陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「物置部屋」(中)

2008-09-20 22:22:57 | 翻訳
(中)

 ニコラスにはひどくずさんな理屈のように思えた。罰を受けることとスグリの果樹園に入っていくことは、完璧に両立可能であるように思われる。彼の顔に、いかにもきかん気らしい表情が浮かんだ。伯母さんには、まちがいなくスグリの植え込みに入るつもりでいるらしい、それも「いけないと言われた」という「だけ」の理由で、というニコラスの決意が手に取るようにわかった。

 ところで、スグリの果樹園には入り口が二箇所あって、一方から入ると、ニコラスのような背の低い人間は、アーティチョークやラズベリーの枝、果物の低木の陰にすっぽりと入り込んで、見えなくなってしまうのだ、そこで伯母さんは、午後からいろいろ用事があるにもかかわらず、一時間か二時間、花壇や植え込みに陣取って、たいして必要もない庭仕事に精を出した。それもひとえに、禁断の園に通じる二箇所の入り口に目を光らせていることができるためである。伯母さんはあまり知恵のある方ではなかったが、集中力にかけてはすばらしいものを持っているのだ。

 ニコラスは一、二度、表の庭へ出ていくと、いかにも人目をはばかっているというように、あっちとこっち、両方の入り口をそわそわとのぞきに行ったが、伯母さんの油断のない目は一瞬たりとも欺くことはできない。ほんとうのところはスグリの果樹園に入るつもりなど毛頭なかったのだが、伯母さんにはそう思わせておくと、これほど都合の良いことはないのだ。そう信じてくれるから、伯母さんも午後のほとんどの時間を、見張り番という役目を遂行してくれるのだから。

伯母さんの懸念をしっかりと裏付け、確固たるものにしておいてから、ニコラスはそっと家に忍びこんで、かねてより胸の内に暖めていた計画を、さっそく実行に移すことにした。書斎の椅子に乗れば手が届く棚の上に、分厚い、いかにも大切そうな鍵が置いてある。見かけ通り、実際に大切な鍵なのである。これは物置部屋の秘密を守り、許可なく詮索しようとする者を締めだすためのものなのだから。そこに入って良いのは伯母さんたちを初めとする特権階級の人びとだけである。

ニコラスは、鍵を鍵穴に差しこんで回して開けるという経験があまりなかったから、数日間に渡って、教室のドアで鍵を開ける練習を積んで置いた。幸運だの偶然だのを、あまり信用しないことにしているのだ。鍵を差しこむと、錠は固かったが、なんとか回すことができた。扉が開き、ニコラスは見たこともない世界へ足を踏み入れた。ここに比べれば、スグリの果樹園にどれほどの価値があろう。単に物質的な楽しみに過ぎないではないか。

 これまで何度も何度も、ニコラスは物置部屋のなかがどうなっているのだろうと頭の中に思い描いてきた。子供たちの目から慎重に隠し、何を聞いても返事は返ってこないあの場所は。

そこは彼の期待していた通りだった。第一に、そこは大きくて薄暗い、高いところに窓がひとつ――その窓が面しているのは、例の禁断の庭である――、それがただひとつの明かり取りである。第二に、そこには想像したこともないような宝物がしまいこまれていた。自称伯母さんときたら、物というのは使えば痛むと考えて、埃と湿気に任せることを保存と呼ぶ手合いのひとりなのである。家の中のニコラスがあきあきするくらい知っている場所などは、殺風景で陰気なのに、ここには目を楽しませるすばらしいものがいくつもある。

まずなによりも、枠に収められたタペストリーで、どうやら暖炉の前に置く衝立てらしい。だがニコラスにとって、それは、生きている、まさに息づいている物語にほかならなかった。彼はくるくると巻いた、埃の下から鮮やかな色がうかがえるインド織りの壁掛けに腰を下ろして、タペストリーに綴られた絵を、すみずみまでじっくりと眺めた。はるか昔の時代の狩猟服を着た男がひとり、たったいま、鹿を矢で射止めたところだ。鹿はほんの一歩か二歩しか離れていないので、射るのは難しいことではなかっただろう。絵には、密集した茂みも描かれているので、草をはんでいる鹿のそばにも、簡単に忍び寄ることができたのだ。ぶちの犬が二匹、一緒になって追いかけようと、いまにも飛び出しそうになっているのだが、どうやら矢が放たれるまで、主人についていくように訓練されているらしい。絵のその部分は、おもしろいことはおもしろいが、ごくありきたりなものだった。だが、この猟人は、ニコラスが気がついているように、四頭のオオカミが森を抜けて自分の方へひた走ってくるのに気がついているのだろうか? もしかしたら、四頭だけでなく、木立の陰にもっといるのかもしれない。いずれにせよ、四頭のオオカミに襲われれば、猟人と犬は切り抜けることができるのだろうか。矢筒に矢はもう二本しか残っていないし、片方、いや、両方し損じてしまうかもしれないのだ。わかっているのはただ、彼の腕というのは、大きな鹿を滑稽なほど近い距離から射ることぐらいなのだ。ニコラスはこの情景がどうなっていくのか、さまざまに思いめぐらして、すばらしいひとときを過ごした。オオカミは四頭なんかではすまないんじゃないだろうか。だからこの男と犬は、追いつめられてしまうのだ。

(この項つづく)