陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

おせっかいはどこへ行った(※一部マイナーチェンジ)

2008-11-22 22:21:03 | weblog
三島由紀夫の『不道徳講座』というエッセイを高校時代に読んだことがある。軽く読み終わってしまって、中身もほとんど記憶に留めることもなかったように思うのだが、「おせっかい」に対して手厳しい批判を投げつけている箇所だけは、ひどく心に残った。鬱屈した高校生だったわたしは、ばくぜんと感じていた「おせっかいなんてどうしようもない連中だ」という意識に裏付けを与えられたように思い、何かにつけ自分におせっかいを焼こうとする連中に対して、(胸の内で密かに)牙をむいていたのだった。

とはいえ、どんな批判だったかまったく覚えていなかったので、このあいだ図書館でたまたま見つけたのを幸い、読み直してみた。

奥野健男の解説を見ると、初出は「女性向き大衆週刊誌」(「解説」)の連載ということで、一回分が原稿用紙10枚くらい。奥野は「三島氏は裃を脱いで、ふざけています」と書いているのだが、こういうエッセイが「大衆週刊誌」に載っていた時代もあったのだな、という感慨を持つ。いまはどうなんだろう。そもそも「女性向き大衆週刊誌」なんて「大衆」が読むんだろうか。それはともかく、くだんの回は「うんとお節介を焼くべし」というタイトルなのである。

そのコラムは、三島が新婚時代、妻宛に匿名の手紙を受け取った、という話から始まっていく。匿名の手紙の主は、「世間では、作品はどうか知りませんが、作者のことは随分な遊び人とか申してましたし、突然婚約を発表されたとき、私、大へん貴女がお気の毒な気がしました」と、結婚を考え直せという手紙なのである(どう考えてもここに出てくる手紙は、どこからどう見てもまごうかたなき三島の文体で、そもそもそんな事実があったかどうなのかは、まあ、どうでもいいことなのだろう)。

三島は「いかにも真情があふれており、まことにうるわしい友情の手紙であります」と、皮肉な調子で話を続けていく。
 こういう人たちの人生はバラ色です。何故ならいつまでたっても自分の顔は見えず、人の顔ばかり見えているので、これこそ人生を幸福に暮らす秘訣なのです。……
 お節介は人生の衛生術の一つです。われわれは時々、人の思惑などかまわず、これを行使する必要がある。会社の上役は下僚にいろいろと忠告を与え、与えられた方は、学校の後輩にいろいろと忠告を与えます。子供でさえ、よく犬や猫に念入りに忠告しています。全然むだごとで、何の足しにもならないが、お節介焼きには一つの長所があって、「人をいやがらせて、自らたのしむ」ことができ、しかも万古不易の正義感に乗っかって、それを安全に行使することができるのです。人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないという人の人生は永遠にバラ色です。なぜならお節介や忠告は、もっとも不道徳な快楽の一つだからです。
(三島由紀夫『不道徳教育講座』角川書店)

どうです、こう言われたら、確かにそうだなあ、と思うでしょ?

ところが、なのである。
ちょっと考えてみてください。あなたが最後に誰かにおせっかいを焼かれたのはいつですか?

わたしはこれを読んでからつらつら考えてみたのだが、「大きなお世話」と思ったのは、いまから五年ぐらい前、知り合いと踏み切りの手前で待ち合わせをしていたときが最後だ。

そこで待ち合わせたのは、単にその踏み切りを渡ったところに行く予定があっただけのことだったのだが、いつものように待ち合わせの少し前に着いたわたしは、だんだん暮れていくなか、そこに立って遮断機が下りたり上がったりするのを見ながら、待ち合わせた相手を待っていた。

すると自転車に乗ったおじさんが「あんた、悩みがあったら、なんでも聞くデ」と、わざわざ自転車から降りてきて、声をかけてきたのである。どうやら自殺を考えていると思われたらしい。

「待ち合わせしてるだけです」という言葉の向こうに「大きなお世話」というニュアンスが確実に伝わるように、木で鼻をくくったような語調で返事をすると、「ああ、そんならええねん」とおじさんは自転車に乗って去っていった。内心、仮に悩みがあったとしても、あんたにだけは言わないよ、と思ったのだが。

以来、「おせっかい」とわたしが判断するような経験をしたことがない。

高校のころ、クラスにひとりぐらいはかならず「おせっかい」な女の子はいた(“血中おばさん濃度の高い子”とわたしは密かに名づけていた)。とんでもなく寒い日でも、せっかく教室が暖まったころを見計らって「空気が悪い」と称して、窓を全開にするような子である。HRが大好きで、何かあると「クラスの問題」にしてしまうし、ボタンがとれかけていたらカバンからソーイングセットをだしてきて、すかさず縫いつけてくれる。そのあいだ、こちらは散歩に連れて行ってもらうのを待つ犬のごとく、横に控えて待っていなければならない。

わたしの記憶のなかには、ひとりだけ“血中おばさん濃度”の高い男の子もいて、彼は観察対象としてはなかなか興味深かったのだが、実際、話していると「弁当に肉料理が二種類入っているのはバランスが悪い」などとすぐ指摘してきて、相当にイライラさせられる人物だった。弁当云々は、中学時代、完璧な肥満体だったが、高校で一念発起してダイエットに成功した彼は、人の弁当を見て、たちどころに総カロリーを計算する能力を身につけていたのである。その才能をもとに、人の弁当を見てはアドバイスに余念がなかったのである。

近所にも「おせっかい」なおばさんはかならずいた。回覧板を持ってきては玄関のあがりがまちに腰をおろして話し込み、町内のあれやこれやを疎漏なく伝えてくれる。そうした情報がありがたい、ことも、まあ、なくはなかったのだろうが、多くは“木下さん(仮名)んとこの奥さんときたら、おばあちゃんがいるのに、毎晩毎晩トンカツだのカレーだの、そんなものしか作んないですってよ。あのおばあちゃんもかわいそうねえ。だからあたし、奥さんに言ってあげたのよ。それじゃいくらなんでもおばあちゃんがかわいそうよ、って。それで、ほうれん草のおひたし、作って持っていってあげたのよ」といった、およそどうでもいい話をしていくおばさんである。

そういえば、親戚にも一人ぐらい、そんな人がいたような気がする。そういう人は、未婚の人間が自分の視野にいれば、そのパートナーになりうる対象を四方八方から探し出し、「いい人がいるんだけど」とお見合いの段取りをするような人だったのだろう。

だが、いつしかわたしの周囲からはそんな「おせっかいなおばさん」が消えていった。頼まれてもいないのに、隣の家の前も一緒に掃き掃除をしてくれるようなおばさんはいなくなり、スーパーを走り回る子供がいても、迷子になって泣きわめく子供がいても、誰かなんとかすればいいのに、という目でそちらに目をやる人ばかりである。

確かに「おせっかい」というのは、周囲の人間にとっては、いやな気持ちにさせるものなのだったのだろう。くだんの「お掃除おばさん」にしたところで、こんな人に会うと、彼女が掃除をしてあげたことを決して忘れさせてくれない。

だからこそ、みんな「おせっかい」になるのを避けようとしてきたのだ。これは「おせっかいじゃないかしら」と控え、「こんなことはあの人の問題だから」と見て見ぬふりをし、必要以上の関わりを避け、そうやって少しずつ人との距離を広げていったわけだ。

それでも「万古不易の正義感に乗っかって、それを安全に行使」ということは、相変わらずわたしたちはやっているような気がする。具体的な人間関係のなかでそれをやるかわりに、「最近の若い人は」と新聞の投書欄に投稿したり、事実関係をはっきり確認する前に「たらいまわし」と書かれた新聞記事を読んで「医師の無責任」を声高に批判したり、芸能人のスキャンダルを批判したり。

こういうのは、「おせっかい」とは呼ばない。
でも、「不道徳な快楽」の出口としては、踏み切りで無意味なおせっかいを焼いてつっけんどんな対応をされるより、リスクを引き受けない分、卑怯とはいえないか。

おせっかいを厭ったわたしは、しばらく前にこんな経験をしたことがある。

連れと一緒にスパゲティ屋で夕食を取っていたときのこと。

隣の席に、きちんとした身なりのおばあさんが一人きりで坐っていた。その人は、注文を取りに来たウェイトレスにわたしが食べているものを「あれは何?」と聞いていた。「あれ、おいしそうねえ。わたしもあれにしようかしら」と。

ウェイトレスの方はごく事務的に「あれはペスカトーレです、魚介類のトマトソースです」と答え、その会話はそれっきりで終わってしまったのだが、なんとなく、その人は誰かと話したそうな気配がうかがえた。おそらく一人暮らしで、ときどき、きちんとした格好で外食をする。そうやって単調な生活にめりはりをつけようとしているのだろう。

そんなときにわたしが「このペスカトーレ、ムール貝がとってもおいしいですよ」みたいに言うことができれば、ずいぶん良かったのだろうと思う。

一瞬、そう言おうか、とも思ったのだが、連れがいるし、などといろいろ考えて、結局、無視してしまったのだった。だが、連れがいる、などというのは、実のところ、ほんとうの理由でもなんでもなくて、それだけの関わりも厭うてしまうようなものがわたしの内側にあったのである。

きっと、こんなとき「おせっかい」な人だったら、進んで話し相手になったことだろう。もしかしたらその結果として、相手に立ち入りすぎて不愉快にさせてしまうかもしれない。それでも、まぎれもなく人と話した、人と関わったという記憶は、そのおばあさんにとって、プラスであれ、マイナスであれ、のちのち思い返す材料となったはずだ。黙ったまま、目も合わさなかったわたしとでは、どんな記憶にもなっていかない。そのどちらがいいか。やっぱり何であれ人と関わろうとすることは、どこかにおせっかいの要素を含んでいると思うのである。

とはいえ、そのときのことをいまだにわたしは思い出し、「おせっかい」ではない自分にたいして、忸怩たる気分でいるわたしの内にも「血中おばさん濃度」のいくばくかがあるからこそ、こんなことを考えているのだろうが。