陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

うがった見方?

2008-11-17 22:28:41 | weblog
以前、人の話をすぐに引き取って、「それってこういうことでしょ」とまとめる人がいて、同席しているとだんだん不快になってくるので、こまったことがあった。なぜそれが不快なのかその当時はよくわからなかったのだが、ここでチャールズ・バクスターの「グリフォン」を訳しているとき、ふとそのことを思い出したのだった。

代理の先生のフェレンチ先生は、ある生徒が「6×11=68」と答えたのを、「はい、よくできました」と言ってしまったため、そこから「代理の事実」とか、「高等数学では6×11が66にならない場合もある」などと怪しげなことをいう羽目になってしまう。

ところがここでだれかが「それは、先生がちゃんと聞いてなかったからそういうことになったんですね」と言ったとする。すると、それで話は終わってしまうのだ。

だが、子供たちはだれひとりそんなまとめ方をしない。フェレンチ先生の言葉を額面通り受け取った上で、先生の不思議な言葉を、ひとつひとつ自分たちが知っていることと照らし合わせながら、頭を悩ませる。だから話は続いていく。

人の言ったことをそのとおりに受け取らず、うがった見方をしてしまうと、その「見方」だけが「まとめ」となって、相手の言った「言葉」も、それまでのやりとりも、かき消えてしまうのである。

これはなんでもそうだ。「この本はおもしろいよ」と誰かが言ったとする。「どこがおもしろいの?」と聞けば、そこから話は続いていく。どんなところがおもしろい、ああ、そういう本は自分も読んだことがある、こういう話はどうだろう……。

ところが「この本はおもしろいよ」という発言を、「それって読んでることを自慢してるのね」と言ってしまえば、もうそこから話は拡がりようがないのだ。そうして、わたしたちの頭には「おもしろい本」ではなく、「自慢する××」という印象だけが残る。これでは不快になるのも無理はない。

うがった見方という言い方がある。「ものごとの本質をうまく的確に言い表す」と辞書には載っている。だが、「本質」というのはいったいなんだろう。「うまく的確に言い表す」ことが、ほんとうに大切なことなんだろうか。

人が「本質」というとき、あまり表に出ていることを指したりはしない。「あの人の本質は髪が長いことだ」とは絶対に言わない(ものすごく髪の毛を大切にしている平安時代の貴族のような人ならそういう場合はあるかもしれないが)。たいてい「本質」という言葉であらわされるのは「あの人の本質は善人だ」というふうに、表面に現れない部分を指す。

そうして、多くの場合、その人の評価だけでなく、それを指摘する人が、自分の「うがった見方」「本質を突いた見方」を誇る気持ちが、程度の差はあれ、含まれていると思うのだ。

けれど、評価をすることが、そんなに重要なのだろうか。わたしたちは別に学年末に成績をつけなくてはならない先生ではないのだ。人とつきあうということは、評価することとはちがう。となると、相手の「本質」を見きわめることよりも、言葉をそのまま受け取って、そこから会話を弾ませた方が、よほどいいのではないだろうか。

少なくとも、わたしはそういう人と話がしたい。

(※チャールズ・バクスターの最終回、このログの前にアップしています)

チャールズ・バクスター「グリフォン」最終回

2008-11-17 05:22:01 | 翻訳
最終回

 沈黙が続いた。やがて、キャロル・ピータースンが手を挙げた。

「いいわよ」フェレンチ先生は言った。カードの束を五つに分けて、ぼくの席の前のキャロルのところへ来た。「それぞれの束から一枚ずつカードを引くのよ」キャロルが〈聖杯〉の4と〈剣〉の6を引いたのはわかったが、そのほかのカードは見えなかった。フェレンチ先生はキャロルの机の上のカードをしばらく眺めていた。

「悪くないわ」先生は言った。「そんなに高い教育を受けることはないでしょうね。たぶん、結婚は早いわ。子供がたくさん。何か殺風景な、砂をかむようなものがここに出てるけれど、それが何かはわたしにはわからない。たぶん、主婦としてのこまごまとした毎日かもしれないわね。あなた、きっとうまくやるわよ、ほとんどのときには」そう言ってキャロルに笑いかけたが、その表情は、先生がたいして興味を引かれていないことを示していた。「つぎはだれ?」

 カール・ホワイトサイドがおそるおそる手を挙げた。

「わかりました」フェレンチ先生は言うと「あなたの運勢を占ってみましょうね」とカールの席まで歩いていった。カールが五枚カードを引くと、長いことそれを見つめていた。「旅」と言った。「とても遠いところへ旅に出る。軍隊に入るのかもしれないわ。ここにはあまり恋愛の問題は出ていない。結婚は遅い、もしするとしてもね。だけど大アルカナには〈太陽〉のカードが出ている。これはとてもいいカードよ」そこでクスッと笑った。「きっと幸せな人生を送ることになるわ」

 つぎに手を挙げたのはぼくだった。先生はぼくの未来を占ってくれた。ボビー・クリザノウィッツにも、ケリー・マンガーにも、イーディス・アトウォーターにも、キム・プアーにも同じことをしてやった。それから先生はウェイン・ラズマーの席に向かった。ウェインは五枚のカードを引き、そのなかに死に神のカードがあるのにぼくは気が付いた。

「あなたの名前は?」フェレンチ先生はたずねた。

「ウェインです」

「あのね、ウェイン」先生は言った。「あなたは大人になる前に、大きく変身を遂げる、つまり変化を経験することになるわ。あなたの大地の要素はまちがいなく高くのぼっていくことでしょう。あなたはとてもいい少年のようだから。このカード、〈剣〉の9は、あなたが苦難に遭遇し、みじめな境遇に陥ることを示しています。そうしてこの〈杖〉の10は、そうね、これは重荷」

「じゃ、これは何なんですか」ウェインは〈死神〉のカードを指した。

「これはね、坊や、あなたがまもなく死ぬということを意味しているの」先生はカードを集めた。ぼくたちはみんなウェインを見つめていた。「だけど恐れるには及ばないわ」先生は言った。「それはほんとうに死ぬということではないの。ただ、変化するということ。あなたの大地の状態が」先生はカードをヒブラー先生の机の上に置いた。「さあ、算数をやりましょう」


 ランチタイムになると、ウェインは校長のフェーガー先生のところへ行って、フェレンチ先生がやったことを知らせた。それから昼休みのあいだに、ぼくたちはフェレンチ先生が緑色の錆びたランブラー・アメリカンに乗って駐車場から出ていくのを見た。ぼくは滑り台の下に立って、ほかの子が滑っていく音や、お皿のように少しくぼんだ先に降り立つ音を聞いていた。そこでぼくは石ころを蹴ったり、自分の髪の毛を引っ張ったりしていたら、ちょうどそのときウェインが校庭に出てきたのが見えた。やつは笑っていたが、その顔は間抜け面もいいところだった。そうして右手の指をひらひらさせながら、みんなに自分がフェレンチ先生のことをどのように伝えたか、話していた。

 ぼくはほかのクラスの女の子ふたりをどかしてウェインの前に立った、やつは頭の悪そうな小さな目で、まじまじとぼくを見た。

「おまえがチクったんだ」ぼくは怒鳴っていた。「先生は冗談を言ってただけなのに」

「あんなこと、言っちゃいけないんだ」やつも怒鳴り返した、「算数をやる時間だったんだぞ」

「おまえぶるっちゃったんだろう」ぼくは言った。「弱虫、おまえほんとに弱虫だなあ、ウェインちゃん。あんな小さなカード一枚が怖かったぐらいだもんな」ぼくははやした。

 ウェインはぼくに飛びかかってくると、両のこぶしで交互にぼくの鼻をなぐりつけた。ぼくはやつのみぞおちに、強い一発をお見舞いし、つぎに頭をねらった。こぶしを固めたところで、やつが泣いているのがわかった。ぼくは殴りつけた。

「先生はまちがってない」ぼくは叫んだ。「先生はいつだって正しかったんだ! フェレンチ先生は嘘なんて言わなかった!」ほかの子たちも加わった。「おまえ、怖かっただけだろ。怖かっただけなんだ!」

 大きな手がぼくたちを引き離した。そうして今度はフェーガー先生に話をするのはぼくの番だった。


 午後になってもフェレンチ先生は戻ってこず、ぼくの鼻の穴には血のにじんだ脱脂綿が詰めてあったし、唇も腫れていた。ぼくたちのクラスは全員、六年を持っているマンティ先生のクラスにぎゅうぎゅうに押し込まれ、午後の理科の授業はそこでどぶや沼に住む昆虫の一生について教わった。ぼくはマンティ先生がどこに住んでいるか知っていた。先生はぼくの家の近所のクリアウォーター・パークにある新しいトレイラー・ハウスに住んでいるのだ。この先生には秘密などなにもなかった。

マンティ先生と、四年のもうひとりの先生であるボーダイン先生――四年の別のクラスの先生だ――は、なんとか四十五脚の机を教室に押し込んだ。ケリー・マンガーが、フェレンチ先生は逮捕されたんですか、と聞き、マンティ先生は、もちろんそんなことはありませんよ、と返事をした。

 その日の午後は帰りのバスが来るまで、ぼくたちはコオロギや二本の縞のあるバッタ、チャバネゴキブリやセミ、カ、ハエ、ガなどについて勉強した。昆虫の固い外側の殻の外骨格や、ふつうは口と呼ばれている、上唇、下顎、上顎、中舌を教わった。複眼も、卵から幼虫、さなぎを経て成虫にいたる四段階の変態も習った。ほかにも、交尾について、それほど深くはなかったが、ざっと習った。マンティ先生はたくみな手つきで、黒板にバッタの解剖図を描いた。ミツバチが、巣のなかのほかのハチに花粉の場所を教えようとダンスをすることも習った。ぼくたちは人間に対して害のある昆虫と、そうではない昆虫の区別をつけられるようになった。ぼくたちは、線の引いてある白いに紙に、肉眼で見ることのできる昆虫の一覧表を作り、また別の紙に、はっきりと見ることのできない昆虫、たとえばノミとかのような昆虫の一覧表を作った。マンティ先生はぼくたちに、明日までにこの表を暗記してくるのが宿題よ、と言った。明日はきっとヒブラー先生もいらっしゃって、あなたたちがわかっているかどうかテストなさいますからね、と。


The End



(※後日手を入れてサイトにアップします)