陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「ラプロシュカの魂」 その1.

2007-12-28 22:35:20 | 翻訳
今日からサキの "The Soul of Laploshka" の翻訳をやっていきます。
セローの文章を読んでいたら、スクルージからこれを思いだしたので。
ほんとなら二日くらいで訳した方がいいのでしょうが、日程の都合から(笑)三日に分けます。忙しいし、風邪気味で喉は痛いし、大掃除はしなきゃならない(と思っている)し。

ということで、今日はその前編です。こんな一息に読めるショート・ショート、分けて読みたくない、という方は、遠慮なく30日にいらしてください。

原文はTHE SOUL OF LAPLOSHKAで読むことができます。

* * *

「ラプロシュカの魂」("The Soul of Laploshka")


 ラプロシュカは私が知っている人間の中でも、掛け値なしのけちな男で、それでいて、むやみに愉快な人間でもあった。ほかの人間のひどい悪口を言っていても、なんだか妙にほほえましいところがあるので、裏で自分のことを同じように悪く言っていることがわかっていても、つい大目に見てしまう。だれでも自分では悪意のあるうわさ話など嫌うくせに、それを聞かせてくれる人、しかもその話がおもしろいとなると、いつだって歓迎するものだ。事実、ラプロシュカの話は、たいそうおもしろかったのだ。

 いきおいラプロシュカの交友関係は広かったが、彼の側がいくらか慎重に友人を選んだために、それも、いくぶん一方的にもてなされるのを好む彼の傾向をおおらかに受け入れられる銀行残高のもちぬしばかりということになった。かくて、ごく標準的な資産しかなかったにもかかわらず、彼は収入の範囲内で快適に生活することができたし、気前のいい、さまざまな仲間たちの収入の範囲内で、いっそう快適に暮らしていたのだった。

 だが貧乏な者や、自分と同じく収入の限られた者たちに相対するときの彼の態度は、警戒おこたりない、かつ、心安らかならぬものになった。ごくわずかなシリングであろうがフランであろうが、現在流通している貨幣であるならばなんであれ、自分の懐から手元不如意の友人のもとに移動する、もしくはその役に立つことになるのではないかという恐怖に取り憑かれているようだった。おごってくれそうな金持ちの友だちなら、「良い結果になるかもしれないことなら悪いことにも手を出す」主義で二フランの葉巻も喜んで差し出すが、ウェイターにチップをやらなければならないようなときも、残念ながら銅貨の持ち合わせがあると白状するよりも、虚偽の申し立てをする苦痛を喜んで引き受けることを私は知っていた。渡した貨幣がつぎのできるだけ早い機会にはまちがいなく返ってくることがわかっていても――借りた側が健忘症にかからないように、彼はできるかぎりの方法を採るのである――どんな事故が起こらないともかぎらないし、ペニーであろうがスーであろうが、ほんの一時の別れであっても、災難は避けるべきなのである。

 この愛すべき欠点を知っていると、ラプロシュカが、気がつかないうちに気前のいいことをしているのではないかと恐れているのをからかってやりたくなる誘惑に、つねにかられてしまうのだった。馬車に乗らないか、と誘っておいて、馬車代が足りないふりをしたり、彼がたくさんの銀貨でおつりを受け取ったばかりのところへ、六ペンス貸してくれないか、と言って狼狽させたり、といったことは、状況さえ許せばいくらでも考え出せる拷問の、ほんのいくつかの例だった。

(この項つづく)

※更新情報書きました。昨日アップした部分の最後、ちょっと書き直しました。