羊の殺戮 最終回
さっそく車が到着し、メアリーが玄関を開けると、ふたりの警官が入ってきた。ふたりともよく知っている警官で――所轄署の人間なら、ほとんど知っているのだ――、メアリーはヒステリックに泣きわめきながら、ジャック・ヌーナンの腕に倒れこんだ。ヌーナンはいたわるように椅子に座らせると、もうひとりの警官オマリーが死体の傍らで膝をついているところに歩いていった。
「ほんとに死んでるんですか」メアリーは泣きじゃくる。
「お気の毒だが……。どうしたんです?」
メアリーは手短に語った。わたしが買い物に行って戻ってみたら、夫が床に倒れていたんです――。メアリーが泣いては話し、話しては泣いているうちに、ヌーナンは死体の頭部に小さな血痕があるのを見つけた。オマリーに見せると、オマリーはすぐ立ち上がって、急いで電話に向かった。
すぐに大勢の人間が家の中に続々と集まってきた。最初に到着したのは、医師、それからふたりの刑事たち、そのうちのひとりは、名前だけは知っていた。やがて警察の写真班が到着して現場を撮影し、鑑識が指紋を採った。死体を囲んで人々はひっきりなしにヒソヒソと話し合い、刑事たちはメアリーを質問責めにした。とはいえその物腰は一貫して親切なものだったが。メアリーは自分の話を繰りかえしたが、こんどは最初から話した。パトリックが戻ってきたとき、わたしはちょうど縫い物をしていたところでした、あの人は疲れていたようすで、ええ、すごく疲れていて、外に食べに行くのは億劫だって言うんです――それからどのように肉をオーブンに入れたか、まで話した。「いまもあそこで焼いてるんです」――それから、食料品店に出向いて野菜を求め、家に戻って床に夫が倒れていたのを発見した……。
「食料品店はどこです」刑事の一人が聞いた。
メアリーがそれに答えると、刑事は振り返ってほかの刑事に何ごとかささやき、その刑事はすぐに外に出ていった。
十五分ほどして戻ってきた刑事は、メモの切れ端を握って戻ってくると、なにごとかささやき、すすり泣きをしているメアリーの耳にも話のところどころが聞こえてきた。
「……まったくふだんどおり……とても愛想がよくて……主人にいいものを食べさせてやりたいと……グリーンピース……チーズケーキ……とても彼女にはそんな……」
やがてカメラマンと警察医がそこを離れ、入れ替わりに入ってきた二人が死体をストレッチャーにのせて運んでいった。やがて鑑識もいなくなる。その場には刑事が二人と警官が二人、残った。だれもがメアリーにはことのほか親切で、なかでもジャック・ヌーナンは、どこかよそへ行かれた方が良くはないですか、妹さんのところへでも行かれては、なんだったら家へ来てもらってもいい、うちのやつに世話させますよ、あいつなら一晩中お側についていてあげられる、と申し出たほどだった。
結構よ、とメアリーは答えた。いまはここをほんのちょっとだって動けそうにないんです。よろしければもうちょっと気持ちが落ち着くまでここにいさせていただけません? ほんとにいま、気分が良くないんです。すごく悪いの――。
なら、ベッドで休まれちゃいかがです? とジャック・ヌーナンが聞いた。
いいんです。このままここにいたいの、この椅子に。もうちょっとしたら、たぶん、もう少し気持ちが落ち着いたら、二階に行くわ。
そこで刑事たちはメアリーをそこに残して、家宅捜査に取りかかった。ときおり刑事が話を聞きに来る。ヌーナンは通りかかるたびに、思い遣りに満ちた言葉をかけるのだった。ご主人は、と言う、何か重たい鈍器で後頭部を一撃されたんだそうですよ、それが金属製のものであることは、ほぼまちがいないんだそうです。いま凶器を探してるとこなんです、ホシはそいつを持ってズラかったか、どこかに捨てるか、敷地のどこかに隠したか。
「よく言うでしょ」とヌーナンは続けた。「凶器を探せ、そうすりゃホシは挙げたも同然、ってね」
やがて、刑事がひとりやってきて、メアリーの隣に座った。凶器になるようなものがお宅にはありませんか? じゃなきゃここらだけでもざっと見て、何かなくなってるもの、たとえばばかでかいスパナだとか、重たい金属製の花瓶とか、そんなものに気がつきませんかね。
スパナとか、金属の花瓶なんて、うちにはありません、とメアリーは答えた。
「大きなスパナも?」
うちにはそんなものはなかったと思います。もしかしたらガレージにあるかもしれないけれど。
捜索は続いた。庭や家の周囲にも警官たちがいることにメアリーは気づいていた。外で砂利の上を歩く音がしていたし、カーテンの隙間から懐中電灯の光がときおりチラチラと洩れていた。日もとっぷりと暮れ、時刻も九時になろうとしていることが、暖炉の上の時計で知れた。屋内の捜索にあたっている四人も疲労が溜まってきたようで、いささか苛立ってきたようすだった。
「ジャック」メアリーは通りかかったヌーナン巡査部長に声をかけた。「もしお忙しくなければ、わたしに一杯、いただけません?」
「かまいませんよ、持ってきてあげましょう。このウィスキーでいいんですね?」
「どうもありがとう、でもほんの少しだけ。きっと気分がしゃっきりすると思うんです」
ヌーナンはグラスを渡した。
「あなたも一杯ぐらいお飲みになったらよろしいのに。お疲れでしょう、だから、ね。ほんとうに良くしてくださったのだから」
「うーん。ほんとは規則違反なんですけどね、じゃ、気付けに一杯だけいただこうかな」
部屋にやってくる人間はひとりずつ勧められて、ウィスキーを一口ずつ飲んだ。ばつが悪そうな顔をしてグラスを手に突っ立った男たちは、そこにいるメアリーに対して、へどもどと慰めの言葉をかけた。キッチンへぶらぶらと入っていったヌーナン巡査部長が、すぐに出てきた。「マロニーの奥さん、オーブンにまだ火がついてますよ、肉がまだ中に入れたままになってるみたいだ」
「あら、大変!」メアリーは大きな声を出した。「そうだったわ!」
「火を切りましょうか、奥さん?」
「ジャック、そうしてくださらない? どうもありがとう」
ふたたび巡査部長が戻ってくると、メアリーは涙に濡れた大きな目を見開いて、彼の方をじっと見た。「ジャック・ヌーナンさん」
「はい?」
「あの……もしよろしかったらでいいんですけど、みなさんにお願いしたいことがあるんです」
「いいですよ、マロニーの奥さん」
「あのね」とメアリーは話しはじめた。「ここにおいでのみなさんは、パトリックのお友だちだった方々でしょう、だから、パトリックを殺した犯人の男を捕まえようとなさってくださってるのね。だけどみなさん、もうすっかりお腹が空いていらっしゃるでしょ、だって晩ご飯の時間なんてとっくに過ぎてるんですもの。パトリック、ああ、神様、パトリックの魂にお恵みを、ともかくあの人だったら、許してくれないと思うんです。もしわたしがみなさんを、なんのおもてなしもしないで帰したとしたら。ですから、オーブンの中のお肉を全部召し上がってくださらないかしら。いまごろきっとちょうどいい加減になってるはずだから」
「それはちょっと……」ヌーナン巡査部長が答えた。
「お願い」メアリーは手を合わせた。「お願いよ、どうか召し上がって。わたしはそんなもの耐えられない、あの人がここにいたときからずっとこの家にあったものなんだもの。でも、みなさんだったら大丈夫でしょう? みなさんに片づけていただけたら、これほどうれしいことはないんです。お食事が終わってからまたお仕事をなさったらいいじゃないですか」
四人は相当ためらっている様子だったが、確かに腹も減っていたし、結局はみんなでキッチンに入って、てんでに食べることにしたのだった。メアリーは座っている場所から動きはしなかったけれど、話し声に耳をそばだたせていた。彼らの声はもごもごとした素っ気ないものだったが、それも口いっぱいに肉をほおばっているせいだ。
「チャーリー、もっと食えよ」
「みんな食っちゃまずいだろう」
「かみさんが片づけてほしがってるんだ。そう言ったじゃないか。望みをかなえてやろうぜ」
「わかったよ。なら、もう少しおれにもくれ」
「ホシは気の毒なパトリックを、えらくどでかい棍棒かなんかで殴ったんだな」中のひとりが言った。「医者が言ってたんだが、頭蓋骨が粉々に砕けてたってさ、ちょうど大かなづちかなんかで殴ったような具合だ」
「だったら見つけるのはすぐだな」
「そのとおりだ」
「誰がやったにせよ、必要もないのにそんなでかいものを持ってうろうろしているわけがないからな」
ひとりがおくびをもらした。
「おれのカンじゃ、この敷地のどこかにあるな」
「ああ、おれたちの目の前に転がってるんだろうさ。ジャック、おまえはどう思う?」
隣の部屋でメアリー・マロニーは声を殺して笑い始めた。
さっそく車が到着し、メアリーが玄関を開けると、ふたりの警官が入ってきた。ふたりともよく知っている警官で――所轄署の人間なら、ほとんど知っているのだ――、メアリーはヒステリックに泣きわめきながら、ジャック・ヌーナンの腕に倒れこんだ。ヌーナンはいたわるように椅子に座らせると、もうひとりの警官オマリーが死体の傍らで膝をついているところに歩いていった。
「ほんとに死んでるんですか」メアリーは泣きじゃくる。
「お気の毒だが……。どうしたんです?」
メアリーは手短に語った。わたしが買い物に行って戻ってみたら、夫が床に倒れていたんです――。メアリーが泣いては話し、話しては泣いているうちに、ヌーナンは死体の頭部に小さな血痕があるのを見つけた。オマリーに見せると、オマリーはすぐ立ち上がって、急いで電話に向かった。
すぐに大勢の人間が家の中に続々と集まってきた。最初に到着したのは、医師、それからふたりの刑事たち、そのうちのひとりは、名前だけは知っていた。やがて警察の写真班が到着して現場を撮影し、鑑識が指紋を採った。死体を囲んで人々はひっきりなしにヒソヒソと話し合い、刑事たちはメアリーを質問責めにした。とはいえその物腰は一貫して親切なものだったが。メアリーは自分の話を繰りかえしたが、こんどは最初から話した。パトリックが戻ってきたとき、わたしはちょうど縫い物をしていたところでした、あの人は疲れていたようすで、ええ、すごく疲れていて、外に食べに行くのは億劫だって言うんです――それからどのように肉をオーブンに入れたか、まで話した。「いまもあそこで焼いてるんです」――それから、食料品店に出向いて野菜を求め、家に戻って床に夫が倒れていたのを発見した……。
「食料品店はどこです」刑事の一人が聞いた。
メアリーがそれに答えると、刑事は振り返ってほかの刑事に何ごとかささやき、その刑事はすぐに外に出ていった。
十五分ほどして戻ってきた刑事は、メモの切れ端を握って戻ってくると、なにごとかささやき、すすり泣きをしているメアリーの耳にも話のところどころが聞こえてきた。
「……まったくふだんどおり……とても愛想がよくて……主人にいいものを食べさせてやりたいと……グリーンピース……チーズケーキ……とても彼女にはそんな……」
やがてカメラマンと警察医がそこを離れ、入れ替わりに入ってきた二人が死体をストレッチャーにのせて運んでいった。やがて鑑識もいなくなる。その場には刑事が二人と警官が二人、残った。だれもがメアリーにはことのほか親切で、なかでもジャック・ヌーナンは、どこかよそへ行かれた方が良くはないですか、妹さんのところへでも行かれては、なんだったら家へ来てもらってもいい、うちのやつに世話させますよ、あいつなら一晩中お側についていてあげられる、と申し出たほどだった。
結構よ、とメアリーは答えた。いまはここをほんのちょっとだって動けそうにないんです。よろしければもうちょっと気持ちが落ち着くまでここにいさせていただけません? ほんとにいま、気分が良くないんです。すごく悪いの――。
なら、ベッドで休まれちゃいかがです? とジャック・ヌーナンが聞いた。
いいんです。このままここにいたいの、この椅子に。もうちょっとしたら、たぶん、もう少し気持ちが落ち着いたら、二階に行くわ。
そこで刑事たちはメアリーをそこに残して、家宅捜査に取りかかった。ときおり刑事が話を聞きに来る。ヌーナンは通りかかるたびに、思い遣りに満ちた言葉をかけるのだった。ご主人は、と言う、何か重たい鈍器で後頭部を一撃されたんだそうですよ、それが金属製のものであることは、ほぼまちがいないんだそうです。いま凶器を探してるとこなんです、ホシはそいつを持ってズラかったか、どこかに捨てるか、敷地のどこかに隠したか。
「よく言うでしょ」とヌーナンは続けた。「凶器を探せ、そうすりゃホシは挙げたも同然、ってね」
やがて、刑事がひとりやってきて、メアリーの隣に座った。凶器になるようなものがお宅にはありませんか? じゃなきゃここらだけでもざっと見て、何かなくなってるもの、たとえばばかでかいスパナだとか、重たい金属製の花瓶とか、そんなものに気がつきませんかね。
スパナとか、金属の花瓶なんて、うちにはありません、とメアリーは答えた。
「大きなスパナも?」
うちにはそんなものはなかったと思います。もしかしたらガレージにあるかもしれないけれど。
捜索は続いた。庭や家の周囲にも警官たちがいることにメアリーは気づいていた。外で砂利の上を歩く音がしていたし、カーテンの隙間から懐中電灯の光がときおりチラチラと洩れていた。日もとっぷりと暮れ、時刻も九時になろうとしていることが、暖炉の上の時計で知れた。屋内の捜索にあたっている四人も疲労が溜まってきたようで、いささか苛立ってきたようすだった。
「ジャック」メアリーは通りかかったヌーナン巡査部長に声をかけた。「もしお忙しくなければ、わたしに一杯、いただけません?」
「かまいませんよ、持ってきてあげましょう。このウィスキーでいいんですね?」
「どうもありがとう、でもほんの少しだけ。きっと気分がしゃっきりすると思うんです」
ヌーナンはグラスを渡した。
「あなたも一杯ぐらいお飲みになったらよろしいのに。お疲れでしょう、だから、ね。ほんとうに良くしてくださったのだから」
「うーん。ほんとは規則違反なんですけどね、じゃ、気付けに一杯だけいただこうかな」
部屋にやってくる人間はひとりずつ勧められて、ウィスキーを一口ずつ飲んだ。ばつが悪そうな顔をしてグラスを手に突っ立った男たちは、そこにいるメアリーに対して、へどもどと慰めの言葉をかけた。キッチンへぶらぶらと入っていったヌーナン巡査部長が、すぐに出てきた。「マロニーの奥さん、オーブンにまだ火がついてますよ、肉がまだ中に入れたままになってるみたいだ」
「あら、大変!」メアリーは大きな声を出した。「そうだったわ!」
「火を切りましょうか、奥さん?」
「ジャック、そうしてくださらない? どうもありがとう」
ふたたび巡査部長が戻ってくると、メアリーは涙に濡れた大きな目を見開いて、彼の方をじっと見た。「ジャック・ヌーナンさん」
「はい?」
「あの……もしよろしかったらでいいんですけど、みなさんにお願いしたいことがあるんです」
「いいですよ、マロニーの奥さん」
「あのね」とメアリーは話しはじめた。「ここにおいでのみなさんは、パトリックのお友だちだった方々でしょう、だから、パトリックを殺した犯人の男を捕まえようとなさってくださってるのね。だけどみなさん、もうすっかりお腹が空いていらっしゃるでしょ、だって晩ご飯の時間なんてとっくに過ぎてるんですもの。パトリック、ああ、神様、パトリックの魂にお恵みを、ともかくあの人だったら、許してくれないと思うんです。もしわたしがみなさんを、なんのおもてなしもしないで帰したとしたら。ですから、オーブンの中のお肉を全部召し上がってくださらないかしら。いまごろきっとちょうどいい加減になってるはずだから」
「それはちょっと……」ヌーナン巡査部長が答えた。
「お願い」メアリーは手を合わせた。「お願いよ、どうか召し上がって。わたしはそんなもの耐えられない、あの人がここにいたときからずっとこの家にあったものなんだもの。でも、みなさんだったら大丈夫でしょう? みなさんに片づけていただけたら、これほどうれしいことはないんです。お食事が終わってからまたお仕事をなさったらいいじゃないですか」
四人は相当ためらっている様子だったが、確かに腹も減っていたし、結局はみんなでキッチンに入って、てんでに食べることにしたのだった。メアリーは座っている場所から動きはしなかったけれど、話し声に耳をそばだたせていた。彼らの声はもごもごとした素っ気ないものだったが、それも口いっぱいに肉をほおばっているせいだ。
「チャーリー、もっと食えよ」
「みんな食っちゃまずいだろう」
「かみさんが片づけてほしがってるんだ。そう言ったじゃないか。望みをかなえてやろうぜ」
「わかったよ。なら、もう少しおれにもくれ」
「ホシは気の毒なパトリックを、えらくどでかい棍棒かなんかで殴ったんだな」中のひとりが言った。「医者が言ってたんだが、頭蓋骨が粉々に砕けてたってさ、ちょうど大かなづちかなんかで殴ったような具合だ」
「だったら見つけるのはすぐだな」
「そのとおりだ」
「誰がやったにせよ、必要もないのにそんなでかいものを持ってうろうろしているわけがないからな」
ひとりがおくびをもらした。
「おれのカンじゃ、この敷地のどこかにあるな」
「ああ、おれたちの目の前に転がってるんだろうさ。ジャック、おまえはどう思う?」
隣の部屋でメアリー・マロニーは声を殺して笑い始めた。
The End
私が今までにみた同様の話で記憶に残るのは、冷凍の鮭を使ったものでした。タイトルは忘れましたが、ガミガミ怒鳴る夫にイラついた妻が、スーパーで買ってきた冷凍の鮭で夫を殴り殺します。警察が来て妻は悲しみに沈む芝居をし、夫の好きな鮭を料理していたと話をします。夫の傷口に鮭の値札シールがついていたことから、犯行がばれたというお話でした。
ロアルド・ダール、とても読みやすいですね。もちろん、翻訳もいいですから。
ではまた。
鑑識が入ってからはハラハラドキドキでした。
最後まで緊張を引っ張って、終りがまた鮮やか。
弱いもの「子羊」が、犯人と凶器の二つに重なって
「目の前に転がってる」と。素晴らしい!
暇な電車の中、たとえば新大阪から東京まで、
こんな傑作を次から次へと楽しめたなら、
気付けば車庫までいってることでしょう。
いろいろヴァリエーションがあるんですね!
わたしは子供の頃、家にあった松本清張の短編で、カチカチに凍らせたフランスパンで頭を殴って殺す、というのを読んで、犯人は剣道の先生(たぶん)という設定だったのですが、それでもフランスパンはいくらなんでも無理があるよなぁ、と思ったことを覚えています。
あとね、それを蒸し器でふかして食べるフランスパンはまずそうだな、って(笑)。
そういったすべての「食べて証拠隠滅」をたどっていくと、短編集『あなたに似た人』が1953年に発表されたことを考え合わせると、この作品なんだろうと思います。
考えてみれば「食べてしまうこと」ほど確実な証拠隠滅はほかにありませんものね。
拳銃にしても、ナイフにしても、どうにもならない。
> 夫の傷口に鮭の値札シールがついていた
って、その凍った鮭にはいきなり値札シールがついてたんだろうか(笑)。
ちょっとマヌケな感じもします。
こう考えてみると、「食べて証拠隠滅」というのは、ユーモラスな作品と相性がいいっていうことですね。きっと松本清張の作品がちっともおもしろく思えなかったのは、ユーモアのかけらもないあの作風と無縁ではなかったはずだ。
「殺しの道具を食べる」っていうのは、考えてみればずいぶんおぞましいことなのだけれど、ユーモアをまぶすことで、おぞましさが一転、落差からくる笑いとなって、消化されるのでしょう。
もうひとつ、人を殺して厄介なのは、死体の始末です。
ミステリでは
・隠す
・身元不詳にする
のどちらかの手法が取られますが、究極の「隠す」、食べる、という方法は、もうジャンルが変わってきちゃうので、あまり出てこないように思います。
確か、初期の大友克洋のマンガにあったように思うんです(白い画面を、はあはあはあはあ……と埋める文字が、息苦しさをいっそう増していた記憶があります)が、やはりずいぶんグロテスクなものでした。
解体する描写だけでも、読んでいてたまらない感じがしますものね。
作家の腕で、「殺す」に至る心情には共感できても、あるいは忌避すべき対象として、安心して憎むことはできても、同じ人間の身体を切り刻むというのは、たとえ文字で描かれていても、冒涜的な感情を持つのでしょうね。
いろいろな「子どもたち」のご紹介、ありがとうございました。
arareさん、相当なミステリ好きですね(笑)。
helleborusさん、おはようございます。
なるほど、メアリーに感情移入なさいましたか。
そんなふうにも読めるとは気がつきませんでした。
ダールの登場人物は、まえの「南から来た男」でもそうなんですが、どれも記号的でしょ。
だから「殺人」が出てきても、血の臭いがしない。
たとえ「凶器」を食べている人がいても、おぞましさを感じない。
それがダールの良さなんだろうと思います。
確かに、いまから五十年以上も前の話なんて、ちょっと信じられませんよね。
ダールはほかにも『キス・キス』とか『来訪者』とか、短編集がいろいろありますから、ぜひお読みください。ただ、電車の中では読まない方がいいかもしれませんが(笑)。
書きこみ、どうもありがとうございました。
サイトの方も、あと、「南から来た男」も、合わせて読みました。
どちらもおもしろかったです。
ただ、ここでも「記号的」って書いてあるのですが、それはどういうことなんですか?
リアリティがない、っていうことですか?
わたしはそんな印象を受けなかったのですが。
特に、ヌーナンにもたれかかるところとか、ああ、こんな人、いるいる、みたいに思ったのですが。
よく見つけてくださいました。
《チャーリーとチョコレート工場》は、わたしは劇場で見ました。
パロディが満載で、おぉ《ベン・ハー》だ、おぉ《2001年宇宙の旅》だ、おぉ、フレディ・マーキュリーだ、おぉ、オプラ・ウィンフリーだ、と楽しめたんですが、こういうのはやはりお子さまを同伴している親向けなんでしょうか。そんな細かなくすぐりを密かに見つけては悦に入ってました。
ただね、ウィリー・ウォンカのバックグラウンドは原作にはない要素なんですけれど、あれはちょっとちがうなぁ、みたいに思いました。
ダールの原作ではね、ウォンカさんは、あくまでも超人的で摩訶不思議な人なんです。一種の妖精というか、そんなものに近い存在。
それにあんなふうな人間的な肉付けをされてもなぁ、みたいに、ちょっと思ってしまいました。
いや、映画は映画でいいんです、別物と思えばいい。原作のウォンカさんは、どう考えてもジョニー・デップ(うふふ、わたし、デップはハサミの手をしていたころから好きでした)じゃありませんものね。
だけど、あのデップ版ウィリー・ウォンカは、妖精というよりカルカチュア、ちょっとマイケル・ジャクソンみたいなイメージもありますよね。
> 「記号的」って書いてあるのですが、それはどういうことなんですか?
これは説明なしで使っちゃいけませんでした。ごめんなさい。わかりにくかったですね。
> ああ、こんな人、いるいる、
ちょっとした動作で、そう思わせるキャラクターが「記号的」といっていいと思うんです。
たとえば、もし良かったら、でいいんですけど、サイトの翻訳のページに、わたしが訳したカーソン・マッカラーズの「木・岩・雲」っていう短編があります。
あれに出てくる登場人物は、「ああ、こんな人、いるいる」とは思えません。
何か、自分のなかにも主人公の男性はいるような、いないような、どこまでいってもよくわからない、この人はどんな人なんだろう、って、何をほんとうは求めているんだろう、って、考えても、考えても、手からすり抜けていってしまうような。
そういう登場人物は、記号的とは言いません。
読むたびに、少しずつちがって見えてくるような人。
自分の成熟度合いに従って、少しずつ、理解が深まっていくような人。
一方で、絶対に一種類しか解釈できない登場人物もいます。
たとえば、この「羊の殺戮」の殺されるパトリック・マロニーにしても、この人は、おそらく誰が読んでも、ほぼ同一のイメージが描けるでしょう。
身勝手で、思い遣りがなく、自分の体面しか考えていないやつ。豊かで繊細なコミュニケーションとは無縁の、ウドの大木。
ちょっと出てきただけで、わたしたちはこういうタイプのことを「わかって」しまいます。
ちょうど「通学路」の道路標識に描いてある絵が、だれにでも「子供」を意味し、ここは小学生が学校へ通う道であることを示しているとわかるように。
そんなふうに、一目で「これは~な人物だ」とわかるのが「記号的」な登場人物なんです。
さて、メアリー・マロニーはどうでしょう。
穏やかで、出産を控えて、暖かな柔らかいイメージをふりまきながら登場した彼女が、夫を殴り殺すところは、確かに読者を驚かせます。
けれども、その驚きは、読者を「どうなっていくんだろう」と引っぱるための驚きであって、どうしてなんだろう、いったいなんで彼女はこんなことをしてしまったんだろう、と、わたしたちが彼女の心理状態に思いを馳せてしまうような驚きではありません。
だって、理由はあまりにはっきりしているから。
彼女は殺されるために登場する夫や、うまくしてやられるために登場するジャック・ヌーナンとはわけがちがいます。それでも彼女の心理も行動も、わたしたちを悩ませない。そこに書いてある。そういうのが「記号的」だ、ということです。
わかっていただけましたか?
良かったら、また、遊びに来てくださいね。
書きこみ、どうもありがとうございました。
捜索、ですよね。
ご指摘ありがとうございます。
また何かお気づきの際にはよろしくお願いします。