その2.
エミリーは子供たちの夕食をむきだしのホウロウ天板のテーブルにひろげていた。二枚の皿には朝食のシリアルと卵の食べ残しが載っていて、銀のマグには牛乳が入っていた。もう一枚の大皿には、一口かじったまま放り出してあるシナモントーストが一枚。マーティンはかじりかけのトーストのにおいをかいで、こわごわかじってみた。そうしてそのトーストをゴミ箱に放り込んだ。
「ふう……まったく……なんてことだ」
エミリーはトウガラシとシナモンの缶を間違えていた。
「もうね、辛くてとびあがっちゃった」アンディが言った。「お水を飲んで、走って外に出て、はあって口を開けたよ。マリアンヌはちょっとも食べなかった」
「ちっとも」とマーティンは言葉をなおしてやった。呆然と立ちつくしたまま、台所の壁をぐるりと見回した。「さて、と。それはそれとして、と。さて」と、やっとのことで声を出した。「ママはいまどこにいる?」
「上のパパたちの部屋」
マーティンは子供たちを台所に残したまま、階段をあがって妻のもとへ向かった。ドアの外で怒りが鎮まるのを待つ。ノックせずになかに入ると、後ろ手にドアを閉めた。
エミリーは暖かな部屋の窓辺の揺り椅子に腰を下ろしていた。大ぶりのグラスに入った何かを飲んでいたようだったが、彼が部屋に入ったときに、あわてて椅子のうしろの床にグラスを置いた。あわてふためき、ばつの悪そうな態度だったが、強いてそれを隠し、これみよがしの快活さを装った。
「あら、マーティ! もうお帰り? そんな時間だなんて気がつかなかった。下へ行こうと思ってたの……」よろよろと彼の方へ寄っていき、シェリーのきついにおいのするキスをした。マーティンが立ったままそれに応ようとしえないので、一歩さがって神経質そうにクスクス笑う。
「どうしたの? そんなところに立ってると、まるで床屋のサインポールだわね。調子でも悪いの?」
「調子が悪いかだって?」マーティンは揺り椅子におおいかぶさるようにして、床のグラスを拾い上げた。「おれが吐きそうな気分でいるのがきみにわかるか――おれたちみんな、どれほどいやな気持ちになっているか」
エミリーはわざとらしく明るい声を出したが、その声は彼にはもうなじみ深いものになってしまっていた。そんなときにはよく、イギリス風のアクセントをつけ加えるのだが、どうやらそれは彼女のあこがれている女優の口振りの真似らしかった。「何のことを言ってるのか、わたくしにはちっともわかりませんことよ。ひょっとして、シェリーをグラスにほんの少々いただいたことをおっしゃってるのかしらね。指一本分のシェリーをね――二本だったかもしれないけど。ですけどそれがいったいどんな罪に当たるのかしら。教えていただけませんこと? わたし、全然平気なのに。まったくどうもないわよ」
「だれが見てもわかるぐらいにはね」
バスルームに向かいながら、エミリーは慎重に、しっかりとした態度を崩さないように歩いた。蛇口をひねると、両手で水をすくって顔に浴びせ、バスタオルの端で軽く押さえてふき取った。整った顔立ちは若々しく、染みひとつない。
「ちょうど下へ降りて、晩ご飯のしたくをしようと思ってたの」よろめいて、ドアの枠につかまってバランスを取った。
「晩飯はおれが作る。きみはここにいなさい。持ってきてやるよ」
「そんなことはダメ。ねえ、そんな話、聞いたことがある?」
「頼むよ」マーティンは言った。
「もう、ほっといてよ。何ともないんだから。ちょうど下へ降りようと思ってたんだから……」
「おれの言うことを聞いてくれ」
「あなたのお祖母ちゃんに話を聞いてみて」
よろよろとドアの方へ行きかける彼女の腕を、マーティンがつかまえた。「きみがそんな状態でいるところを子供たちに見せたくないんだ。少しは分別を働かせてくれよ」
「そんな状態ですって!」エミリーは腕を振り払った。怒りのために声が高くなっている。「え? 昼間っからシェリーを二杯か三杯飲んだからって、あなたね、あたしを酔っぱらい扱いするわけね? そんな状態ってどんな状態よ! いやあねえ、ウィスキーなんてさわったこともないのに。あなただって知ってるはずよ、バーで強い酒をあおるようなことなんてわたしがしたことがないのを。それをあなたね、なんてこと言うのよ。ディナーの前にカクテル一杯だって飲んでないのに。あたしがときどきグラス一杯シェリーを飲んだぐらいで。ね、おうかがいしますけど、それが何かみっともないことなの? そんな状態ですって?」
マーティンは、妻を落ち着かせようと言葉を探した。「ここだとふたりきりで落ち着いて食事ができるじゃないか。さあ、お嬢さん」エミリーがベッドの端に腰をおろしたので、彼はドアを開けると、急いで部屋を出た。
「すぐ戻ってくる」
(この項続く)
エミリーは子供たちの夕食をむきだしのホウロウ天板のテーブルにひろげていた。二枚の皿には朝食のシリアルと卵の食べ残しが載っていて、銀のマグには牛乳が入っていた。もう一枚の大皿には、一口かじったまま放り出してあるシナモントーストが一枚。マーティンはかじりかけのトーストのにおいをかいで、こわごわかじってみた。そうしてそのトーストをゴミ箱に放り込んだ。
「ふう……まったく……なんてことだ」
エミリーはトウガラシとシナモンの缶を間違えていた。
「もうね、辛くてとびあがっちゃった」アンディが言った。「お水を飲んで、走って外に出て、はあって口を開けたよ。マリアンヌはちょっとも食べなかった」
「ちっとも」とマーティンは言葉をなおしてやった。呆然と立ちつくしたまま、台所の壁をぐるりと見回した。「さて、と。それはそれとして、と。さて」と、やっとのことで声を出した。「ママはいまどこにいる?」
「上のパパたちの部屋」
マーティンは子供たちを台所に残したまま、階段をあがって妻のもとへ向かった。ドアの外で怒りが鎮まるのを待つ。ノックせずになかに入ると、後ろ手にドアを閉めた。
エミリーは暖かな部屋の窓辺の揺り椅子に腰を下ろしていた。大ぶりのグラスに入った何かを飲んでいたようだったが、彼が部屋に入ったときに、あわてて椅子のうしろの床にグラスを置いた。あわてふためき、ばつの悪そうな態度だったが、強いてそれを隠し、これみよがしの快活さを装った。
「あら、マーティ! もうお帰り? そんな時間だなんて気がつかなかった。下へ行こうと思ってたの……」よろよろと彼の方へ寄っていき、シェリーのきついにおいのするキスをした。マーティンが立ったままそれに応ようとしえないので、一歩さがって神経質そうにクスクス笑う。
「どうしたの? そんなところに立ってると、まるで床屋のサインポールだわね。調子でも悪いの?」
「調子が悪いかだって?」マーティンは揺り椅子におおいかぶさるようにして、床のグラスを拾い上げた。「おれが吐きそうな気分でいるのがきみにわかるか――おれたちみんな、どれほどいやな気持ちになっているか」
エミリーはわざとらしく明るい声を出したが、その声は彼にはもうなじみ深いものになってしまっていた。そんなときにはよく、イギリス風のアクセントをつけ加えるのだが、どうやらそれは彼女のあこがれている女優の口振りの真似らしかった。「何のことを言ってるのか、わたくしにはちっともわかりませんことよ。ひょっとして、シェリーをグラスにほんの少々いただいたことをおっしゃってるのかしらね。指一本分のシェリーをね――二本だったかもしれないけど。ですけどそれがいったいどんな罪に当たるのかしら。教えていただけませんこと? わたし、全然平気なのに。まったくどうもないわよ」
「だれが見てもわかるぐらいにはね」
バスルームに向かいながら、エミリーは慎重に、しっかりとした態度を崩さないように歩いた。蛇口をひねると、両手で水をすくって顔に浴びせ、バスタオルの端で軽く押さえてふき取った。整った顔立ちは若々しく、染みひとつない。
「ちょうど下へ降りて、晩ご飯のしたくをしようと思ってたの」よろめいて、ドアの枠につかまってバランスを取った。
「晩飯はおれが作る。きみはここにいなさい。持ってきてやるよ」
「そんなことはダメ。ねえ、そんな話、聞いたことがある?」
「頼むよ」マーティンは言った。
「もう、ほっといてよ。何ともないんだから。ちょうど下へ降りようと思ってたんだから……」
「おれの言うことを聞いてくれ」
「あなたのお祖母ちゃんに話を聞いてみて」
よろよろとドアの方へ行きかける彼女の腕を、マーティンがつかまえた。「きみがそんな状態でいるところを子供たちに見せたくないんだ。少しは分別を働かせてくれよ」
「そんな状態ですって!」エミリーは腕を振り払った。怒りのために声が高くなっている。「え? 昼間っからシェリーを二杯か三杯飲んだからって、あなたね、あたしを酔っぱらい扱いするわけね? そんな状態ってどんな状態よ! いやあねえ、ウィスキーなんてさわったこともないのに。あなただって知ってるはずよ、バーで強い酒をあおるようなことなんてわたしがしたことがないのを。それをあなたね、なんてこと言うのよ。ディナーの前にカクテル一杯だって飲んでないのに。あたしがときどきグラス一杯シェリーを飲んだぐらいで。ね、おうかがいしますけど、それが何かみっともないことなの? そんな状態ですって?」
マーティンは、妻を落ち着かせようと言葉を探した。「ここだとふたりきりで落ち着いて食事ができるじゃないか。さあ、お嬢さん」エミリーがベッドの端に腰をおろしたので、彼はドアを開けると、急いで部屋を出た。
「すぐ戻ってくる」
(この項続く)