今日から5日ぐらいを目途にカーソン・マッカラーズの短篇「家族の問題」を訳していきます。マッカラーズらしい、繊細な色合いの短篇です。
原文はhttp://members.lycos.co.uk/shortstories/mccullersdomestic.htmlで読むことができます。
木曜日、マーティン・メドウズは帰宅するための最初の急行バスに間に合うよう、早めに職場を出た。雪で濡れた通りにたれこめる薄紫の日の名残りも、徐々にかき消えて、バスが中心部のターミナルを出るころには、光でまばゆい都会の夜になっていた。木曜にはメイドが半日の非番を取るので、マーティンはできるだけ早く家に戻りたかった。というのもこの一年、妻の調子があまり――良くなかったからだった。今日はひどく疲れていたので、顔見知りの通勤者との会話の輪から外れようと、バスがジョージ・ワシントン橋を渡るまで、新聞に一心に目を落としていた。ひとたびバスが9-W高速道路に入ってしまえば、いつも道中は半ばまで来たような気がして、息を深く吸い込むのだった。たとえ寒い時期で、車内のタバコ臭い空気のなかに、ほんの一筋混ざっているだけであっても、いま自分が呼吸しているのは田舎の空気なのだと信じているのだった。
以前は、ここらあたりまでくると、気持ちもほぐれ、満ち足りた心持ちになって家のことを考えたものだった。だが、この一年というもの、近くなったという感じは緊張しかもたらさず、道中が終わるのが少しも楽しいとは思えなくなっていた。この夕べ、マーティンは窓に顔をよせて、殺風景な野外や、通り過ぎる町の寂しい明かりを見つめた。月が暗い大地や、ところどころに残る雪を青白く照らしている。マーティンの目に、今夜の田舎の景色はむやみにだだっ広く、荒涼たるものに見えた。下車を知らせる紐を引いて合図するのにまだ数分の余裕があったが、彼は網棚から帽子を取り、新聞をたたんでオーバーのポケットに入れた。
家はバス停から一区画離れた、川に近いが、岸まではいかない場所にある。居間の窓からは、通りをはさんで向かいの家の庭や、その向こうのハドソン川が見えた。モダンな感じの木造平屋で、狭い庭の区画に、多少白くて真新しすぎるような感じがした。夏のあいだは芝生も柔らかく色鮮やかで、マーティンも庭を縁取る花壇や、アーチにはわせた蔓バラを丹念に世話した。だが、寒くなって数ヶ月のあいだに、庭は荒涼とし、家はむきだしになったようだった。その晩、小さな家の部屋という部屋の明かりがついていて、マーティンは玄関へと歩を急がせた。階段を上る前に、立ち止まって乳母車を邪魔にならないようによけた。
子供たちは居間にいたが、夢中で遊んでいたのだろう、表の扉が開いたのにまだ気がつかない。マーティンは、無事で、愛らしい子供たちを立ったまま眺めた。子供たちは蓋つき机の一番下の引き出しを開けて、クリスマスの飾り付けを取り出していた。おそらくアンディがなんとかクリスマス・ツリーのプラグを差しこんだらしく、緑と赤の電球が、居間のじゅうたんを、季節はずれの祝祭の光で照らしていた。そのとき、アンディはマリアンヌの木馬の上に、明かりのコードをどうにかして這わそうとしていた。マリアンヌは床にすわって、天使の羽を引っ張って取ろうとしている。子供たちはびっくりしながら、おかえりなさい、と歓声をあげた。マーティンが、まるまるとした小さな女の子を、肩のところまでさっと抱き上げるあいだに、アンディは父親の脚に体当たりしてきた。
「パパ、ねえ、パパ、パパったらぁ!」
マーティンは女の子をそっと下に降ろすと、今度はアンディを抱いて、振り子のように何度か揺すぶってやった。それからクリスマス・ツリーのコードを拾い上げた。
「こんなものを出して、どうしようっていうんだ? パパが引き出しへ戻すから、おまえも手伝っておくれ。おまえは電気のソケットをいじるようなバカな子供じゃないだろう? この前、パパが何て言ったか、思い出してごらん。大切なことなんだよ、アンディ」
六歳の男の子はうなずくと、机の引き出しを閉めた。マーティンは柔らかな金髪をなでると、か細い首の後ろに手を当てたまま、しばらくじっとしていた。
「ぼうず、晩ご飯はもう食べたか?」
「痛くなっちゃった。トーストがからかったんだ」
女の子がじゅうたんに足を取られてつまずいた。転んだ瞬間はびっくりしていたが、やがて泣き出す。マーティンは両腕に抱きかかえてやり、台所に入っていった。
「見てよ、パパ」アンディが言った。「あのトーストだよ」
(この項つづく)
(※そろそろか、と思って、今日のお昼ごろカウンターをのぞいてみたら50000を突破していました。
50000か50001のキリ番を踏まれた方、お知らせください。地味~なカウンタなので、気が付かない人の方が多いんですが……。地味~なお礼をさせていただきます)
原文はhttp://members.lycos.co.uk/shortstories/mccullersdomestic.htmlで読むことができます。
* * *
A Domestic Dilemma(「家族の問題」)
by Carson McCullers
A Domestic Dilemma(「家族の問題」)
by Carson McCullers
木曜日、マーティン・メドウズは帰宅するための最初の急行バスに間に合うよう、早めに職場を出た。雪で濡れた通りにたれこめる薄紫の日の名残りも、徐々にかき消えて、バスが中心部のターミナルを出るころには、光でまばゆい都会の夜になっていた。木曜にはメイドが半日の非番を取るので、マーティンはできるだけ早く家に戻りたかった。というのもこの一年、妻の調子があまり――良くなかったからだった。今日はひどく疲れていたので、顔見知りの通勤者との会話の輪から外れようと、バスがジョージ・ワシントン橋を渡るまで、新聞に一心に目を落としていた。ひとたびバスが9-W高速道路に入ってしまえば、いつも道中は半ばまで来たような気がして、息を深く吸い込むのだった。たとえ寒い時期で、車内のタバコ臭い空気のなかに、ほんの一筋混ざっているだけであっても、いま自分が呼吸しているのは田舎の空気なのだと信じているのだった。
以前は、ここらあたりまでくると、気持ちもほぐれ、満ち足りた心持ちになって家のことを考えたものだった。だが、この一年というもの、近くなったという感じは緊張しかもたらさず、道中が終わるのが少しも楽しいとは思えなくなっていた。この夕べ、マーティンは窓に顔をよせて、殺風景な野外や、通り過ぎる町の寂しい明かりを見つめた。月が暗い大地や、ところどころに残る雪を青白く照らしている。マーティンの目に、今夜の田舎の景色はむやみにだだっ広く、荒涼たるものに見えた。下車を知らせる紐を引いて合図するのにまだ数分の余裕があったが、彼は網棚から帽子を取り、新聞をたたんでオーバーのポケットに入れた。
家はバス停から一区画離れた、川に近いが、岸まではいかない場所にある。居間の窓からは、通りをはさんで向かいの家の庭や、その向こうのハドソン川が見えた。モダンな感じの木造平屋で、狭い庭の区画に、多少白くて真新しすぎるような感じがした。夏のあいだは芝生も柔らかく色鮮やかで、マーティンも庭を縁取る花壇や、アーチにはわせた蔓バラを丹念に世話した。だが、寒くなって数ヶ月のあいだに、庭は荒涼とし、家はむきだしになったようだった。その晩、小さな家の部屋という部屋の明かりがついていて、マーティンは玄関へと歩を急がせた。階段を上る前に、立ち止まって乳母車を邪魔にならないようによけた。
子供たちは居間にいたが、夢中で遊んでいたのだろう、表の扉が開いたのにまだ気がつかない。マーティンは、無事で、愛らしい子供たちを立ったまま眺めた。子供たちは蓋つき机の一番下の引き出しを開けて、クリスマスの飾り付けを取り出していた。おそらくアンディがなんとかクリスマス・ツリーのプラグを差しこんだらしく、緑と赤の電球が、居間のじゅうたんを、季節はずれの祝祭の光で照らしていた。そのとき、アンディはマリアンヌの木馬の上に、明かりのコードをどうにかして這わそうとしていた。マリアンヌは床にすわって、天使の羽を引っ張って取ろうとしている。子供たちはびっくりしながら、おかえりなさい、と歓声をあげた。マーティンが、まるまるとした小さな女の子を、肩のところまでさっと抱き上げるあいだに、アンディは父親の脚に体当たりしてきた。
「パパ、ねえ、パパ、パパったらぁ!」
マーティンは女の子をそっと下に降ろすと、今度はアンディを抱いて、振り子のように何度か揺すぶってやった。それからクリスマス・ツリーのコードを拾い上げた。
「こんなものを出して、どうしようっていうんだ? パパが引き出しへ戻すから、おまえも手伝っておくれ。おまえは電気のソケットをいじるようなバカな子供じゃないだろう? この前、パパが何て言ったか、思い出してごらん。大切なことなんだよ、アンディ」
六歳の男の子はうなずくと、机の引き出しを閉めた。マーティンは柔らかな金髪をなでると、か細い首の後ろに手を当てたまま、しばらくじっとしていた。
「ぼうず、晩ご飯はもう食べたか?」
「痛くなっちゃった。トーストがからかったんだ」
女の子がじゅうたんに足を取られてつまずいた。転んだ瞬間はびっくりしていたが、やがて泣き出す。マーティンは両腕に抱きかかえてやり、台所に入っていった。
「見てよ、パパ」アンディが言った。「あのトーストだよ」
(この項つづく)
(※そろそろか、と思って、今日のお昼ごろカウンターをのぞいてみたら50000を突破していました。
50000か50001のキリ番を踏まれた方、お知らせください。地味~なカウンタなので、気が付かない人の方が多いんですが……。地味~なお礼をさせていただきます)