「ロック・スターの重荷」その2.
2000年、マラウィ教育相は教育予算から数百万ドルを着服した罪状で告発された。同様にザンビアでも大統領が国庫横領事件で告発を受けており、またナイジェリアでは石油資源の浪費に余念がない。そこでいったいどうなったか? ものごとを単純化したがる連中が、アフリカの問題を解決するためには、引き続き債務免除と援助の増額が必要であると訴えたのである。ゲイツ財団(the Bill and Melinda Gates Foundation)の不毛なパーティに出席した私は、近隣諸国が窃盗強迫にかられたようなふるまいをしているのに対して、ボツワナでは責任ある政策が採られ、成果を上げていることを指摘した。こうした横領が起こるのも、援助資金供与者が問題のある統治や不正選挙、さらにこれらの国々が直面する根の深い問題に目をつぶっているからなのだ。
ゲイツ氏は自分の莫大な資産という重荷から逃れたいと正直に語った。そうして信頼されるアドバイザーのひとりがボノである。ゲイツ氏はコンピューターをアフリカに送りたいという――正気の沙汰ではないとまでは言わないが、非生産的な思いつきだ。私なら鉛筆と紙、モップとほうきを送りたい。私が見てきたマラウィの学校では、そうしたものが実際に必要なのである。派遣教師の増員もしない。マラウィの人々には自らの意志で祖国にとどまり教師となってほしい。公的資金で医学や教育の訓練を受けたアフリカ人に対しては、国民としての紐帯や崇高な目的といったことを通して祖国で働くよう、説得すべきなのである。
私がいた当時のマラウィは、三百万人の人々が暮らす緑豊かな国だった。それがいまでは河に浸食され、木々は伐採された国土に千二百万人が住む。堆積物は河をせき止め、毎年洪水が一帯を壊滅させる。かつて土砂を防いだ木々は、燃料や自給用作物の栽培のために伐採された。マラウィには建国以降の四十年間に二人の大統領があらわれた。初代は自ら救世主と称した誇大妄想狂、二代目は詐欺師で、彼が最初になした公務は、自分の顔を紙幣に印刷することだった。そうして昨年(※2004年)新しい大統領、ビング・ワ・ムサリカが就任したが、政権誕生早々マイバッハ、世界で最も高額の車を購入するつもりであることを宣言したのである。
四十年前、私が教えていた学校の多くは、現在では荒廃している――落書きで覆いつくされ、窓ガラスは割れ、雑草が伸び放題だ。貨幣ではこの状態をどうにもすることはできないだろう。私の友人のひとりでもあるマラウィ高官は、私の子供たちに、ここに教えに来てほしい、とにこやかに訴えた。「お子さん方にとっても良い経験になりますよ」と。
もちろん、息子たちにとっていい経験となるだろう。アフリカで教えたことは、わたしがこれまでにやってきたことのなかでもっともすばらしいことのひとつだ。だが、私たちが見せた手本は、何の役にも立たなかったらしい。友人のマラウィ人の子供たちは、もちろんアメリカやイギリスで働いている。外国人が何十年もやっていることを、アフリカ人が自発的にやるよう働きかける人など、どこにも見あたらない。教育を受け、能力のあるアフリカ人の青年たちは大勢いるし、彼らは平和部隊のボランティアよりも、はるかに大きな成果をあげられるだろうに。
(残りは明日。この部分のタイトルの訳を「ロック・スターの重荷」に変えました。もちろんロック・スターがみずから重荷を買ってでているということもあるんですが、彼が逆に重荷でもあるということも含意されているように思うので。)
2000年、マラウィ教育相は教育予算から数百万ドルを着服した罪状で告発された。同様にザンビアでも大統領が国庫横領事件で告発を受けており、またナイジェリアでは石油資源の浪費に余念がない。そこでいったいどうなったか? ものごとを単純化したがる連中が、アフリカの問題を解決するためには、引き続き債務免除と援助の増額が必要であると訴えたのである。ゲイツ財団(the Bill and Melinda Gates Foundation)の不毛なパーティに出席した私は、近隣諸国が窃盗強迫にかられたようなふるまいをしているのに対して、ボツワナでは責任ある政策が採られ、成果を上げていることを指摘した。こうした横領が起こるのも、援助資金供与者が問題のある統治や不正選挙、さらにこれらの国々が直面する根の深い問題に目をつぶっているからなのだ。
ゲイツ氏は自分の莫大な資産という重荷から逃れたいと正直に語った。そうして信頼されるアドバイザーのひとりがボノである。ゲイツ氏はコンピューターをアフリカに送りたいという――正気の沙汰ではないとまでは言わないが、非生産的な思いつきだ。私なら鉛筆と紙、モップとほうきを送りたい。私が見てきたマラウィの学校では、そうしたものが実際に必要なのである。派遣教師の増員もしない。マラウィの人々には自らの意志で祖国にとどまり教師となってほしい。公的資金で医学や教育の訓練を受けたアフリカ人に対しては、国民としての紐帯や崇高な目的といったことを通して祖国で働くよう、説得すべきなのである。
私がいた当時のマラウィは、三百万人の人々が暮らす緑豊かな国だった。それがいまでは河に浸食され、木々は伐採された国土に千二百万人が住む。堆積物は河をせき止め、毎年洪水が一帯を壊滅させる。かつて土砂を防いだ木々は、燃料や自給用作物の栽培のために伐採された。マラウィには建国以降の四十年間に二人の大統領があらわれた。初代は自ら救世主と称した誇大妄想狂、二代目は詐欺師で、彼が最初になした公務は、自分の顔を紙幣に印刷することだった。そうして昨年(※2004年)新しい大統領、ビング・ワ・ムサリカが就任したが、政権誕生早々マイバッハ、世界で最も高額の車を購入するつもりであることを宣言したのである。
四十年前、私が教えていた学校の多くは、現在では荒廃している――落書きで覆いつくされ、窓ガラスは割れ、雑草が伸び放題だ。貨幣ではこの状態をどうにもすることはできないだろう。私の友人のひとりでもあるマラウィ高官は、私の子供たちに、ここに教えに来てほしい、とにこやかに訴えた。「お子さん方にとっても良い経験になりますよ」と。
もちろん、息子たちにとっていい経験となるだろう。アフリカで教えたことは、わたしがこれまでにやってきたことのなかでもっともすばらしいことのひとつだ。だが、私たちが見せた手本は、何の役にも立たなかったらしい。友人のマラウィ人の子供たちは、もちろんアメリカやイギリスで働いている。外国人が何十年もやっていることを、アフリカ人が自発的にやるよう働きかける人など、どこにも見あたらない。教育を受け、能力のあるアフリカ人の青年たちは大勢いるし、彼らは平和部隊のボランティアよりも、はるかに大きな成果をあげられるだろうに。
(残りは明日。この部分のタイトルの訳を「ロック・スターの重荷」に変えました。もちろんロック・スターがみずから重荷を買ってでているということもあるんですが、彼が逆に重荷でもあるということも含意されているように思うので。)