陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ウィリアム・ゴーイェン 「白い雄鶏」 その6.

2013-03-11 22:14:47 | 翻訳
その6.

 その日の午後はずっと、サミュエルズ老人の車いすの大きな車輪が、部屋から部屋へと動き回っていた。サミュエルズ夫人は、頭の毛をひきむしってしまうかもしれない、こんな音ばっかり聞かされてたら、ほんとに頭がおかしくなるわ、と思った。

雄鶏の鳴くコケコッコーという声が、この一週間というもの、頭の中でずっとうるさく響いていたように、車いすのキイキイいう音が頭の中をぐるぐる回っている。今度は老人が咳き込み始めた。あたかも喉の奥につかえているものを取り出そうとしているかのように、老人は咳をしている。とうとう小さな手が届いて、それを引っ張り出したらしく、咳は止まった。老人はぺっと痰を吐く。車いすの足乗せのところに置いてあって、どこに行くにも一緒の缶の中に。

「あの白い雄鶏と変わらないじゃない」とサミュエルズ夫人はひとりごとを言うと、なんとか一眠りしようとした。「ああ、もう、どうにかなりそうだ」

ちょうど眠りに落ちようとしたそのとき、老人のいる正面の寝室から、ぜいぜいと喉を鳴らすおぞましい音が聞こえてきた。サミュエルズ夫人が駈けよっていくと、老人が真っ青な顔であえいでいる。

「咳のせいで喉がつまって……水を頼む、早く」息も絶え絶えにそう言った。

台所の水道まで走るサミュエルズ夫人の脳裏には、あの白い雄鶏の姿が浮かんでいた。鶏小屋で、仰向けになって息絶えていた白い雄鶏。痩せた黄色い脚を宙に突き出し、かぎ爪は力なく丸まって、しおれた花のようだった。「もしおじいちゃんが死んだら」と考えた。「もしおじいちゃんが、窒息して死んでしまったら」

 水を老人の喉に少しずつ注ぎながら、サミュエルズ夫人は、老人の呼吸が、まるでわめき声であるかのように、こうやって自分がしばらく喉を押さえつけていれば、わめくのを止めさせることができるとでもいうかのように、半ばやけになって、まるまるとした手に力を込めた。老人の意識はもうろうとし、呼吸もとぎれがちになる。

サミュエルズ夫人は、老人を車いすから担ぎ上げ、ベッドに運んだ。横たわった老人の体はねじれ、ぐったりとしていた。サミュエルズ夫人は電話のところへ行って、夫のワトソンを呼び出した。

「おじいちゃんの調子が悪いの。意識がないし。あと、迷いニワトリを捕まえて、鶏小屋に入れておいたから、帰ったらつぶしてちょうだい」と夫に言った。「早く帰ってきて。もう大変なのよ」

 マーシーは胸の内で、すでに臨終の儀式を執り行いながら、老人の部屋に入っていった。ところがそこで目の当たりにしたのは、肝をつぶすような光景だった。老人は死ぬどころか、ベッドにすわって、カブ畑でつかまったウサギのように、用心深い表情を浮かべていたのだ。

「わしは大丈夫じゃよ、マーシー。心配ご無用。わしは体も動かない年寄りじゃが、おまえもそう簡単には殺したりはできなかったようだな」ときっぱりと言った。

 サミュエルズ夫人は魔法で体の動きを封じられたようになり、言葉もなかった。老人の部屋の窓から外を見ると、まるで復活劇を見るように、白い雄鶏が繁った葉の間を歩いている。驚きのあまり、気を失いそうだった。なにもかもが急に幽霊屋敷じみてきた。あたしのまわりじゃ、死んだかと思ったら、生き返ることになったの? こんなにおっかないことばっかり起こっちゃ、いったい何を、誰を、信じたらいいの。

 気が遠くなりそうな呪文をかけられたせいで、息ができない、と思ったちょうどそのとき、ワトソンが家に戻ってきた。妻は、催眠術にでもかけられたような、取り乱した顔をしている。老人が亡くなったかどうかを聞く代わりに、ワトソンは「おまえはああ言ってたが、うちの鶏小屋には、迷いニワトリなんかはいなかったぞ。いま見てきたところだが」と当たり障りのないことを言った。

それから老人のようすを見て、老人がすっかり元気で、意識もはっきりしていることがわかると、ワトソンは当惑して、忙しいおれをかついだのか、と言った。

「この家はおかしいの」マーシーはおびえながら言った。「あんただって一生のうち一度くらいは何かしてくれたっていいじゃない」

夫を奥の部屋に連れて行った。ここであたしはあんたが帰ってくる前に、ぞっとするような、わけのわからないものを見たんだから、と。ワトソンはいつも穏やかで口数の少ない男だったが、このときもこう言った。「わかったわかった。やることはひとつだな。わなをしかけよう。それから殺せばいい。おれにまかせておけ。おまえはちょっと落ち着けよ」それから老人の部屋へ行き、老人が元気であることを確かめてから、話し始めた。



(この項つづく)





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