陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「ラプロシュカの魂」 その2.

2007-12-29 22:25:14 | 翻訳
公平を期して言うなら、ラプロシュカの高い処理能力は評価されるべきだろう。というのも、厄介なジレンマに陥っても、彼は決して「いやだ」と断って評判を落とす事態を、どうにかして避けることができるのだから。だが、天はほとんどだれにでも機会を分け与えてくれるもので、私にもそのチャンスが巡ってきたのである。ある夜、ラプロシュカと私が一緒に、大通りの安食堂で夕食をとっていたのだ(文句のない収入を得ている人物の招待に応じるとき以外には、ラプロシュカはいつも、奢侈への欲望を抑制するのだった。幸運に恵まれたときにはいともたやすく贅沢に身をまかせていたのだが)。食事が終わったちょうどそのとき、至急来られたし、という伝言を受けたので、動転したつれが講義するのも無視して、残酷にもこう言って出ていったのである。「ぼくの分は立て替えてくれないか。明日返すから」次の日の早朝、本能でラプロシュカは私を捕捉したのである。私はふだんはほとんど使わない裏通りを歩いていたのだが。彼は昨夜、一睡もしていない様子だった。

「君には昨夜、二フラン、貸したままになってるぞ」というのが、息を切らしながら言う彼の挨拶だった。

 私は、近々ポルトガルでは大変なことが起こるらしいぞ、とかの地の情勢に話を逸らそうとした。だがラプロシュカはまるきり上の空、そんなことなどまったく耳に入らない様子で、すぐにまた二フランの話題を持ち出した。

「すまないが貸しにしてくれないか」私は軽い調子でずけずけと言った。「いま手持ちが全然ないんだ」それから嘘をつけ加えた。「半年か、もしかしたらもうちょっと長く、留守にすることになるからね」

 ラプロシュカは何も言わなかったが、目は飛び出し、頬はバルカン半島の民族分布図のようにまだらになった。その同じ日の日没後、彼は死んだ。「心機能停止」というのが医師の診断だったが、事情を知っているわたしには、彼が悲嘆にくれたあまりに死んだのだということがわかっていた。

 そこで彼の二フランをどうしたものかという問題が出来した。ラプロシュカを殺してしまったことはさておき、彼のことのほか愛した金をそのまま手元に置いておくような無神経なふるまいは、私の耐えうるものではない。だれもが思いつくような解決策の、貧しい人々に与えるということなどは、決して現在の状況にふさわしいとは言えまい。こんな財産の使い方をされるほど、故人が悲しむこともないだろうから。かといって、金持ちに二フラン贈るというのは、いくばくかの戦略を要する任務だった。ところがこの難題を解決する単純な方法がつぎの日曜日には、向こうからやってきたのだ。そのとき私はパリでもっとも人気のある教会の通路を埋める、さまざまな国から押し寄せた人々の中を、分け入って進んでいるところだった。『教区司祭様の貧しき人々』のための献金袋が、立錐の余地もないほどの人の海を、もみくちゃにされながらうねうねと移動していて、前にいたドイツ人は、どうやらすばらしい音楽を味わおうとしているのに、献金をうながされることで損なわれたくなかったらしく、その募金のことを連れに大きな声で文句を言っている。

「連中に金なんか必要ないさ。金ならうなるほど持ってるんだ。ちっとも貧乏なんかじゃない。いい暮らしをしてるんだ」

 これがほんとうなら、どうしたらいいかは明白だった。私はラプロシュカの二フランを教区司祭様のお金持ちの人々のために、祝福の言葉をつぶやきながら投げ入れたのだった。


(さてこれからどうなったか。続きは明日)