昔は夏の夜店でヒヨコを売っていたものだったが、いまはそんなことはしないのだろうか。水風船や金魚すくい、綿あめやリンゴ飴、当てものなどに並んで、段ボール箱のなかで、黄色いばかりでなく、毒々しいピンクや青に染められたヒヨコたちが、裸電球に照らされてピイピイと鳴いていた。
一度、そんなヒヨコを手にのせさせてもらったことがある。おそらく屋台の前にしゃがんで段ボール箱をのぞきこんでいたのだろう。ふわふわした羽毛とオレンジ色の小さなくちばし、丸い目のヒヨコはたいそうかわいらしく、ちょんちょんとわたしの手をつつくのだった。毛糸玉をのせているようなわずかな重みと、痛いようなくすぐったいような感じに胸がしめつけられるようで、どれほどこのまま、手のひらにのせて連れて帰ってやりたかったことか。
値段も金魚すくい一回分とどれほども変わらなかったのではあるまいか。おそらくねだったのだろう、母親から、ヒヨコのうちはかわいいけど、じきにすぐに大きなニワトリになるよ、そうなったらどうするの、あんたに面倒がみてやれるの、と言われたような気がする。だが、目の前のふわふわしたヒヨコが、不気味な赤いとさかを持つ、怖い目のニワトリになるのだとは、頭では理解していても、どうしても信じられないのだった。絶対駄目、と言われて、がっかりしながらヒヨコを箱に戻し、去り際にもう一度振り返ると、もうさっきのがどれだかわからなくなってしまっていた。来たときと同じように、電球に照らされて、黄色やピンクや青いヒヨコたちは箱のなかでピイピイ鳴きながら、うろうろしていた。お祭りが終わったら、あのヒヨコはみんなどうなるのだろう、と思ったのではなかったか。
その年ではなく、それからさらに数年が過ぎていたような気がする。二学期も半分ほどが過ぎ、秋もずいぶん深まり、日の出も遅くなったころだった。
「コォゥケコッコォォー!」と鳴くニワトリの大音声に飛び起きたことがある。いったいどこから聞こえてくるのだろうと二階の窓から頭を出せば、まだ暗いなかに電灯のあかりがぽつりぽつりとついていくのが見えた。どこから聞こえてきたのか、目を凝らしていると、起き出した人に自分の声を聞かせようとするかのように、もう一度「コォゥケコッコォォー!」と聞こえてきた。どうやら家から数軒先の庭先から聞こえてくるらしかったが、暗く冷たい外気をふるわせて響き渡るかのようだった。
後年ハムレットを読んだとき、雄鶏のことを「朝を起こすトランペット」と書いてあって、その夜明け前のことを思い出したものだ。鳴くといえば、竿竹売りや廃品回収車や救急車が通るたびに遠吠えをするイヌもいたが、ニワトリの声はイヌなどの比ではなかった。それとも、まだ人が寝静まっている、静かな時間帯だったからこそ、あそこまで大きく響いたのだろうか。
やがてそのニワトリが、夜店のヒヨコのなれの果てであることを聞いた。そこの家の、わたしより少し年少の子供が、夜店で買って、玄関先の段ボール箱のなかで飼っていたのだそうだ。それが数ヶ月のちには、立派に成人? して、ある日突然、夜明けを告げるようになったらしい。
それを聞いて、わたしはそこの家へ見せてもらいに行った。ところが玄関は薄暗いし、段ボール箱は深いしで、よく見えない。なおも頼むと、家の人が箱から出してくれた。
すると、広い世界に出たことがうれしかったのか、ニワトリはいきなりとっとっとこっちへ向かって走り出したのである。ヒヨコのころとはうってかわった猛々しいクチバシである。赤いとさかもびよびよと揺れている。つつかれては大変、と思って、わたしはキャッと逃げ出した。一緒に見ていたそこの家の子も逃げ出した。子供二人がニワトリに追い掛けられている図というのは、いま考えれば笑ってしまうような情景だが、そのときのわたしは怖くて怖くて、死にものぐるいで逃げていたような気がする。にもかかわらず、そのニワトリの白い羽の先が、一部分、そのときもなお青く染まっていて、これは青いヒヨコだったんだなあ、と思ったものだった。
そこの家でも扱いに困っていたのだろう。そこへ、朝も早くから鳴くようになって、近所から苦情が殺到したらしい。気がつけば鳴き声はしなくなり、なんでもそこの家の親類が暮らす千葉の田舎の方にあげたらしかった。
こんなことを思い出したのは、今朝早く、ニワトリの声が聞こえたからだった。明け方雨が降っていたこともあるのだろう、少し離れた場所にある幼稚園から聞こえたものらしかった。集合住宅の建て込む一画に、小さな幼稚園がある。もっと近いマンションの住人から、苦情が行くことはないのか、それとも普段は鳴かないニワトリだったのだろうか。距離もあってか、子供の頃に聞いた声より、はるかに小さなものだったが、なぜかその声は、「クッカドゥードゥルドゥー」と英語風に聞こえたのだった。
距離、空気中の湿度など、いくつかの条件が重なれば、こんなふうに聞こえるのかと思うと、なんだかおかしくなってしまった。そういえばフランスでは、ニワトリは「ココリコ」と鳴くのではなかったか。いったいどういう場面で聞けばココリコと聞こえるのだろう。
一度、そんなヒヨコを手にのせさせてもらったことがある。おそらく屋台の前にしゃがんで段ボール箱をのぞきこんでいたのだろう。ふわふわした羽毛とオレンジ色の小さなくちばし、丸い目のヒヨコはたいそうかわいらしく、ちょんちょんとわたしの手をつつくのだった。毛糸玉をのせているようなわずかな重みと、痛いようなくすぐったいような感じに胸がしめつけられるようで、どれほどこのまま、手のひらにのせて連れて帰ってやりたかったことか。
値段も金魚すくい一回分とどれほども変わらなかったのではあるまいか。おそらくねだったのだろう、母親から、ヒヨコのうちはかわいいけど、じきにすぐに大きなニワトリになるよ、そうなったらどうするの、あんたに面倒がみてやれるの、と言われたような気がする。だが、目の前のふわふわしたヒヨコが、不気味な赤いとさかを持つ、怖い目のニワトリになるのだとは、頭では理解していても、どうしても信じられないのだった。絶対駄目、と言われて、がっかりしながらヒヨコを箱に戻し、去り際にもう一度振り返ると、もうさっきのがどれだかわからなくなってしまっていた。来たときと同じように、電球に照らされて、黄色やピンクや青いヒヨコたちは箱のなかでピイピイ鳴きながら、うろうろしていた。お祭りが終わったら、あのヒヨコはみんなどうなるのだろう、と思ったのではなかったか。
その年ではなく、それからさらに数年が過ぎていたような気がする。二学期も半分ほどが過ぎ、秋もずいぶん深まり、日の出も遅くなったころだった。
「コォゥケコッコォォー!」と鳴くニワトリの大音声に飛び起きたことがある。いったいどこから聞こえてくるのだろうと二階の窓から頭を出せば、まだ暗いなかに電灯のあかりがぽつりぽつりとついていくのが見えた。どこから聞こえてきたのか、目を凝らしていると、起き出した人に自分の声を聞かせようとするかのように、もう一度「コォゥケコッコォォー!」と聞こえてきた。どうやら家から数軒先の庭先から聞こえてくるらしかったが、暗く冷たい外気をふるわせて響き渡るかのようだった。
後年ハムレットを読んだとき、雄鶏のことを「朝を起こすトランペット」と書いてあって、その夜明け前のことを思い出したものだ。鳴くといえば、竿竹売りや廃品回収車や救急車が通るたびに遠吠えをするイヌもいたが、ニワトリの声はイヌなどの比ではなかった。それとも、まだ人が寝静まっている、静かな時間帯だったからこそ、あそこまで大きく響いたのだろうか。
やがてそのニワトリが、夜店のヒヨコのなれの果てであることを聞いた。そこの家の、わたしより少し年少の子供が、夜店で買って、玄関先の段ボール箱のなかで飼っていたのだそうだ。それが数ヶ月のちには、立派に成人? して、ある日突然、夜明けを告げるようになったらしい。
それを聞いて、わたしはそこの家へ見せてもらいに行った。ところが玄関は薄暗いし、段ボール箱は深いしで、よく見えない。なおも頼むと、家の人が箱から出してくれた。
すると、広い世界に出たことがうれしかったのか、ニワトリはいきなりとっとっとこっちへ向かって走り出したのである。ヒヨコのころとはうってかわった猛々しいクチバシである。赤いとさかもびよびよと揺れている。つつかれては大変、と思って、わたしはキャッと逃げ出した。一緒に見ていたそこの家の子も逃げ出した。子供二人がニワトリに追い掛けられている図というのは、いま考えれば笑ってしまうような情景だが、そのときのわたしは怖くて怖くて、死にものぐるいで逃げていたような気がする。にもかかわらず、そのニワトリの白い羽の先が、一部分、そのときもなお青く染まっていて、これは青いヒヨコだったんだなあ、と思ったものだった。
そこの家でも扱いに困っていたのだろう。そこへ、朝も早くから鳴くようになって、近所から苦情が殺到したらしい。気がつけば鳴き声はしなくなり、なんでもそこの家の親類が暮らす千葉の田舎の方にあげたらしかった。
こんなことを思い出したのは、今朝早く、ニワトリの声が聞こえたからだった。明け方雨が降っていたこともあるのだろう、少し離れた場所にある幼稚園から聞こえたものらしかった。集合住宅の建て込む一画に、小さな幼稚園がある。もっと近いマンションの住人から、苦情が行くことはないのか、それとも普段は鳴かないニワトリだったのだろうか。距離もあってか、子供の頃に聞いた声より、はるかに小さなものだったが、なぜかその声は、「クッカドゥードゥルドゥー」と英語風に聞こえたのだった。
距離、空気中の湿度など、いくつかの条件が重なれば、こんなふうに聞こえるのかと思うと、なんだかおかしくなってしまった。そういえばフランスでは、ニワトリは「ココリコ」と鳴くのではなかったか。いったいどういう場面で聞けばココリコと聞こえるのだろう。