陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

望遠鏡的博愛 その3.

2007-12-21 22:36:50 | 翻訳
「ロック・スターの重荷 後編」

アフリカは美しい土地である―― 一般的に描かれているよりさらに美しく、平和で、回復力があり、たとえ裕福とは言えないにしても、本来なら自給自足できるところだ。だが、アフリカが未完成に見え、かつまた世界の他の国々とあまりに異なって見えるせいで、人はそこに立つ自分のなかに、ちがう姿を見てしまう。誇大妄想的で、自分の価値を世界中に見せつけようとする人々を引き寄せるのである。そうした連中はあらゆるかたちでやってくるし、その存在は目立つ。お節介な白人の有名人たちはとりわけ派手に映るのである。先ごろブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーがエチオピアにやってきて、アフリカの子供たちを抱き上げ、世界中の人々に向かって慈善活動するよう講釈をたれたが、その姿は即座に私の脳裏にターザンとジェーンの姿を呼び起こした。


テンガロン・ハットをかぶってジェリビー夫人を演じるボノは、自分こそアフリカの病理の解決策を握っていると信じているだけでなく、あまりに大きな声でそれをわめきたてるので、ほかの人々までが彼の言い分を信用してしまったらしい。2002年には前財務長官ポール・オニールと一緒にアフリカを訪問し、オニールに債務放棄を促した。つい先ごろもホワイトハウスの昼食会に出席したボノは、「もっと金を」主義を講釈し、どうしてアフリカ諸国への援助には特有の困難がつきまとうのか、ご高説を披露したのである。


だが、ほんとうにそうなのだろうか。マラウィをよく見さえすれば、そこが彼の祖国アイルランドの以前の姿に生き写しであることに気がつくはずだ。どちらも何世紀にもわたって続いた飢饉や宗教紛争や内紛、秩序に従おうとしないいくつもの種族や、傲慢な氏長、栄養失調、凶作、因習的な宗教家、歯科疾患、変わりやすい天気という特徴を備えている。マラウィの抱く怒りは、イギリスの不在地主と司祭の支配下にあった人々のそれと同じなのである。


ほんの数年前まで、アイルランドでは合法的にコンドームを買うことはできなかったし、離婚をすることもできなかった。にもかかわらず(ちょうどマラウィとおなじように)、ビールならバケツ何杯分でも手に入ったし、暴飲は国民全体に渡る悪癖だった。無為無策の島アイルランドは、ジョイスの言葉によると「自分が産んだ子豚を食らう母豚」、ヨーロッパにおけるマラウィで、こうした理由から主な輸出品は移民だった。


多くのアフリカ人にとって、大陸奥地へ向かうより、ニューヨークやロンドンへ行く方が簡単だというのは、気分が暗くなるような話だ。ケニヤ北部の大部分は立ち入り禁止区域である。エチオピアとの国境付近のモヤレという町に行くためには道すらなく、そこにいるのはやせこけたラクダと追いはぎだけだ。ザンビア西部は地図には載っておらず、マラウィ南部は未知の土地、モザンビーク北部は未だに地雷の海である。それに対してアフリカを出るのはきわめて簡単だ。だが先ごろの世界銀行の調査でも、アフリカの小規模から中規模の国にとって、技能を持つ人々が西側諸国に移民することが、きわめて深刻な事態をもたらしていることが確認されている。


現実にはアフリカに有能な人々が不足しているわけではない――貨幣さえも足りないわけではない。援助金提供者の保護者ぶったご来訪は、アフリカの自尊感情に対する暴力にほかならない。だが、責任ある指導部が不在であったにもかかわらず、アフリカ人たちはかれらがどれほど回復力を備えているかをこれまで証明してきた――決してその功績は認められてはこなかったのだが。もういちど言おう。アイルランドがおそらくは回答のモデルのひとつなのである。何世紀にもわたってアイルランド人たちは外国に望みを託してきたが、教育や合理的な政府、国内にとどまる人々や、勤勉な労働によって、アイルランド人自身が自分の国を、経済的にどうしようもない国から、繁栄した国家へと変貌させることができたのである。ある意味で――ミスター・ヒューソン、聞こえているかね?――母国にとどまることの意義を証明したのは、アイルランド人なのである。

(2005 12-15 ニューヨーク・タイムズ)



(翻訳部分はこれで終わり。明日はこれについて思ったことなどを少々)