陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「侵入者たち」前編

2008-09-12 23:04:54 | 翻訳
今日からサキの短篇をみっつほど選んで訳していきます。
第一回の今日は"The Interlopers" の前編です。
* * *
「侵入者たち」
by サキ


カルオアティア山脈の東に連なる尾根の雑木林のなかに、冬の晩、男がひとり、耳を澄まし、様子をうかがっていた。森の獣が視界に入ってくるのを、そののちに射程圏内に入ってくるのを待ちかまえている気配である。ところが彼が眼を光らせている獲物は、法の定めた猟期を知らせる狩猟カレンダーに載っていない生き物だ。ウールリッヒ・フォン・グラドヴィッツが暗い森のなかを求めて回っているのは、人間の敵だった。

 グラドウィッツ家の森は広大で、獲物も多かった。そのなかでもはずれに位置する崖に沿った林は、そこをねぐらにしている生き物も少なく、猟の獲物も限られていたのだが、当主である彼は、敷地のなかではどこよりも最も熱心に監視していた。あの評判をとどろかせた訴訟――祖父の代ではあったが――の末に、不法占拠していた隣のちっぽけな地主一家から、苦労したあげく取り戻した土地なのである。取り上げられた面々は、それから先も長きに渡って密猟したり争ったり、といった不祥事が続き、両家の関係は三代に渡って仲違いを続けていたのだった。

隣家との確執は、ウールリッヒが一族の当主になったころには、個人的な怨恨にまで成長していた。もしこの世に彼が心底憎み、不幸を願う相手がいるとすれば、それはゲオルク・ツナイム、争いを相続し、しぶとく密猟を続け、争点となっている敷地に不法侵入を続ける人物だった。もしふたりが個人的に相手に憎悪を抱いてなかったとしたら、この紛争ももしかしたら沈静化、ひょっとしたら和解さえあったかもしれない。ふたりは少年時代から相手の血に飢え、成人してからは相手に不幸がふりかかるのを祈った。そうしてこの風の荒れ狂う冬の夜、ウールリッヒは自分の配下の森番を集め、暗い森の中で、足の四本ある獲物を探す代わりに、境界を越えて足を踏み入れるであろう盗人どもを見張っていたのだった。いつもなら嵐のあいだは窪地に身を隠しているノロジカが、今夜は追い立てられたかのように駆けていたし、夜半は眠っているはずの生き物たちまでもが落ち着かなげに動き回っている。ウールリッヒには何ものかがやってくる方角がわかっていた。

 ほかの見張りは丘のてっぺんに張り込ませて、自分だけは彼らから離れて、急な斜面を密集した下生えをかきわけながら、ずいぶん下の方まで降りていき、幹の間に侵入者の姿が見えないか、吹きすさぶ風の音や、ぶつかりあう枝のざわめきに紛れて近寄る音は聞こえないかと、目を凝らし、耳をすませていた。この嵐の夜に、この闇のなかの寂しい場所で、ゲオルク・ツネイムに一対一、ほかに目撃者もなく出くわすかもしれない――それが彼の何よりの願いだった。そうして、ブナの大木の根元を回りこみ、一歩踏み出したところで、求める当の相手とばったり顔を合わせたのである。

 互い相手を敵と見なすふたりは、しばらく黙ったまま睨み合った。それぞれがライフルを手に持ち、胸を憎悪で焦がし、脳裏に真っ先に浮かんだのは殺意だった。半生を費やした激情を爆発させる機会が訪れたのだ。だが、文明社会の規範の支配下で成長した人間に、言葉もなく平然と隣人を撃つような度胸がすわっているわけではなかった。家庭を汚され名誉を傷つけられでもしないかぎりは。一瞬躊躇したのち行動に移そうとしたちょうどそのとき、自然の持つ破壊力がふたりともを打ちのめしたのである。恐ろしいうなりごえをあげた突風に答えるかのように、彼らの頭上で立木の裂ける音がした。そうしてふたりが飛び退く前に、ブナの大木が轟音とともに倒れかかってきたのだ。

ウールリッヒ・フォン・グラドヴィッツが気がついたときには、地面に倒れ、体の下になった腕の感覚はなかった。もう一方の腕は、きつくからまりあいながら枝分かれした木の下敷きになってほとんど動かすこともできない。脚は倒れた枝に釘付けにされている。重い狩猟用のブーツのおかげで、足をつぶされずにすんだが、致命的とはいえないまでも骨折していたために、誰かが助けに来てくれでもしなければ、そのまま身動きひとつできないことは明らかだった。落ちてきた小枝で顔を切っており、眼をしばたいて、まつげにたまった血のしずくを落とすと、彼にもやっと被害の全貌が見て取れた。傍らに、ふだんなら手を伸ばせば届く位置に、ゲオルク・ツネイムが倒れている。生きているらしくもがいているが、彼同様釘付けにされて動けないのは明らかだ。そこらじゅうに裂けた大枝や折れた小枝が降り積もっていた。

(この項つづく)