陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・スタインベック 「菊」その1.

2007-12-07 22:39:57 | 翻訳
今日からジョン・スタインベックの短編『菊』の翻訳をやっていきます。だいたい一週間ぐらいをめどにしていきます。

カリフォルニア州にあるサリナス渓谷の農場が舞台です。収穫も終わった十二月、つかの間の休息の日々を、人々は過ごしています。

原文はhttp://nbu.bg/webs/amb/american/4/steinbeck/chrysanthemums.htmで読むことができます。

* * *

「菊」(The Chrysanthemums)

by ジョン・スタインベック



 灰色の毛織の生地を思わせるような冬の濃い霧が、サリナス渓谷を、空からも、そのほかのあらゆる世界からも遮断していた。どちらを向いても蓋のような霧が山々の上にかぶさり、広大な渓谷全体が、蓋をした深鍋になったかのようだ。谷底の広々とした平らな大地では、人々が地面をやや深めに掘り起こし、鍬に削られた黒々とした土は、金属のように光る。サリナス川を越えた先にある山麓の丘の農場では、黄色い切り株が残る畑が、白く冷たい陽を浴びているかのようだったが、実際は12月の渓谷には、日の光が差すことはない。川沿いのよく茂った柳の木立も、刃先の鋭い、鮮やかな黄色の葉が燃え上がっているかのようだった。

 静かにじっと待つ季節なのだ。空気は冷たく、柔らかい。風はかすかに南西から吹いており、農民たちはほどなく雨が降りだすのではないかと、かすかな望みを感じていた。だが霧と雨が一緒に訪れるはずもない。

 川向こうの山麓の丘にあるヘンリー・アレン農場では、作業はあらかた終わっていた。牧草は刈ってから、すでに貯蔵も終わっていたし、果樹園は耕され、雨が来たならば、深々と水を水を深いところまで吸い込むことができるようになっていた。そこより高い斜面で飼っている牛も、固い毛が伸び放題になっていた。

 エリーサ・アレンは花壇で作業をしながら、庭の向こうで夫のヘンリーがビジネス・スーツに身を包んだふたりの男と話をしているほうに目を遣っていた。三人はトラクターを置いた納屋の脇に立って、三人ともが片足を小型トラクタの脇に足をかけている。たばこを吸いながら、話ながら機械を調べているのだった。

 しばらく彼らを見つめていたエリーサも、じき、自分の仕事に戻った。三十五歳になる。ほっそりした顔立ちには力があり、目は水のように澄んでいた。体つきは、ごつい庭仕事用の作業着のためによくわからない。男物の黒い帽子を目深にかぶって、長靴を履き、柄のあるワンピースは、コーデュロイのたっぷりしたエプロンでほとんど見えない。エプロンには四つの大きなポケットがついていて、作業に使う、はさみやスコップや小型の鍬や種やナイフが入っていた。作業の時は、手を保護するために、厚手の革手袋をはめる。

エリーサは去年の菊の茎を、刃先の短い、よく切れるはさみで切っているところだった。ときおり、トラクター置き場のそばの男たちに目を遣る。熱を帯びた、しっかりした、整った顔立ちをしていた。はさみの使い方も、熱が入りすぎ、力も入りすぎていた。彼女のエネルギーの前では、菊の茎などあまりにか細く、あまりに弱々しいげに見える。

(この項続く)