老人は立ち上がった。「あなた、まず、服、着たいですか」
「いいえ」青年は答えた。「このままで行きますよ」それから私のほうを振り向いた。「立会人として一緒に来てもらえませんか」
「いいですよ。一緒に行きましょう、こんな賭けなんてどうかしているとは思うんだが」
「君もおいでよ」青年は娘にも声をかけた。「見に来るといい」
小柄な老人は先頭を切って、庭を抜けホテルの建物に入っていった。もうすっかり生き生きとなって楽しんでおり、歩く姿は前よりもいっそうつま先立ちになって、高く弾みながら歩いていくのだった。
「私、別館います。あなた、車、見たいですね? ここ、あります」
老人は私たちをホテル正面の車寄せが見える場所まで引っぱっていくと、そこに立ち止まって、そこに停めてある、光沢のある淡い緑色のキャデラックを指さした。
「あれ、車です。緑の車。あなた、好きですか」
「わぁ、すごい車だ」青年は言った。
「結構、結構。上、行って、車、あなたのもの、なるかどうか、やってみましょう」
私たちは後に続いて、別館へはいると二階へ上がっていった。老人はドアの鍵を開け、私たち一行を大きくて居心地の良さそうな二人用の客室に誘った。一方のベッドの端には女性用の部屋着が横向きに広げてある。
「まず、私たち、マーティニ、一杯、飲みます」
部屋の反対側の隅に小さなテーブルがあり、その上に飲み物が置いてあった。シェイカーも氷もグラスも十分にあって、カクテルを作る準備はすっかり整っている。老人はマーティニを作り始めたが、そうしながらベルを鳴らしたので、ノックの音がして、黒人のメイドが入ってきた。
「おぉ」ジンのボトルを下ろし、ポケットから財布を取りだしてポンド札を一枚抜いた。「お願い、ありますです」そのポンド札をメイドに渡す。
「取っておくですね。いまから私たち、ここでゲーム、やりますね、それで、あなた、わたしのために、ふたつ、ちがった、三つ、もの、持ってくるです。私はくぎ、四、五本ほしいです。金槌も。ナイフ、いや、肉切り包丁、あなた、これ厨房から借りてくるです。持ってくる、できますね?」
「肉切り包丁ですか」メイドは眼をまん丸にすると、胸の前で両手を握り合わせた。「ほんとうに肉切り包丁がお入り用なんですか?」
「そう、そうです、その通り。さあ、持ってくるですね。私に、さっき言ったもの、まちがえずに見つけるです」
「わかりました。探してまいります。どれも手にはいるよう、やるだけやってみますので」そういうとメイドは部屋を下がった。
小柄な老人は、ひとりずつ、マーティニを手渡していった。私たちはそこに立ったままで、それに口をつけた。面長な顔にそばかすが散り、とがった鼻の青年は、色のさめた茶色い水着を着ているだけの、裸に近い格好、骨格のしっかりした金髪のイギリス娘は水色の水着を着ていたが、カクテルグラス越しに青年に目をやったままだった。そこに立つ小柄な老人は、純白のスーツに身を包んでマーティニをすすりながら、水色の水着姿の娘をほとんど色のない虹彩の眼でじろじろと見ていた。これがいったいどういうことになるのか、私には判断がつかなかった。この老人は、真剣そのもので賭けに臨んでいるようだし、それだけならいざしらず、真剣そのもので指を切り落としてやろうと考えているらしい。だが、冗談抜きで、青年が失敗したらどうなる? そのときは手に入れ損ねたキャデラックにこの青年を乗せて、病院へ急行しなくちゃならないじゃないか。まったく結構な話だ。さてもこれほどすばらしいことがほかにあるんだろうか。知る限り、ここまでバカらしく無意味な話があっただろうか。
「こんなことは実際、馬鹿げた賭けだと思わないかい?」私は言ってみた。
(この項つづく)
「いいえ」青年は答えた。「このままで行きますよ」それから私のほうを振り向いた。「立会人として一緒に来てもらえませんか」
「いいですよ。一緒に行きましょう、こんな賭けなんてどうかしているとは思うんだが」
「君もおいでよ」青年は娘にも声をかけた。「見に来るといい」
小柄な老人は先頭を切って、庭を抜けホテルの建物に入っていった。もうすっかり生き生きとなって楽しんでおり、歩く姿は前よりもいっそうつま先立ちになって、高く弾みながら歩いていくのだった。
「私、別館います。あなた、車、見たいですね? ここ、あります」
老人は私たちをホテル正面の車寄せが見える場所まで引っぱっていくと、そこに立ち止まって、そこに停めてある、光沢のある淡い緑色のキャデラックを指さした。
「あれ、車です。緑の車。あなた、好きですか」
「わぁ、すごい車だ」青年は言った。
「結構、結構。上、行って、車、あなたのもの、なるかどうか、やってみましょう」
私たちは後に続いて、別館へはいると二階へ上がっていった。老人はドアの鍵を開け、私たち一行を大きくて居心地の良さそうな二人用の客室に誘った。一方のベッドの端には女性用の部屋着が横向きに広げてある。
「まず、私たち、マーティニ、一杯、飲みます」
部屋の反対側の隅に小さなテーブルがあり、その上に飲み物が置いてあった。シェイカーも氷もグラスも十分にあって、カクテルを作る準備はすっかり整っている。老人はマーティニを作り始めたが、そうしながらベルを鳴らしたので、ノックの音がして、黒人のメイドが入ってきた。
「おぉ」ジンのボトルを下ろし、ポケットから財布を取りだしてポンド札を一枚抜いた。「お願い、ありますです」そのポンド札をメイドに渡す。
「取っておくですね。いまから私たち、ここでゲーム、やりますね、それで、あなた、わたしのために、ふたつ、ちがった、三つ、もの、持ってくるです。私はくぎ、四、五本ほしいです。金槌も。ナイフ、いや、肉切り包丁、あなた、これ厨房から借りてくるです。持ってくる、できますね?」
「肉切り包丁ですか」メイドは眼をまん丸にすると、胸の前で両手を握り合わせた。「ほんとうに肉切り包丁がお入り用なんですか?」
「そう、そうです、その通り。さあ、持ってくるですね。私に、さっき言ったもの、まちがえずに見つけるです」
「わかりました。探してまいります。どれも手にはいるよう、やるだけやってみますので」そういうとメイドは部屋を下がった。
小柄な老人は、ひとりずつ、マーティニを手渡していった。私たちはそこに立ったままで、それに口をつけた。面長な顔にそばかすが散り、とがった鼻の青年は、色のさめた茶色い水着を着ているだけの、裸に近い格好、骨格のしっかりした金髪のイギリス娘は水色の水着を着ていたが、カクテルグラス越しに青年に目をやったままだった。そこに立つ小柄な老人は、純白のスーツに身を包んでマーティニをすすりながら、水色の水着姿の娘をほとんど色のない虹彩の眼でじろじろと見ていた。これがいったいどういうことになるのか、私には判断がつかなかった。この老人は、真剣そのもので賭けに臨んでいるようだし、それだけならいざしらず、真剣そのもので指を切り落としてやろうと考えているらしい。だが、冗談抜きで、青年が失敗したらどうなる? そのときは手に入れ損ねたキャデラックにこの青年を乗せて、病院へ急行しなくちゃならないじゃないか。まったく結構な話だ。さてもこれほどすばらしいことがほかにあるんだろうか。知る限り、ここまでバカらしく無意味な話があっただろうか。
「こんなことは実際、馬鹿げた賭けだと思わないかい?」私は言ってみた。
(この項つづく)
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