陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

昔と今と

2008-09-09 09:00:38 | weblog
昨日、ネロの話を探して『アシモフの雑学コレクション』をひっくりかえしていたら、おもしろいのをみつけた。
紀元前二八〇〇年ごろの、古代アッシリアの粘土板にある文。
「世も末だ。未来は明るくない。賄賂や不正の横行は、目にあまる」
 それから二千年後の、ソクラテスの言。
「子供は、暴君と同じだ。部屋に年長者が入ってきても、起立もしない。親にはふてくされ、客の前でもさわぎ、食事のマナーを知らず、足を組み、師にさからう」
 プラトンは、自分の弟子について。
「最近の若者は、なんだ。目上の者を尊敬せず、親に反抗。法律は無視。妄想にふけって、街であばれる。道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる」
アイザック・アシモフ『アシモフの雑学コレクション』星新一編訳 新潮文庫)

わたしが学生のとき、デパートの催事場の手芸コーナーの販売のバイトをしたことがある。催事場期間だけの、確か、一週間の短期のバイトだった。

手芸コーナーというのは楽なもので、お客さんというのも日に十人前後、それも中高年の時間のたっぷりありそうな人ばかりで、わたしのバイト史のなかでも、「楽なバイトランキング」を選ぶとしたら、まちがいなく一位の座に輝くのは、このときの経験だろう。

初日とつぎの日の午前中ぐらいはデパートの正社員の人が来ていたが、それからあとは、始業時間と閉店時間に顔を出すぐらい、わたしと、もうひとり別の大学の、こちらは上級生で、このデパートでは何度もバイトしたことがあるという女の人がふたりだけ。客が少ないばかりではなく、上司に気を遣わなくてすむという意味でも、夢のような売り場なのだった。

初日、臨時社員証と名札を渡された。それにはあらかじめ「安藤」という聞いたことのない名前が書いてある。バイトのお姉さんに聞くと、「安全のためにこういうふうになってるみたいよ。変な人に名前を覚えられたら困るから」と教えてくれた。個人情報保護などという思想もまったくないころではあったが、デパートは自衛のためにそういうことをしていたのだろう。いまは逆にどこでも名前の入ったパスを胸元にぶらさげているが、あれは本名なのだろうか、と、ときどきそのときのことを思い出す。

この臨時「安藤さん」に、デパートの奥にはそこで働く人専用の食堂があって、臨時社員証を見せると、ずいぶん安い値段でおいしい昼食が採れることを教えてくれたのも、そのバイトのお姉さんだった。生協の会員割引どころのさわぎではない、確か、二百円台できちんとしたランチが食べられるのである(しかも学食よりはるかにおいしい)。何人もの人の手を渡ったことがあきらかな、ビニールのパスケースもよれよれの臨時社員証を返さずにはすむ手だてはあるまいか、と、おそらく誰もが考えるようなことをわたしも考えた。

五日目ぐらいに、通りかかったお客さんにミシンの糸の値段をたずねられて、いままで自分が売っていた値段(そこにある札に書いてある)答えたところ、「あんたな、それ、ナイロンの糸の値段え、絹はそんな値段やおへんえ」と上品なおばあさんに指摘されてしまった。わたしのずさんな脳には「ミシン糸」というくくりしかなかったのだが、確かに見てみると、「絹百パーセント」と麗々しく書いてあるのと、「伸縮性・柔軟性にすぐれたナイロン糸」の二種類がある。値段を書いたポップが立っているのは、ナイロン糸の箱のところで、隣の箱には小さな小さな値段シールが、ナイロン糸の三倍ほどの価格を表示してこっそりと張ってあった。

その前にも二度ほどミシン糸を売った記憶はあったのだが、いったいどちらだったのだろう。少ない売り上げに、わたしはいったいどれだけの打撃を与えてしまったのだろう。ちょっと背中を冷や汗が流れたが、何食わぬ顔で「あ、そうでしたね、××円いただきます」と返事をして、絹の方をお買いあげいただいた。

日に数人訪れる客の相手をする以外、特にすることもない。商品整理といったところで、手に取る人も来ないのだから、一度してしまえばそれで大丈夫なのである。商品の台の奥に立っている時間が多かった。立っているだけでバイト代が入るのだ。なんぼでも立っている、ぐらいの気分だったのだろう。

ところが暇だったのは手芸コーナーばかりではなく、隣の健康食品コーナーもずいぶん暇だったらしい。そこの主任、この人もおそらくデパートの正社員だったように思うのだが、中年の男性がしょっちゅう雑談に来ていた。最初は顔見知りだったらしいバイトのお姉さんのところに来ていたのだが、わたしが自分の出た大学の学生だとわかって、どうやら親近感を覚えたらしい。回遊魚のようにふらりと回ってきては、回遊魚らしからぬ仕草で立ち止まって、大学の頃の話をするのである。

その人が学生時代を過ごしたのは七十年代、学生の政治意識は高く、政治集会や抗議デモが毎日のように行われたのだそうだ。こんなことは知らないだろう、とさまざまな「闘争」の話を教えてくれ、たいていの話はおもしろく聞くわたしなのだが、なんだかちっともおもしろくない話で、わたしはいつも退屈だった。

昔の学生は政治意識も高かった。デモをやる、というと、それだけで大勢の学生が集まった。それにくらべていまはどうだ。君なんかはデモに参加したこともないだろう、と言うのである。
「あの頃は君らみたいなふつうの女子学生が、お茶やお花の稽古に行く途中、当たり前のようにデモに参加してたんや」

だからわたしは
「七十年代って『お茶やお花の稽古』がまだそんなに一般的な時代だったんですか? だれでもやるようなことだったんですか?」と聞いてみたところ、相手はいやな顔をして、どこかに行ってしまった。わたしとしては、十分礼儀は尽くしたつもりだったのだが(含嘘)、正直、その話にうんざりしていたということもある。まあ、ほんとうは「だから(それがどうしたって言うんですか)?」と言いたかったのだが、それを言わなかっただけでもわたしの自制心は褒めるに値するのではあるまいか(でもないか)。

それでうまいことその「元学生活動家」を撃退できたかどうか記憶はない、相変わらずその人はやってきて似たような話をしていたような気もするのだが、彼にしてみれば、単に思い出話がしたかっただけではなく、政治意識の低い「いまどきの学生」にがまんならない思いというのはあったのだろう。そうしたところに、日頃の思いをぶちまける格好の相手として、わたしが現れたというわけだ。

「最近の××は……」という言葉は、実によく耳にする言葉だ。このあいだは小学生が、最近の小学生はムシキングも知らない、と怒っていたのを聞いたが、おそらく自分を「ある世代」として抽象化する能力をもつ年代に入るとすぐ、人間というのは「自分の世代」とその下との比較を始めるのだろう。

自分の上にも「世代」はあり、その「世代」が自分の年の頃にも何かをやっていただろう、ということは、頭ではわかっても、実際に眼で見ることはできないから、比較することはできない。自分が体験したこともない、することもない過去の話は、そういうことがあったと聞いても、興味も持てないし、何ら価値を感じることができない。

だが、自分がやってきたことを、自分の下の世代が、興味も持たないでいると、自分たちの世代がバカにされたように感じる。なんでそんなおもしろいことを(価値のあることを)やろうとはしないんだ、関心を払わないんだ?
そこで、「こんな楽しいことがあるぞ」と教えてやる。ところが下の世代は、そんな過去の話など興味を持たない。耳を傾けてもくれないとわかった彼は考える。あいつらはバカだ。

ところで、目の前にリンゴがふたつあるとする。どちらが大きいかわかりますね?
そのふたつのリンゴを、自分から等距離に置いて、それぞれに見比べてみたらいいのだ。

では、あなたの目の前に、よく似た背格好の人がいる。その人とあなたとどちらが身長が高いかわかります? 立って並んでみたわけでもない。お互いすわっていたりすると、実際の身体の大きさなど、相当の差がないかぎり、実際にはわからないはずだ。つまり、比較というのは、ふたつのものをならべて、自分から等間隔に置いて、同じ条件のもとに比較観察しなくては実際のところはよくわからないのだ。

いまと過去を比べてどちらが良いか、の比較は、ふたつのリンゴを比べるようにはできない。わたしたちはその両方から身を引き離して、歴史的な傍観者となることはできない。つまり、いま実際に生きているわたしたちに、過去と現在の比較はできないのだ。

自分がやって楽しかったことは、自分にとって重要なことだ。自分の一部を作り上げているとも言えるような経験は、かけがえのないものだ。だが、それをやったことのない人にとっては、単なる「出来事A」に過ぎない。同じように受け取ってほしい、といったところで、無理な話だ。それを、そうしてくれないから、と「最近の若者は、なんだ」と言うなんて、プラトンさんも心が狭いよ、という気がするのである(たぶんプラトンが言っているのはそういうことではないのだろうが)。

ここでわたしはカズオ・イシグロの『日の名残』を思い出す。執事のミスター・スティーヴンズはかつての日々を懐かしむ。すばらしいダーリントン卿との日々を思い返しながら、彼はやがて自分は当時、ほんとうのことを見ることを避け、自分が見たいことだけを見ていたことに気がつく。そうすることで過去の欺瞞に気づくだけでなく、その結果として導かれた「現在」に気づくのだ。だが、彼は悲痛に満ちた自己認識で告白を終わることはない。最後に彼は「いま」の主人に何が求められているかに気づく。未来に自分を合わせようとする。

ミスター・スティーヴンズの回想は、わたしたちにできる時間との最上のつきあいなのかもしれない。

一番バカげているのは、そういう過去の話を聞いて「ああ、きっと昔は良かったんだろう、いまはそれにくらべてなんだ」と、自分の手に取ることもできない「過去」を夢想しながら、現在をけなして、結局のところ、何もしないことだろう。

いまはとんでもない時代、ひどい時代と言われているが、大丈夫。
紀元前二千八百年から人はそう思ってきたのだから。


(※昨夜書いていたらどうも終わらなくて、今日になっちゃいました)