陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

子供のころに

2009-09-20 23:18:41 | weblog
小学生の頃、福本豊の伝記を読んだことがある。
たぶん本ではなく、学研の「科学」と「学習」という学年向け雑誌の、「学習」のなかの記事のひとつだったような気がする。

小学校三年かそこらに読んだ記事のことを、記憶だけを頼りに書いているので、かなり事実と反することをわたしは書いているにちがいない。くれぐれもあやふやな記憶によるいい加減な記述であることをふまえて、読んでいってほしい。

ともかくそのなかに、子供時代の福本は、家があまり裕福ではなく、野球道具を買ってもらえなかった。そのために、草野球のチームの一員になることができず、外野のさらに外側で球拾いをやっていた。遠くまで飛んだボールが川に落ちたときは、川にざぶざぶ入ってそれを拾った。それでも、遠くに飛べば飛ぶほど、自分が長いことボールにさわることができる。遠くまで投げることができる。そう思って、試合を見ながら、球がこっちに飛んでこい、飛んでこい、と願っていた、というエピソードがあったのだ。

当時ピアノを習っていた、というか、心情的には限りなく「習わされていた」に近いのだが、ともかくわたしはピアノを弾くのが決して楽しくはなかった。毎日毎日何時間も練習しなければならないし、ちょっと手を抜けば、即座に母親の叱責が飛んでくる。レッスンに行けば行ったで、さらに厳しい批評にさらされ、ヘタをすれば手の甲に物差しが飛んできて、手の甲には目盛りの跡がくっきりと刻印される。

もういやでいやでしょうがなくて、そのくせいやいややっていると「音を聞けばいやいややっているのがすぐにわかる」と叱られる。そんなとき、母はいつも「誰もがピアノが弾きたいからといって弾けるわけじゃない」「自分がどれだけ恵まれているか」「弾きたくても弾けない子の分までがんばりなさい」と決まって言うのだった。いまから思えば、「弾きたくても弾けない子」はかつての母で、だからこそ自分の娘にはなんとしても習わせたかったのだろうが、当時はそんなことはわからない。わたしにとっては「弾きたくても弾けない子」というのは想定のはるか外の存在で、母がよく言う「一日練習をさぼれば、三年分後退する」という脅し文句(三日練習したら、わたしは零歳児並みということになるではないか)のようなものだろうと思っていたのだ。

そこへ、福本少年の話である。ボールにさわりたい一心で、外野のまた向こうで球が飛んでくるのを待っている、という話は、ピアノが「弾きたくても弾けない子」と結びついた。ああ、そうなんだ、やっぱりそんな子がいるんだ、と思ったのだった。

それから練習に身が入ったかというと、全然そんなことはなくて、相変わらず、練習なんていやだ、もっと遊びたい、本が読みたい、と思いながら練習をさせられていた。それでも、ピアノを弾きたくても弾けない子と、福本少年のイメージがわたしのなかにはひとつになって、自分のためじゃなくて、その子のために、わたしはがんばらなきゃいけないんだ、といった意識が芽生えていったような気がする。だらだらやってたら、そんな子に申し訳ないじゃないか。

ともかく、わたしは「福本豊」というと、世界の盗塁王でもなんでもなくて、「弾きたくても弾けない子」が、のちにものすごく立派な野球選手になった、という、どこかおかしな理解をずっとしていたのだった。

先日、イチロー選手が「メジャーリーグ初の9年連続200本安打達成」した、という記事を新聞で読んだ。その記事のなかに、彼が小学生時代、自分は絶対プロ野球の選手になる、なぜかというと、こんなに練習しているのだから、ということを作文で書いていた、というエピソードが紹介されていた。

「こんなに練習しているのだから」というのがどれほど練習しているのか、「あんたほど練習をしない子は見たことがない」と毎日叱られながら四時間ほどピアノに向かっていたわたしにはなんとなく想像がついて、胃のあたりが重たくなるような、なんともいえない気分になった。

きっとイチロー少年は、いやいややらされていたわたしとは異なって、みずから進んで、目的意識的に取り組んでいたにちがいない。そうやって日々の努力を積み重ね、成果を着々とあげていくのは、苦しくはあっても、楽しい、満足できる日々だったにちがいない。

けれど、それが外野のその向こうで、ボール、こっちへ来い、こっちへ飛んでこい、と願っていた男の子がボールにふれたときの歓びとは、およそちがうもののように思えるのだ。

近所にも野球やサッカーをやっている小学生たちがいる。本格的にやる子は、小学生のころから、学校や地域をベースにした、誰でも参加できるようなチームではなく、選抜されたチームに所属しているらしい。プロ選手の多くは、高校野球で活躍するどころか、小学生のころからすでに名を知られ、注目されているのかもしれない。

どちらがいいとか悪いとかいうことを言いたいのではない。もし福本少年がいまの時代に生まれていたら、優れた指導者の目に留まり、おそらく小学生のころからそんな選抜チームに所属しているのかもしれない。あるいは逆に、イチロー選手が福本少年の立場であれば、同じ歓びをもって、川に落ちたボールを取りに行ったにちがいない。人は生まれてくる時代や環境を選べないし、人より抜きんでる人は、どのような時代や環境であっても、かならずそこから抜きんでる人になるのだろう。

「メジャーリーグ初の9年連続200本安打達成」したイチロー選手の向こうには、同じように小学生の頃から注目され、練習に練習を積んだけれども、何かが足りなくて、あるいはケガをしたりして、プロになれなかった大勢の元小学生がいたはずだ。

いずれかの段階でイチロー選手と道が分かれた人が、それでも、いまでも白球が弧を描いて飛んでくるのに胸を躍らせ、ボールを歓びをもってふれることができていればいいと思う。そのときの経験が、いまなお野球を愛する気持と結びついていればいい。ほんとうにそうであればいい。