陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

卑怯な子供

2008-12-08 22:29:20 | weblog
幼稚園の年少組の、おそらく六月頃、わたしが四歳になる前の出来事である。

教室に小さな聖母像があった。確かに飾ってはあったのだが、園児たちはぬいぐるみや布製の人形などと一緒に、ままごと遊びにも参加させていたような気がする。白い石膏像だったが、子供たちの手垢にまみれ、つかみやすいくぼんだあたりは黒ずんでいた。

わたしはつねづね、このマリア様に色がついていたら、もっときれいなのに、と思っていたような気がする。だからある日、サインペンでマリア像に色をぬったのだ。確か、髪の毛を黄色で塗り、服をピンクで塗ったような記憶がある。

ところが翌日先生が「マリア様に落書きをしたのは誰ですか」と聞いたのだ。その言い方が不服だったのか、そんなに悪いことをしたとは思わなかったのか、それとも怒られたら大変、と思ったのか、いまとなってはよくわからない。ともかくわたしはそのことを黙っていた。すると、どうしてそんなことになってしまったのか、「ひろ子ちゃん」という子がやった、ということになったのだ。みんな坐っているなか、「ひろ子ちゃん」ひとりが立って、うつむいていた情景が記憶にある。その子がひどく怒られたかどうかわたしには記憶はないのだけれど、わたしは困ったことになったなあ、と思いながら、黙っていた。そこから先のことは何も覚えていないのだが、このときのことはもうちょっと大きくなってから繰りかえし思い出し、思い出すたびに「自分は卑怯なんじゃないか」という気がしてならなかった。どうして自分がやった、と言わなかったのだろう。自分の罪を人にかぶせるようなことをしてしまったのだろう。そんなに小さな頃からそんなふうに卑怯なことをするようなわたしという人間は、本質的に卑怯なんじゃないだろうか、と思ったものだった(まあそんなことを考えたがるような年代だったのだ)。

小学校五年で転校して、新しい学校に通うようになって、一学期が終わりかけたころだった。友だちになろう、とわたしを誘ってくれて、いつも一緒に遊んだりしている「綾子ちゃん」という子がいた。その子はクラスのある女の子がきらいで、いつもいつも悪口を言う。あの子はあんなことをした、こんなことをした、あんな子、いなくなればいいのに、と言うのだった。

匿名の意地悪な手紙を出そう、と最初に言い出したのは、おそらく「綾子ちゃん」の方だったのだろうと思う。だが、文章を書いたのはわたしで、書き出すとその手紙に夢中になったのだ。どんなことを書いたか、まったく記憶にないのだが、悪口の手紙を書くというのはなんだか無性に楽しくて、わたしは十一歳のボキャブラリを駆使して、おそらく創造性豊かな(笑)匿名の手紙を書いた。

ところが、その手紙は即座に先生の知るところとなり、わたしと「綾子ちゃん」は先生に呼ばれた。わたしが書きました、と呼ばれると同時に認め、謝った。書いているときの楽しい気持ちは消え失せ、バカなことをした、という恥ずかしさしかなかったのだ。

ところが、「綾子ちゃん」の方は、わたしは知りません、関係ありません、この人がひとりでやったことです、と言ったのである。わたしとしては、手紙を宛てた子が、別に好きでもキライでもなかった。ほとんどつきあいもなく、よく知らなかったのだ。わたしを「親友」と呼んでくれる「綾子ちゃん」の機嫌をとるために書いたのに。

そのとき、愕然とした、と言ったら大げさになりすぎるが、やはり気持ちの一部はがっくりきた。わたしが「親友」と思っていた子は、このぐらいの子だったのか。
ともかく、このとき、一緒に幼稚園のときのことを思い出したのだ。
幼稚園のとき、自分の罪を「ひろ子ちゃん」にかぶせたわたしは、卑怯だった。だから、今回「綾子ちゃん」の行為をわたしが卑怯と呼ぶんではいけないのだろう。

だれもがもしかしたらちょっとずつ卑怯で、運が良かったら卑怯でなくてすむのかも、そうして運が悪かったら卑怯になってしまうのかもしれない。だとしたら、わたしも根っから卑怯な子供でもないのかもしれない。

そのとき、わたしはちょっと安心した。

そうしてわたしは決心したのだ。どうせ何かをしたことで責任を取らなければならなくなるのだとしたら、自分がほんとうにやりたいことだけやろう。やりたくもないことをやって、責任を取らされるほどバカバカしいものはない。
この決心は、いまでもわたしの行動の指針のひとつではあるのだが、十一歳のときの決心が未だに生きている、ということは、わたしの精神年齢は、ほとんど成長しなかった、とういうことなのだろうか。