その4.
「やあ、アンディ・キャンディ」マーティンは言った。「あの古いやつはまだおまえの口のなかにしがみついてたのかい? こっちへおいで、パパに見せてごらん」
「引っ張る糸を持ってるんだ」アンディはポケットからもつれた糸を取り出した。「ヴァージーがね、歯をこの糸でしばって、反対側をドアのノブにくくりつけて、思いっきりバタンって閉めなさい、って言ったんだ」
マーティンはきれいなハンカチを出して、ぐらぐらしている歯を念入りに調べた。「こいつは今夜にはアンディ君の口のなかから抜けるだろうね。さもなきゃ家族がひとり歯の木になっちまう」
「何だって?」
「歯の木だよ」マーティンは言った。何かに噛みついて、一緒に歯を飲み込んだとするだろう。そしたらアンディ君のお腹のなかで歯は根っこを生やす。それから歯はどんどん伸びて、木になる。歯の木ってのは葉っぱの代わりにちっちゃな尖った歯が生えてるのさ」
「うへえ、パパ」アンディは言った。だが汚れた小さな親指と人差し指でしっかりと歯をつかんだままでいる。「歯の木とかねえし。だっておれ、んなもの見たことねえからさ」
「“歯の木なんてないよ、だってぼく、そんなもの見たことないからね”」
不意にマーティンは身をこわばらせた。エミリーが階段を降りてきたのだ。ふらつく足音を聞きつけると、マーティンは恐怖に駆られて思わず小さな男の子を抱きしめた。エミリーが部屋に入って来たのを見て、その動作と仏頂面から彼女がまたシェリーのボトルを傾けたことがわかった。エミリーは引き出しを力まかせに引っ張ると、食卓を整え始めた。
「そんな状態だって!」くぐもった声でそう言った。「あんたが言ったことよ。あたしがこの言葉を忘れるなんて思わないで。あんたが言った汚い嘘を、あたしは金輪際忘れやしないから。そのうち忘れるだろうなんて考えは捨てた方がいいわ」
「エミリー」彼は懇願した。「子供たちの……」
「子供たち――そうだわ! あんたが小汚い細工をしてるの、あたしが気がついてないと思ってた? ここであたしのかわいい子供たちを手なずけて、あたしから離れさせようとしてるんだ。あたしが何も知らないなんて思わないでよね」
「エミリー! 頼むよ――頼む、上にいておくれ」
「そうやってあんたあたしの子供たちを手なずけて――あたしだけのかわいい子供たちを――」大粒の涙がふたつ、彼女の頬を転がり落ちた。「あたしのかわいい坊や、あたしのアンディを、あたしからそっぽを向かせようとしてるんだ」
酔いの衝動にまかせて、呆然としているアンディの前で、エミリーは床にひざまずいた。子供の両肩に手をのせて、かろうじて体の均衡を保っている。「アンディ、よく聞いて――あなたのパパが言うような嘘っぱちに耳を貸しちゃダメよ? パパの言うことなんて信じてないわよね? ねえ、アンディ、ママが降りてくる前に、パパは何て言ってたの?」心許なげな表情を浮かべて、アンディは父親の顔を見た。「教えて。ママは知りたいの」
「歯の木のお話」
「何、それ?」
アンディが父親の言葉をそのまま繰りかえすと、エミリーは、信じられない、という不安の表情を浮かべて、オウム返しに言った。「歯の木ですって?」体がぐらりと傾き、もう一度子供の肩につかまり直した。「何の話をしてるんだかちっともわからない。だけど聞いて、アンディ、ママは全然大丈夫でしょう?」涙があふれて母親の頬を濡らしたので、アンディは身を引いた。不安になったのだ。エミリーはテーブルの端につかまって立ちあがった。
「ほら! あんたがあたしの子供にあたしからそっぽを向くように仕向けたんだ」
マリアンヌが泣き出したので、マーティンは腕に抱き上げた。
"See! You have turned my child against me."
「そういうことか。あんた、自分の子を取ったらいいわ。あんたって人は昔っからすぐえこひいきするんだから。いいわよ。だけど少なくともあたしにはこの坊やを残しておいて」
アンディは父親の方へにじり寄ると、その脚にふれた。「パパ」彼も泣き出した。
マーティンは子供たちを階段のところまで連れて行った。「アンディ、おまえはマリアンヌをお部屋に連れてってやれるね。パパもすぐ行くから」
「だけど、ママは?」アンディはささやくように聞いた。
「ママは大丈夫だ。心配しなくていい」
(この項つづく)
「やあ、アンディ・キャンディ」マーティンは言った。「あの古いやつはまだおまえの口のなかにしがみついてたのかい? こっちへおいで、パパに見せてごらん」
「引っ張る糸を持ってるんだ」アンディはポケットからもつれた糸を取り出した。「ヴァージーがね、歯をこの糸でしばって、反対側をドアのノブにくくりつけて、思いっきりバタンって閉めなさい、って言ったんだ」
マーティンはきれいなハンカチを出して、ぐらぐらしている歯を念入りに調べた。「こいつは今夜にはアンディ君の口のなかから抜けるだろうね。さもなきゃ家族がひとり歯の木になっちまう」
「何だって?」
「歯の木だよ」マーティンは言った。何かに噛みついて、一緒に歯を飲み込んだとするだろう。そしたらアンディ君のお腹のなかで歯は根っこを生やす。それから歯はどんどん伸びて、木になる。歯の木ってのは葉っぱの代わりにちっちゃな尖った歯が生えてるのさ」
「うへえ、パパ」アンディは言った。だが汚れた小さな親指と人差し指でしっかりと歯をつかんだままでいる。「歯の木とかねえし。だっておれ、んなもの見たことねえからさ」
「“歯の木なんてないよ、だってぼく、そんなもの見たことないからね”」
不意にマーティンは身をこわばらせた。エミリーが階段を降りてきたのだ。ふらつく足音を聞きつけると、マーティンは恐怖に駆られて思わず小さな男の子を抱きしめた。エミリーが部屋に入って来たのを見て、その動作と仏頂面から彼女がまたシェリーのボトルを傾けたことがわかった。エミリーは引き出しを力まかせに引っ張ると、食卓を整え始めた。
「そんな状態だって!」くぐもった声でそう言った。「あんたが言ったことよ。あたしがこの言葉を忘れるなんて思わないで。あんたが言った汚い嘘を、あたしは金輪際忘れやしないから。そのうち忘れるだろうなんて考えは捨てた方がいいわ」
「エミリー」彼は懇願した。「子供たちの……」
「子供たち――そうだわ! あんたが小汚い細工をしてるの、あたしが気がついてないと思ってた? ここであたしのかわいい子供たちを手なずけて、あたしから離れさせようとしてるんだ。あたしが何も知らないなんて思わないでよね」
「エミリー! 頼むよ――頼む、上にいておくれ」
「そうやってあんたあたしの子供たちを手なずけて――あたしだけのかわいい子供たちを――」大粒の涙がふたつ、彼女の頬を転がり落ちた。「あたしのかわいい坊や、あたしのアンディを、あたしからそっぽを向かせようとしてるんだ」
酔いの衝動にまかせて、呆然としているアンディの前で、エミリーは床にひざまずいた。子供の両肩に手をのせて、かろうじて体の均衡を保っている。「アンディ、よく聞いて――あなたのパパが言うような嘘っぱちに耳を貸しちゃダメよ? パパの言うことなんて信じてないわよね? ねえ、アンディ、ママが降りてくる前に、パパは何て言ってたの?」心許なげな表情を浮かべて、アンディは父親の顔を見た。「教えて。ママは知りたいの」
「歯の木のお話」
「何、それ?」
アンディが父親の言葉をそのまま繰りかえすと、エミリーは、信じられない、という不安の表情を浮かべて、オウム返しに言った。「歯の木ですって?」体がぐらりと傾き、もう一度子供の肩につかまり直した。「何の話をしてるんだかちっともわからない。だけど聞いて、アンディ、ママは全然大丈夫でしょう?」涙があふれて母親の頬を濡らしたので、アンディは身を引いた。不安になったのだ。エミリーはテーブルの端につかまって立ちあがった。
「ほら! あんたがあたしの子供にあたしからそっぽを向くように仕向けたんだ」
マリアンヌが泣き出したので、マーティンは腕に抱き上げた。
"See! You have turned my child against me."
「そういうことか。あんた、自分の子を取ったらいいわ。あんたって人は昔っからすぐえこひいきするんだから。いいわよ。だけど少なくともあたしにはこの坊やを残しておいて」
アンディは父親の方へにじり寄ると、その脚にふれた。「パパ」彼も泣き出した。
マーティンは子供たちを階段のところまで連れて行った。「アンディ、おまえはマリアンヌをお部屋に連れてってやれるね。パパもすぐ行くから」
「だけど、ママは?」アンディはささやくように聞いた。
「ママは大丈夫だ。心配しなくていい」
(この項つづく)