金をかけて求める経験なのである。

便利なものは、確かに日常を便利にしてくれるが、楽しくしてくれるものではない。もちろん、新しい電化製品を買った当初は楽しいが、じきそれにも慣れてしまうと、もはや何の感動もなくなる。

だからこそ、人は不便を求める。キャンプばかりではない。釣りにせよ、登山にせよ、多くのレジャーは「不便」を求めるものだ。そういうときの「不便」は「楽しい」。ふだん、風呂の水を入れて、と母親から頼まれて、蛇口をひねることさえ面倒がって、ぶうぶう言う子供が、そういうときなら水汲みだろうが、薪割りだろうが嬉々としてやるだろう。

なぜか。
それは、ふだんの料理をしたり、風呂の水を入れたり、風呂を沸かしたり、ということは、日常を回していく段取りのひとつではあっても、行動の目的ではないからだ。
ところが晩ご飯の支度に火をおこすところから二時間、三時間かかるとすると、晩ご飯を作ることだけで、夕方の大仕事になってしまう。それから食事をすませ、食器を洗い、後かたづけまですませてしまえば、時間も労力もとられるが、その時間は満たされる。

キャンプに行けば、夕食づくりは一大イヴェントだ。言葉を換えれば、古い時代を擬似的に体験しているともいえる。古い時代ならあたりまえの過ごし方でも、いまのわたしたちにとっては新鮮な体験だ。

ところがスーパーでお総菜を買ってくるとしよう。それをひろげ、食事をすませ、たとえ片づけたとしても、時間も労力もかからない。今度はそこで残った時間を、別のことで満たさなくてはならない。行動の目的を、自分で見つけてやらなければならなくなるのだ。それをTVを見るなどして漫然と埋めてしまえば、ああ、今日も一日が過ぎてしまった……ということになる。

ところがTVを見ても、雑誌を見ても、さらに「便利」を謳った商品があふれている。その「便利」を手に入れるために、わたしたちは、いまの「便利」で空いた時間を埋めようとするのだ。その結果、わたしたちはどんどん忙しくなってくる。

さて、いまから97年前、この「便利さ」に警鐘を鳴らした人物がいる。
開化の潮流が進めば進むほど、また職業の性質が分れれば分れるほど、我々は片輪な人間になってしまうという妙な現象が起るのであります。言い換えると自分の商売がしだいに専門的に傾いてくる上に、生存競争のために、人一倍の仕事で済んだものが二倍三倍乃至四倍とだんだん速力を早めておいつかなければならないから、その方だけに時間と根気を費しがちであると同時に、お隣りの事や一軒おいたお隣りの事が皆目分らなくなってしまうのであります。こういうように人間が千筋も万筋もある職業線の上のただ一線しか往来しないで済むようになり、また他の線へ移る余裕がなくなるのはつまり吾人の社会的知識が狭く細く切りつめられるので、あたかも自ら好んで不具になると同じ結果だから、大きく云えば現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだと評しても差支ないのであります。

それ以前の時代なら、ひとりの人間がなんでも自分でやらなければならなかった。ところが社会的分業が進むに連れ、人は自分の専門以外は何もわからなくなってしまう、というのである。それを漱石は「不具」と呼ぶ。
現今のように各自の職業が細く深くなって知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば、吾人は表面上社会的共同生活を営んでいるとは申しながら、その実銘々孤立して山の中に立て籠っていると一般で、隣り合せに居を卜(ぼく)していながら心は天涯にかけ離れて暮しているとでも評するよりほかに仕方がない有様に陥って来ます。これでは相互を了解する知識も同情も起りようがなく、せっかくかたまって生きていても内部の生活はむしろバラバラで何の連鎖もない。ちょうど乾涸びた糒(ほしい)のようなもので一粒一粒に孤立しているのだから根ッから面白くないでしょう。人間の職業が専門的になってまた各々自分の専門に頭を突込んで少しでも外面を見渡す余裕がなくなると当面の事以外は何も分らなくなる。また分らせようという興味も出て来にくい。それで差支ないと云えばそれまでであるが、現に家業にはいくら精通してもまたいくら勉強してもそればかりじゃどこか不足な訴が内部から萌して来て何となく充分に人間的な心持が味えないのだからやむをえない。

便利を求めた結果、「孤立」して「根ッから面白くない」状態にいることになってしまう。

ここで漱石は文学を読むことで、ほかの人間に対する興味を抱くことができ、ほかの人びとともつながることができる、という「処方箋」を書いてみせる。

だが、おそらくこれは「文学」に限ることではないだろう。漱石は「道楽」という言葉でそれを呼んでいるが、「楽しみ」と呼んで差し支えはないだろう。

単に時間を埋めるような「楽しみ」ではない。もっと日々の「目的」になるような「楽しみ」。自分がそのなかで「できる」ことが増え、上達できるような。時間をかけて、楽しみ続けるような。

だから、「道楽者」になろう。