最終回
雄鶏が罠の入り口に達し、決定的な一歩を踏み出そうと蹴爪を持ち上げたちょうどそのとき、老人はサミュエルズ夫人のすぐそばまで来ていた。あまりに近かったので、夫人のあえいでいるかのような、熱に浮かされた吐息が聞こえてくる。夫人の心臓が「いまだ!」と指先に命じ、腕の静脈が青く浮き上がるほど強く指が固く握りしめられたとき、老人は夫人の頸椎、頭と首との境目、小さな骨がつながっているその箇所めがけて、もうずいぶん長いこと手元に置いていた狩猟用ナイフを振りおろした。
一切が静寂のうちに進んだ。ぐったりした夫人の手から、するりとひもが滑り落ちたかすかな音がしただけだった。やがて老人の耳に、外の罠のとびらが木の床を叩くガタガタという音が聞こえてきた。それにあわせてサミュエルズ夫人のぼさぼさの頭が胸元にがっくりと垂れる。老人は窓越しに、罠の扉ががたんと降りて、驚いた白い雄鶏が少しだけ後ろへ飛び退くのを見た。そうして雨の中で一声、高らかにコケコッコーと鳴くと、どこかへ歩いていったのだった。
老人はしばらく静かにすわっていた。それからサミュエルズ夫人に語りかけた。
「あんたは絶対に、ほかの方法では殺れなかっただろうな、マーシー・サミュエルズ。わしの息子のかみさんよ。あんたはこうなるしかなかったんだ。狩猟用ナイフを使うしか」
それから老人は車いすを乱暴に走らせて、マーシー・サミュエルズの家の中を、部屋から部屋へと走りまわった。内側からこみあげる熱狂に身を委ね、束縛から解き放たれ、気の向くまま。吠えるような笑い声をあげ、ときおり激しい咳の発作に襲われながら、やかましい音とともに部屋から部屋へと暴走した。車いすの車輪をまわしながら、ひとつひとつ部屋に入っていっては手の届くものすべてを破壊する。台所ではつぼも鍋も放り投げ、小麦粉や砂糖の竜巻を起こし、居間では椅子をひっくり返し、クッションを引き裂いて、中の詰め物をまき散らした。わらや小麦粉にまみれて真っ白い、気の狂った幽霊のような姿で寝室に入り、壁紙を剥いでぼろぼろにした。咳き込みながら咆哮をあげ、突撃し、自分の手でこの家をめちゃくちゃにしてやった、と思えるまで徹底的に破壊しつくした。
ワトソンが帰ってきた。すぐに自分が仕掛けた罠の首尾を確かめに行こうと思い、雄鶏を絞める腹も決めていたのだ。ところが一目見たとたん、自分の家がこんなに荒らされたとは、竜巻にでも襲われたか、それとも泥棒にやられたか! と思った。
「マーシー! マーシー!」と呼んだ。
「父さん! 父さん!」
だが、その声に応える者はいない。老人の部屋でワトソンが見たのは、車いすに乗った老人の亡骸だった。どうやらひどく争ったあげくに息絶えたものらしい。ひどい咳の発作に襲われたらしく、ふくれあがった首の動脈が破れて、あふれ出した血は、まだぶくぶくと、まるで小さな赤い噴水のように吹き出していた。
やがて近所の人びとがこの家へ足を向け始めた。騒ぎを聞きつけ、庭に集まってきたのだが、ワトソン・サミュエルズの家の惨憺たる状況を見て、誰もみな、ものも言えないほど驚いてしまっていた。そうしてワトソン・サミュエルズはその崩壊のただなかに立ったまま、何が起こったのか、その片鱗すら説明できなかったのである。
※ いやいや、ずいぶん間があいてしまいましたが、やっと終わりました。
そのうち手を入れてサイトにアップするのでお楽しみに、といって、あまり楽しい話ではないのだけれど。
これからも、まあぼちぼちと自分のペースで続けていくので、どうぞもよろしく。
雄鶏が罠の入り口に達し、決定的な一歩を踏み出そうと蹴爪を持ち上げたちょうどそのとき、老人はサミュエルズ夫人のすぐそばまで来ていた。あまりに近かったので、夫人のあえいでいるかのような、熱に浮かされた吐息が聞こえてくる。夫人の心臓が「いまだ!」と指先に命じ、腕の静脈が青く浮き上がるほど強く指が固く握りしめられたとき、老人は夫人の頸椎、頭と首との境目、小さな骨がつながっているその箇所めがけて、もうずいぶん長いこと手元に置いていた狩猟用ナイフを振りおろした。
一切が静寂のうちに進んだ。ぐったりした夫人の手から、するりとひもが滑り落ちたかすかな音がしただけだった。やがて老人の耳に、外の罠のとびらが木の床を叩くガタガタという音が聞こえてきた。それにあわせてサミュエルズ夫人のぼさぼさの頭が胸元にがっくりと垂れる。老人は窓越しに、罠の扉ががたんと降りて、驚いた白い雄鶏が少しだけ後ろへ飛び退くのを見た。そうして雨の中で一声、高らかにコケコッコーと鳴くと、どこかへ歩いていったのだった。
老人はしばらく静かにすわっていた。それからサミュエルズ夫人に語りかけた。
「あんたは絶対に、ほかの方法では殺れなかっただろうな、マーシー・サミュエルズ。わしの息子のかみさんよ。あんたはこうなるしかなかったんだ。狩猟用ナイフを使うしか」
それから老人は車いすを乱暴に走らせて、マーシー・サミュエルズの家の中を、部屋から部屋へと走りまわった。内側からこみあげる熱狂に身を委ね、束縛から解き放たれ、気の向くまま。吠えるような笑い声をあげ、ときおり激しい咳の発作に襲われながら、やかましい音とともに部屋から部屋へと暴走した。車いすの車輪をまわしながら、ひとつひとつ部屋に入っていっては手の届くものすべてを破壊する。台所ではつぼも鍋も放り投げ、小麦粉や砂糖の竜巻を起こし、居間では椅子をひっくり返し、クッションを引き裂いて、中の詰め物をまき散らした。わらや小麦粉にまみれて真っ白い、気の狂った幽霊のような姿で寝室に入り、壁紙を剥いでぼろぼろにした。咳き込みながら咆哮をあげ、突撃し、自分の手でこの家をめちゃくちゃにしてやった、と思えるまで徹底的に破壊しつくした。
ワトソンが帰ってきた。すぐに自分が仕掛けた罠の首尾を確かめに行こうと思い、雄鶏を絞める腹も決めていたのだ。ところが一目見たとたん、自分の家がこんなに荒らされたとは、竜巻にでも襲われたか、それとも泥棒にやられたか! と思った。
「マーシー! マーシー!」と呼んだ。
「父さん! 父さん!」
だが、その声に応える者はいない。老人の部屋でワトソンが見たのは、車いすに乗った老人の亡骸だった。どうやらひどく争ったあげくに息絶えたものらしい。ひどい咳の発作に襲われたらしく、ふくれあがった首の動脈が破れて、あふれ出した血は、まだぶくぶくと、まるで小さな赤い噴水のように吹き出していた。
やがて近所の人びとがこの家へ足を向け始めた。騒ぎを聞きつけ、庭に集まってきたのだが、ワトソン・サミュエルズの家の惨憺たる状況を見て、誰もみな、ものも言えないほど驚いてしまっていた。そうしてワトソン・サミュエルズはその崩壊のただなかに立ったまま、何が起こったのか、その片鱗すら説明できなかったのである。
The End
※ いやいや、ずいぶん間があいてしまいましたが、やっと終わりました。
そのうち手を入れてサイトにアップするのでお楽しみに、といって、あまり楽しい話ではないのだけれど。
これからも、まあぼちぼちと自分のペースで続けていくので、どうぞもよろしく。
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