陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

豆を挽く時間

2007-12-06 22:36:58 | weblog
昔、わたしの家には手挽きのコーヒーミルがあった。
下に小さな引き出し付いた小型の木の箱の上に、黒い鉄製のお椀がのって、そのお椀の真ん中から鉄の棒が突き出して、その先にハンドルがついている。お椀は底が抜けていて、暗い中をのぞくと、歯車のようなものの一部が見えた。そのお椀から豆を入れてそこに落とし、その歯車のような部分で豆を挽くのだった。縦横高さとも三十センチぐらい。かなり重くてかさばるもので、コーヒー豆を挽く以外の使い道はなく、食器棚の一角を陣取っていた。

まずお椀のなかに計量スプーンで量った豆を入れる。置いたテーブルの面と平行にハンドルをごろごろ回していく。すぐにコーヒーのいい匂いが部屋中にひろがった。最初は固かったハンドルも、しだいに回しやすくなり、手応えがなくなると、豆は全部挽けたということだ。下の引き出しをあけた瞬間、これまでとはだんちがいに強いコーヒーの匂いに鼻腔は満たされる。
まだコーヒーが飲めない頃から、この匂いをかぎたくて、頼んでは挽かせてもらっていたのだった。

豆を挽き終わると、今度はペーパフィルターの底と端を折って、ドリッパーにのせる。粉を入れる前に少しだけお湯を注いで、フィルターを濡らす。紙臭さを消すためだ、とわたしは教わったが、ほんとうにそうなのだろうか、と昔から思っていた。ともかく、判然としない理由から、お湯をまわしかけ、フィルター全体を濡らし、サーバーに落ちたお湯を捨て、それからやっと粉をそこに入れるのだ。

まず、少しだけお湯を入れて、しばらく粉を蒸らす。ふくれあがったところで、少しずつお湯を注いでいく。小学生のあいだは、マグカップの底に二センチぐらい分けてもらって、あとは温めた牛乳に砂糖を入れたものを飲んでいた。そういうコーヒー牛乳ではない、ストレートコーヒーを飲むようになったのは、中学か、もしかしたら高校に入っていたかもしれない。

家にいるころコーヒーを飲むというのは、豆を挽くところから始まって、最後にサーバーやドリッパーを洗って片づけるところまでを意味した。コーヒーというのはそういう手続きがいるものだとずっと思っていたので、とくに面倒だと思った記憶はない。

それがいまはコーヒーメーカーを使う。水を入れて、豆をスプーンで量って入れると、あとは放っておけばいい。ジャーッとやかましい音がして、それでピーピーなるのを待つだけなのだ。できあがれば、もちろんコーヒーの香りはするが、豆を挽くときのなんともいえない匂いは望むべくもない。

手間をかける時間というのは、失って初めてその豊かさに思い至るのかもしれない。

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