日付のある歌詞カード
信じればそこにある
――ケニー・ロギンス 「プー横町の家」と「プー横町に帰る」
House At Pooh Corner
(プー横町の家)
ケニー・ロギンスというと、ロギンス&メッシーナというアコースティック・デュオを組んで、70年代に活躍した人というより、『トップ・ガン』の主題歌を作った人であり、いまもマクドナルドのCMで流れている『フットルース』の主題歌を作った人、といった方がはるかに通りがいいだろう。
とにかく、印象的なB.G.M.と言ったら失礼なんだろうか、一生懸命耳を傾けなくても、背景に流れているだけで気分は高揚するし、映像もくっきりするような曲を作る人だ。
映画を見終わったあと、メロディというより、リズムが頭に残って(どうでもいいけど『トップ・ガン』と『フットルース』のベースのリフは同じだ)、何かもう一度聴きたいような気がしてくる。サントラ盤を買ってもいい、と思わせて、それを聴くたびに映画のシーンが浮かんでくる……。
つまり、そんな曲を書けるメロディ・メーカーというのは、とてもセンスがある人なのだろう。だが、そんな作曲家なら何人もいるし、その意味ではケニー・ロギンスよりハンス・ジマーの方がずっと好きだ。比べることに意味はないけど。
とはいえ、ケニー・ロギンスはわたしにとって、ただ一曲の作曲家であり、シンガーなのである。
「プー横町の家」
この曲はケニー・ロギンスがプロになる前、高校生のときに作った曲だという。確かにこんな曲をさらっと書くような高校生というのは、明らかに「栴檀は双葉より芳しい」というのがよくわかるけれど、そうはいってもありがちなメロディラインではあるし、最後の方で対位旋律を見つけ損なって、尻すぼみで終わってしまっているところなんかは、ちょっぴり素人臭い。曲作りに慣れた人なら、サビの部分は絶対もっとひねったはずだ。そうしてもう十年ほどしたら、例のロギンス印の「ダダッダダー、ダダッダダー」というリフを入れて、踊れて売れる別の曲にしてしまうのだろう。
それでも、曲としては完成されても、手を加えてしまったら壊れてしまうような、素朴で繊細なところがまぎれもなくある。ちょうど、歌詞とまったく同じように。
この曲は、歌詞とメロディと、いったいどちらが先にできたのだろう。
大人の鳥羽口に立った少年が、自分が直面している見知らぬ世界を前に、かつて自分が経験した「幼年期の終わり」を改めてひっぱり出してきて、ひとつの時代が終わる、ある時期の自分を喪失するとはどういうことかを知ろうとしている。そんな歌なのである。
けれども、わたしたちの「幼年期喪失の経験」は、実はほんとうに自分が体験したことではない。『ウィニー・ザ・プー』を読み、おとぎの国や不思議の国やネバー・ランドから帰ってくるほかの子供たちの話を読んだり、聞いたり、見たりして、その子供の内に蓄えられた物語によって知ったことにほかならない。
ちょうど、「喪失」という言葉を知ることによって、人が「喪失」という体験を自分のものにするように。言葉を知るということは、ほかの人の体験を自分のものにするということだ。ほかの人の体験を自分のものとして、はじめて人は言葉を使えるようになる。自分の体験を、ほかの人の目で見ることができるようになるのだ。
ケニー・ロギンスの歌の語り手も、A.A.ミルンの本の助けを借りて、自分の幼年期の喪失を知ろうとする。そうして、やがて来る少年期の喪失を、痛みを持って眺めている。
そうして、この曲を聴くわたしたちは、この曲を通して自分の喪失を思い出す。聴きやすい、美しいけれどありがちなメロディラインというのは、この曲の中に昔からの多くのポップミュージックがコードもリズムも含めて織り込まれている、ということだ。わたしたちがこれまで聴いてきた数多くのメロディも一緒に聴いているということなのだ。
ちょうど、プーの話を通して、自分の幼年期を外から眺めることができるように。
この曲を通して、自分がこれまで聴き、血となり肉となっているメロディを聴いているように。
そのケニー・ロギンスが、28年後に歌詞の一部を付け加えて、「プー横町に帰る」として発表した。自分の少年期の喪失を怖れていた男の子は、お父さんになったのである。
Return to Pooh Corner
プー横町に帰ってきた
「失ってしまった」と言い切ってしまうことで、ほんとうはそこにあったのに、なかったことになってしまうものがある。
逆に、「ある」と信じ続けることによって、そこに育っていけるものがある。
ときに疑いながらも、この歌を歌い続けることによって、ケニー・ロギンスはそこに戻ってきたのだ。だとすれば、わたしたちも、同じようにこの歌を、あるいはほかの歌でも、本でもいいのだけれど、そうした「自分以外の人の体験」を通して、自分に会えるはずだ。幼い日々も、過去のことも。
※忙しかったり、パソコンが不調だったり、わたしの方が不調だったりしてちょっとブログを休んでました。
また再開します。
たぶん、明日ぐらいにはサキもアップできると思います。
またよろしくお願いします。
信じればそこにある
――ケニー・ロギンス 「プー横町の家」と「プー横町に帰る」
House At Pooh Corner
(プー横町の家)
Christopher Robin and I walked along
Under branches lit up by the moon
Posing our questions to Owl and Eeyore
As our days disappeared all too soon
But I've wandered much further today than I should
And I can't seem to find my way back to the Wood
クリストファー・ロビンとぼくは一緒に歩いていた
月に照らされた木の下を
オウルとイーヨーにいろんなことを聞きながら
ぼくたちの日々はみんなあっという間に過ぎていき
今日はぼくは迷って、ずいぶん遠くまで来てしまった
あの森へ帰る道がわからない
So, help me if you can I've got to get
back to the house at Pooh corner by one.
You'd be surprized there's so much to be done,
count all the bees in the hive,
chase all the clouds from the sky.
Back to the days of Christopher Robin and Pooh.
もし君が知ってるなら、どういったらいいか教えてほしい
プー横町に建った家に一時までに戻らなきゃ
君はきっと驚くだろうな
やらなきゃいけないことはいっぱいある
ミツバチの巣にいるミツバチを全部数えたり
空の雲を全部追いかけたり
クリストファー・ロビンやプーと過ごした日々に戻ったら
Winnie the Pooh doesn't know what to do
Got a honey jar stuck on his nose
He came to me asking help and advice
And from here no one knows where he goes
So I sent him to ask of the Owl if he's there
How to loosen a jar from the nose of a bear
ウィニー・ザ・プーときたら、どうしたらいいんだ、って
蜂蜜のつぼに頭を突っこんだら鼻が引っかかったんだ
ぼくのところに助けてくれ、どうしたらいい、ってやってきた
だけどここじゃプーがどこへ行ったか誰も知らないんだ
もしプーがそこにいたら、オウルのところに連れて行ってやらなくちゃ
熊の鼻をつぼから抜くにはどうしたらいいのか
So, help me if you can I've got to get
back to the house at Pooh corner by one
You'd be surprized there's so much to be done,
count all the bees in the hive,
chase all the clouds from the sky .
Back to the days of Christopher Robin and Pooh,
back to the days of Christopher Robin,
back to the ways of Pooh
だから君がもし知ってたら教えてほしいんだ
プー横町に建った家に一時までに戻らなきゃ
君はきっと驚くだろうな
やらなきゃいけないことはいっぱいある
ミツバチの巣にいるミツバチを全部数えたり
空の雲を全部追いかけたり
クリストファー・ロビンやプーと過ごした日々に戻ったら
クリストファー・ロビンの日々に
プーの家へ
ケニー・ロギンスというと、ロギンス&メッシーナというアコースティック・デュオを組んで、70年代に活躍した人というより、『トップ・ガン』の主題歌を作った人であり、いまもマクドナルドのCMで流れている『フットルース』の主題歌を作った人、といった方がはるかに通りがいいだろう。
とにかく、印象的なB.G.M.と言ったら失礼なんだろうか、一生懸命耳を傾けなくても、背景に流れているだけで気分は高揚するし、映像もくっきりするような曲を作る人だ。
映画を見終わったあと、メロディというより、リズムが頭に残って(どうでもいいけど『トップ・ガン』と『フットルース』のベースのリフは同じだ)、何かもう一度聴きたいような気がしてくる。サントラ盤を買ってもいい、と思わせて、それを聴くたびに映画のシーンが浮かんでくる……。
つまり、そんな曲を書けるメロディ・メーカーというのは、とてもセンスがある人なのだろう。だが、そんな作曲家なら何人もいるし、その意味ではケニー・ロギンスよりハンス・ジマーの方がずっと好きだ。比べることに意味はないけど。
とはいえ、ケニー・ロギンスはわたしにとって、ただ一曲の作曲家であり、シンガーなのである。
「プー横町の家」
この曲はケニー・ロギンスがプロになる前、高校生のときに作った曲だという。確かにこんな曲をさらっと書くような高校生というのは、明らかに「栴檀は双葉より芳しい」というのがよくわかるけれど、そうはいってもありがちなメロディラインではあるし、最後の方で対位旋律を見つけ損なって、尻すぼみで終わってしまっているところなんかは、ちょっぴり素人臭い。曲作りに慣れた人なら、サビの部分は絶対もっとひねったはずだ。そうしてもう十年ほどしたら、例のロギンス印の「ダダッダダー、ダダッダダー」というリフを入れて、踊れて売れる別の曲にしてしまうのだろう。
それでも、曲としては完成されても、手を加えてしまったら壊れてしまうような、素朴で繊細なところがまぎれもなくある。ちょうど、歌詞とまったく同じように。
この曲は、歌詞とメロディと、いったいどちらが先にできたのだろう。
大人の鳥羽口に立った少年が、自分が直面している見知らぬ世界を前に、かつて自分が経験した「幼年期の終わり」を改めてひっぱり出してきて、ひとつの時代が終わる、ある時期の自分を喪失するとはどういうことかを知ろうとしている。そんな歌なのである。
けれども、わたしたちの「幼年期喪失の経験」は、実はほんとうに自分が体験したことではない。『ウィニー・ザ・プー』を読み、おとぎの国や不思議の国やネバー・ランドから帰ってくるほかの子供たちの話を読んだり、聞いたり、見たりして、その子供の内に蓄えられた物語によって知ったことにほかならない。
ちょうど、「喪失」という言葉を知ることによって、人が「喪失」という体験を自分のものにするように。言葉を知るということは、ほかの人の体験を自分のものにするということだ。ほかの人の体験を自分のものとして、はじめて人は言葉を使えるようになる。自分の体験を、ほかの人の目で見ることができるようになるのだ。
ケニー・ロギンスの歌の語り手も、A.A.ミルンの本の助けを借りて、自分の幼年期の喪失を知ろうとする。そうして、やがて来る少年期の喪失を、痛みを持って眺めている。
そうして、この曲を聴くわたしたちは、この曲を通して自分の喪失を思い出す。聴きやすい、美しいけれどありがちなメロディラインというのは、この曲の中に昔からの多くのポップミュージックがコードもリズムも含めて織り込まれている、ということだ。わたしたちがこれまで聴いてきた数多くのメロディも一緒に聴いているということなのだ。
ちょうど、プーの話を通して、自分の幼年期を外から眺めることができるように。
この曲を通して、自分がこれまで聴き、血となり肉となっているメロディを聴いているように。
そのケニー・ロギンスが、28年後に歌詞の一部を付け加えて、「プー横町に帰る」として発表した。自分の少年期の喪失を怖れていた男の子は、お父さんになったのである。
Return to Pooh Corner
プー横町に帰ってきた
Christopher Robin and I walked along
Under branches lit up by the moon
Posing our questions to Owl and Eeyore
As our days disappeared all too soon
But I've wandered much further today than I should
And I can't seem to find my way back to the Wood
クリストファー・ロビンとぼくは一緒に歩いていた
月に照らされた木の下を
オウルとイーヨーにいろんなことを聞きながら
ぼくたちの日々はみんなあっという間に過ぎていき
今日はぼくは迷って、ずいぶん遠くまで来てしまった
あの森へ帰る道がわからない
So help me if you can
I've got to get back
To the House at Pooh Corner by one
You'd be surprised
There's so much to be done
Count all the bees in the hive
Chase all the clouds from the sky
Back to the days of Christopher Robin and Pooh
もし君が知ってるなら、どういったらいいか教えてほしい
プー横町に建った家に一時までに戻らなきゃ
君はきっと驚くだろうな
やらなきゃいけないことはいっぱいある
ミツバチの巣にいるミツバチを全部数えたり
空の雲を全部追いかけたり
クリストファー・ロビンやプーと過ごした日々に戻ったら
Winnie the Pooh doesn't know what to do
Got a honey jar stuck on his nose
He came to me asking help and advice
And from here no one knows where he goes
So I sent him to ask of the Owl if he's there
How to loosen a jar from the nose of a bear
ウィニー・ザ・プーときたら、どうしたらいいんだ、って
蜂蜜のつぼに頭を突っこんだら鼻が引っかかったんだ
ぼくのところに助けてくれ、どうしたらいい、ってやってきた
だけどここじゃプーがどこへ行ったか誰も知らないんだ
もしプーがそこにいたら、オウルのところに連れて行ってやらなくちゃ
熊の鼻をつぼから抜くにはどうしたらいいのか
It's hard to explain how a few precious things
Seem to follow throughout all our lives
After all's said and done I was watching my son
Sleeping there with my bear by his side
So I tucked him in, I kissed him and as I was going
I swear that the old bear whispered
"Boy welcome home"
ぼくたちの人生を通してともにある
ほんとうに大切なものについて説明するのは簡単なことじゃない
いろいろあったけど、結局ぼくは自分の息子を眺めることになった
ぼくのクマを隣りにおいて眠っている
だからぼくはふとんをかけてやって、キスして部屋を出た
誓ってもいい、クマがぼくにささやきかけたんだよ
「ぼうや、お帰り」
Believe me if you can
I've finally come back
To the House at Pooh Corner by one
What do you know
There's so much to be done
Count all the bees in the hive
Chase all the clouds from the sky
Back to the days of Christopher Robin
Back to the ways of Christopher Robin
Back to the days of Pooh
信じられないと思うけど
ぼくは結局、戻ってきたんだ
プー横町の家に一時までに
ほらね
やらなきゃいけないことはいっぱいある
ミツバチの巣にいるミツバチを全部数えたり
空の雲を全部追いかけたり
クリストファー・ロビンの日々に戻ってきた
クリストファー・ロビンの日々に戻ってきた
プーの日々に
「失ってしまった」と言い切ってしまうことで、ほんとうはそこにあったのに、なかったことになってしまうものがある。
逆に、「ある」と信じ続けることによって、そこに育っていけるものがある。
ときに疑いながらも、この歌を歌い続けることによって、ケニー・ロギンスはそこに戻ってきたのだ。だとすれば、わたしたちも、同じようにこの歌を、あるいはほかの歌でも、本でもいいのだけれど、そうした「自分以外の人の体験」を通して、自分に会えるはずだ。幼い日々も、過去のことも。
※忙しかったり、パソコンが不調だったり、わたしの方が不調だったりしてちょっとブログを休んでました。
また再開します。
たぶん、明日ぐらいにはサキもアップできると思います。
またよろしくお願いします。
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