陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「侵入者たち」後編

2008-09-14 21:34:15 | 翻訳
「侵入者たち」(後編)

 ウールリッヒは数分のあいだ黙ったまま、うなりをあげて吹きすさぶ風の音に耳を澄ましていた。考えが頭の中でゆっくりと形になろうとしていた。顔をゆがめて痛みと疲労を耐えようとしている男の方に目をやるたびに、その思いは強まるばかりだった。ウールリッヒ自身が痛みで気が遠くなりそうになりながら、昔からの憎悪が徐々に消えていくのを感じていた。

「お隣さんよ」やがてウールリッヒは声をかけた。「おまえのところの連中が先に来たら、おれのことはどうにだってしてくれればいい。約束は約束だ。だがな、おれは気が変わった。もしうちの衆が先に来たら、まずおまえを助けさせるぞ。おまえはうちの客人なんだからな。おれたちもこれまでずっと阿呆のように争ってきたが、それもたったこれっぽっちの森のためだったんだからな。ちょっと風が吹いただけでまっすぐ立ってもいられないような木が生えているような森なのに。こうやって今夜寝っ転がって考えてみると、おれたちはずっと馬鹿だったことに気がついたよ……人生には境界を越えたの越えないのと争うより、もっとましなことならいくらでもあるのにな。お隣さんよ、もしあんたが昔からの諍いを水に流してくれてもいい、と思ってくれるんなら、おれは……もしよかったら、おれの友だちになってもらえないだろうか」

 ゲオルク・ツネイムが長いあいだ黙ったままでいたので、ウールリッヒはもしかしたらやつは痛みのせいで気を失ったのかもしれない、と思ったほどだった。やがてゲオルクはのろのろと、うわごとのように言った。

「界隈じゃみんなびっくりして大騒するだろうなあ。もしおれたちが馬で一緒に市場へ入っていったら。もう生きちゃいないだろうさ、ツネイム家とフォン・グラッドヴィッツ家の人間が仲良く話しているところを見たことがあるようなやつは。おれたちがここで諍いをやめたら、森番連中もうまくやっていくんだろうな。おれたちが連中のいるところで手打ちをしても、文句を言うやつはいないだろう。よそから邪魔しに来るやつもいないしな……。大晦日のシルヴェスターのお祝いには、うちへ来てくれ。おれも何かの祝日には、おまえの館に招待してもらおう……。もうあんたの地所では銃は撃たない。あんたが狩りに呼んでくれたら別だがな。あんたもうちの沼地へは鴨を撃ちに来てくれよな。おれたちが手打ちをするとなりゃ、この地方で邪魔するやつなんていやしないさ。おれはこの先一生、あんたを憎むことになるとばっかり思っていたがな、考えが変わったんだ、三十分ほど前からな。そしたら、あんたがワインを飲めと言ってくれたんだ……ウールリッヒ・フォン・グラッドヴィッツ、おれたちは友だちだ」

 しばらくのあいだ、ふたりとも黙ったまま、この劇的な和解でどんなにすばらしいことが起こるだろう、と思いを巡らしていた。寒く暗い森の中、裸木のあいだを風がひゅうひゅうと吹きすぎる。ふたりは横たわったまま助けが来るのを待っていた。いまやどちらの家からでも来さえすれば、ふたりは助かるのである。だが互いに心の中で、自分の配下の者が先に来てくれるように、と祈っていた。そうすれば、何を置いても現在の友となったかつての敵に、心からの思いやりを示すことができるのだから。

 やがて、風が止んだとき、ウールリッヒが沈黙を破った。

「助けを呼ぼう」彼は言った。「風がおさまっているあいだなら、声が少しは向こうまで届くだろうし」

「木もやぶもあるから、どこまで聞こえるかわからないが」ゲオルクは言った。「とにかくやってみよう。声を合わせて。それ」

 ふたりは声を張り上げて、狩りの呼び声を長く引き延ばした。

「もういちどやってみよう」答える声を虚しく待つ数分が過ぎたところでウールリッヒは言った。

「風の音しか聞こえないな」ゲオルクの声は涸れていた。

 また沈黙が続いたが、やがてウールリッヒがうれしそうな叫び声をあげた。

「木の向こうからこっちへやってくる姿が見えるぞ。おれがおりてきた斜面をついてきたんだ」

 ふたりは声をかぎりに叫んだ。

「聞こえたみたいだ! 止まった。ああ、気がついたんだ。斜面を駆けおりてこっちへくる」ウールリッヒは大声をあげた。

「何人だ?」ゲオルクが聞く。

「はっきり見えないんだ」ウールリッヒは言った。九人か十人ぐらいだ」

「じゃあ、そっちの連中だな」ゲオルクが言った。「おれと一緒に来たのは七人だけだから」

「全力で走ってるな、元気のいいやつらだ」ウールリッヒはうれしそうに言った。

「あんたのところの森番だな?」ゲオルクは聞いた。「あんたのところの連中だろう?」ウールリッヒが何も言わないのにしびれを切らしたように、重ねて聞いた。

「ちがう」そう言うと、ウールリッヒは笑い出した。恐怖に度を失った者特有の、気でも違ったようなすさまじい声だ。

「誰なんだ」あわててゲオルクは尋ねると、見えない目を精一杯見開いて、誰も見たくはないそれを見ようとした。

「オオカミの群れだ」



The End


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
侵入者たち (kkt_2008)
2008-09-18 03:29:02
翻訳を楽しませてもらっています。本当に偶然なんですが、こちらでも同じ時期に、同じものを訳していました。題名は仲直りした二人の仲をひきさくもの(おおかみ)って意味で、侵入者たちって訳はふさわしくないと思うんですがいかがでしょうか? こちらでは「じゃまもの」くらいに軽い訳にしてますが・・・
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偶然ではなかったですね (kkt_2008)
2008-09-18 03:33:04
ゆうさんって方がこちらでもリクエストをかけていました。まぁでもネットで読める翻訳がふえることはいいことですね。
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境界を越えるもの (陰陽師)
2008-09-18 06:58:13
kkt_2008さん、初めまして。

>ゆうさんって方がこちらでもリクエストをかけていました

思わず笑ってしまいました。
なんとなくサキは学校ではやらないと思っていたのですが、考えてみればわたしもサキを知ったのは高校のテキストが初めてだったわけで、O.ヘンリーなどと並んで、高校のテキストには手頃なものなのかもしれません。

いつも思うんですけどね、先生だって検索を使うんです(笑)。怒られなきゃいいけど。

まあ、サキに関しては、これからも少しずつ訳していくつもりでいますので、いいことにしておきましょう。

タイトルの[The Interlopers] に関しては、わたしは「掛詞」だと解釈しています。
もちろんこれは解釈なので、人それぞれだと思うんです。

ともあれわたしはこんなふうに考えました。
フォン・グラドヴィッツ家からみれば、ツナイム家は「侵入者」です。そうしてウールリッヒが見回りに立ったのも、この「侵入者」を捕らえようとしての行為だったわけです。

読者はまずこのタイトルを与えられて読み進み、ゲオルク・ツネイムの情報を得て、「侵入者」とは彼のことである、と理解するはずです。

だからこそ、ほんとうの侵入者、ふたりの和解に「侵入」(物語の終了時点では、単に「侵入」するにとどまっています)してきたのがだれだったか知る。

この「ああ、そうだったのか」という意外な感じを出そうと思って、このタイトルに決めたんです。

検索してみたら、やっぱり訳者によっていろいろですねえ。わたしは未見なんですが、ちくま文庫版は「邪魔立てする者」になってるみたいですね。

あと、もう一点気をつけたのは、これはドイツ系の物語なので、名前の発音もいろいろ調べてドイツ語の発音にできるだけ近いカタカナ表記をあてはめようとしているのですが、いま見返してみたら、ところどころぶれていました(笑)。
その昔、ガダマーの訳を「ゲオルグ・ガダマー」とやったことがあります。濁るか濁らないかとか、二重母音の処理とか、ドイツ語は厄介ですね。
ツネイムももしかしたら、ちょっとちがうかもしれません。つぎの「セルノグラツ」も、検索したらCernoという声楽家が「セルノ」と表記されていたので、これでまあいいか、と思ったんですが。

またそのうち、全体に手を入れて、サイトにアップしようと思っています。
もしよろしければ、サイトの方ものぞいてみてください。ご意見、うかがえたら幸いに思います。

書きこみありがとうございました。
またよろしく。
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おっしゃることはよく分かります (kkt_2008)
2008-09-18 14:47:59
コメントありがとうございます。

おもわぬ依頼での出会いの副産物があって、楽しくなってしまったので、もう少し書かせてください(とくに論争とかそういうことを目的にしてるわけでなく、ひとつの単語の訳にあれこれ言うのが純粋に楽しいだけなので、もし不快な気分にさせたら申し訳ありません)

確かに掛詞であることは間違いないんですが、最後まで読みすすめたとき、『ふたりの和解に「侵入」』と思い当たるかは、かなり難しいと思います。

ただ確かにじゃまものとすると、今度は最初の時点での相手方をじゃまものと思うかって問題が当然あるわけですが…

作者が英語のInterloperの単語を、二人の仲をじゃまするものといった文脈でしか使ってないことも、ひとつの考え方の方向性としてはあるかもしれません。

ドイツ風はまったくそのとおりで、こちらは文自体も簡潔にきびきびした感じにできないか考えたりしましたが、読む人はだれもそんなことは意識しないでしょうね(笑)。

発音については通常のカタカナ表記もあまり信頼できないので、こだわるならドイツ人の知り合いがいれば実際に聞くか、それこそネットでドイツ人に聞いてみる手はあるかもしれません(笑)

こちらこそ突然の失礼な書き込みをどうもすみませんでした。大変楽しく読ませてもらっています。サイトの方もまた見させてもらいます。

P.S
書き込みついでに、思いついたことを加えてしまうと、著作権上、原文の切れてることがはっきりしている翻訳については、青空文庫 or プロジェクト杉田玄白なんかに登録すると、少し他からの面白い反応とかがあるかもしれませんね(たとえば、誰かがその翻訳に絵をつけてくれたりとか…)。

自分も面倒でまだやってなくて、まとめてやろうかなぁ、それともクリエイティブコモンズでパブリックドメインにしてしまったので、それはそれでいいかなぁなんて思っていますが…
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失礼なんてとんでもない (陰陽師)
2008-09-19 23:08:44
kkt_2008さん、こんばんは。
返事が遅くなってごめんなさい。

ブログ、拝見してびっくりしたんですが、サキを一日で訳してらっしゃいますよね。
短篇一つ、何時間くらいで訳せます?

どうもわたしはとろいのか、どれだけ訳しても、なかなか早く訳せるようにはなりません。
わたしの場合、晩ご飯をすませて、後かたづけもすませて、そこからブログの原稿を書き始めるんです。一日にかけられる時間となると、二時間かそんなところなんですが、そのくらいの時間だと、サキは三日に分ける感じになっちゃいます(笑)。
この長さを三回に分けるなんて、情けない話なんですが。で、ここからまた書き直さなきゃ、何というか、読んでもらうに足るようなものになっていかない。
やっぱり専業の人というのは、ほんとうにすごいなあと思います。

さて、ほんとに訳語を決めるとき、ずいぶん考えて、考えて…っていうときがありますよね。で、考えたあげく、「これだ」と思える日本語が結びつく。そういうとき、密かにガッツポーズをしたくなります。翻訳をやってて、楽しい瞬間ですよね。

>『ふたりの和解に「侵入」』と思い当たるかは、かなり難しいと思います。

おっしゃること、よくわかります。
だけど、まあ、わたしとしてはタイトルでツネイム=侵入者、という筋道を作っておいて、最後でひっくり返す、という方向をやっぱり取りたい(笑)。

だけど、おっしゃるように考えていくと、オオカミ相手に「侵入者」とは、ずいぶん物々しいということになりますよね。
「侵入」という日本語は、「領分」を前提とした単語ですから、領地を侵犯したツネイムにはまさにふさわしい単語ではあっても、オオカミに対しては、一種の擬人化が必要です。
オオカミに限って言えば、その意味では単に「妨げる」「妨害する」という意味の「邪魔」の方がぴったりくる。

> 作者が英語のInterloperの単語を、二人の仲をじゃまするものといった文脈でしか使ってないことも、ひとつの考え方の方向性としてはあるかもしれません。

これは確かにポイントになるところです。
うーん、こういうふうに考えると、ちくま文庫版のタイトル「邪魔立てする者」というのも、ずいぶん考えたタイトルだってことがわかりますね。
ただ、サキのすぱっと一語のタイトルに、これはちょっと外してるかな、という気はするのですが。

インタールーパー、という語の響きだと「侵入者」が一番近い、っていうのは、ダメ?

> 読む人はだれもそんなことは意識しないでしょうね(笑)。

それはあります。
だけど、マンガなんかもっとそうかもしれません。
コマの隅々まで丁寧に見ていく人が実際どのくらいいるのか。だけど、たとえば絵の中に時間性の感じられるような描写というのは、ほんの一本の線が決めたりする。

そう考えていくと、神は細部に宿る、ではありませんが、そんなふうな細かなところが、結局は全体の印象を決めるんじゃないでしょうか。
なんて、昔のを読み返してみたりすると、ぼろぼろいろんなところが気になったりもするのですが。

楽しいお話を聞かせてくださってどうもありがとうございます。
そちらもまた読ませていただきますね。
今後ともどうぞよろしく。
あと、おかしいところがあったら、遠慮なくご指摘下さい。

書きこみありがとうございました。
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こんにちは (かなみ)
2008-09-21 01:56:53
今アメリカの高校に留学してるんですけど、
readingの授業でさまざまな短編を読みます。

まだ学校行きはじめたばかりなので
日本語訳が必要なため、検索したらこのブログがでてきました、

本当に助かったんです^^
あと、この先また色々な短編
読むと思うんですけど、

リクエストとかってできますか?

返事お待ちしてます
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かなみさん、こんにちは (陰陽師)
2008-09-21 10:12:16
かなみさん、初めまして。
書きこみ、ありがとうございます。

おそらく翻訳のページの閲覧者の大多数は、学生のみなさんなんだろうと思うのですが、かなみさんのようにちゃんと報告してくださる方は少ないので、「助かった」と言っていただけると、とてもうれしいです。

ただ、こんなサイトがあることで、ラクをしようと思えばいくらでもできるわけで、どう生かすかはその人次第、学生の方に見ていただくのはかまわないけれど、どうかうまく使ってほしい、勉強の役に立ててほしい、と願わずにはおれません。

やはり日本人であるわたしたちは、日本語で考える、だから、日本語で読んだほうが理解が深まるという側面は、絶対にあると思います。
けれど、翻訳は、同時に一種の解釈でもあるわけで(たとえば上でもタイトルの一語をめぐって、kt_2008さんとわたしはああでもない、こうでもないと話をしていますが、それはこの単語だけでなく、作品全体の解釈も関連してくるんです)、わたしの訳によって、原文のある種のものは、きっと確実に損なわれているとも思うんです。
だから、どうか「勉強の役に立てる」という観点で、参照なさってください。
せっかく留学できてるんですからね。

リクエストにお応えできるかどうかは、その電子テキストがあるか、とか、いろんな条件があって、かならずしもわからないのですが、何か希望があれば、考えてみますので、お気軽に言ってみてください。

わたしもどんなテキストをアメリカの高校ではやっているのか、という興味もありますし。

まだ慣れないことも多いだろうし、いろんなことで大変かと思います。英語で授業についていく、もうそれだけで、ほんとに大変だったのは、わたし自身経験したことです。

どうかがんばっていってください。
たぶん、何年かして振り返って、ああ、あのとき楽しかったなあ、と思うのは、いまのかなみさんが苦しんだことの方だと思うんです。
だから、ああ、もう苦しい、やってらんない、って思ったら、「それを懐かしく振り返っている未来の自分」を思い描いて、なんとか乗り切ってみて。

がんばってね。
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