陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール 「南から来た男」その4.

2006-08-31 22:20:39 | 翻訳
「わたしにも火を貸してもらえますか」私は声をかけた。

「おっと失礼。あなたがまだおつけじゃないのを忘れてました」

 私は手を出してライターを受け取ろうとしたのだが、青年は立ち上がるとこちらまでやって来て、火をつけてくれた。

「ありがとう」私は礼を言い、青年は自分の席に戻った。

「楽しい休暇をお過ごしですか」と私は聞いてみた。

「ええ、ここはすごくいいところですね」

 しばらく誰もが黙りこんでしまい、私は、小柄な老人のもくろみはうまくいったのだ、とんでもないことを持ちかけたために、彼はこんなにも動揺してしまっているのだから、と考えた。青年は身じろぎもせずすわっていたが、その内部では緊張感がさざなみのようにひろがっていっていることは、見間違いようもなかった。やがて彼は自分の椅子に座ったまま、落ち着かなげに座り直すようになり、胸をこすったり、首の後ろをさすったりしたあげく、両手を膝に乗せると、膝頭を指先でトントンとたたきはじめた。じきに片方の足もそのリズムに加わる。

「言っておられる賭けとやらをもう一度確認させてください」青年はとうとう口にした。「上のあなたの部屋へ行って、ぼくがこのライターに十回連続で火をつけることができさえすれば、ぼくはキャディラックを手にいれることができるんですね。もし一回でも失敗したら、左手の小指を切り取られてしまう。そうでしたね?」

「そういうことです。それが賭けですね。でも、あなた、怖がってるですね」

「もしぼくが失敗したらどうするつもりなんです。あなたが切り落としているあいだ、ぼくはじっと差し出してるんですか」

「とんでもないです。それは良い、ありません。あなた、指、引っ込めようと思うかもしれませんね。私はこうします。始めにあなたの手、テーブルにくくります、それから私、ナイフ持って立つです、ライター、つかなかったら、切り落とす準備して」

「何年型のキャデラックなんです」青年はたずねた。

「失礼。私、わかりません」

「そのキャデラックは製造されて何年になるんですか?

「ああ、わかりました! 何歳か、あなた聞いてるですね。はい。去年できました。新しい車ですね。でも、あなた、賭けしませんよ。アメリカ人、そんなことしないね」

 一瞬の間をおいて、青年は初めてイギリス人の女の子、ついでわたしのほうに視線を動かした。「やるさ」語気鋭くそういった。「賭けるよ」

「すばらしい!」小柄な老人は、一度だけ音を立てずに両手を叩いた。「まことに結構。これからやりましょう。それから、あなた」ここで私のほうに向き直った。「あなた、たぶん親切だから、何と言いますか、た、立会人、やってくれますね」青白い、というよりほとんど色のない虹彩の中央に、黒い点のような瞳孔が光っていた。

「いやあ、私にはこんな賭けはどうかしているようにしか思えないんですが。いいことだとは思えない」

「わたしもイヤだわ」イギリス娘も言った。ここで初めて口を開いたのだ。「なんだかバカみたいよ、そんな賭け」

「ほんとうにこの青年の指を切るつもりなんですか、もし彼が負けたとしたら」私は聞いた。

「もちろんそうするです。それにもちろん、この人、勝ったら、キャデラック、この人のもの。さぁ行きましょう。私の部屋へ行きましょう」

(この項続く)


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