今日、電車に乗っていたら、とある駅から乗り込んで、もうそろそろラッシュアワー、徐々に混み始めてきた車内に席を見つけて座ったスーツ姿の男性が、トートバックから袋を取り出し、さらにそこからパック容器をとりだした。
片手でがっしりと容器の底をつかみ、蓋をあけると、牛丼の独特のにおいが車内いっぱいにひろがった。その男性は、割り箸を口にくわえて、容器を持っていない方の手で、バリッと箸を割ると、勢いよく食べ始めた。まるで掃除機が吸いこんでいくように、さぶさぶという音をたててかきこんでいき、食べ終わるとつぎの駅でおりていった。まるで牛丼を食べるためだけに電車に乗ったかのようだった。
あまりの早業に、わたしは目をそらすことができず、その人が食べている間中、目を釘付けにされていた。
最近では電車の中でものを食べている人を見ることもめずらしくなくなった。
パンやおにぎりなら若い女性でも平気で食べているし、静かにさせるためなのだろうが、小さな子供にお菓子を与えているお母さんもめずらしくない。中高年の女性も、おおっぴらではないにせよ、かばんの底から飴をとりだし口に入れる(ときどき見も知らない、たまたま向かいに座っただけのわたしにもくれようとする)。
先日は、夜、塾帰りらしい小学生が、透明のプラスティックの容器に入れた焼き鳥を頬張っていた。
立ったまま、片手はつり革につかまって、ハンバーガーを食べている人を見たこともある。
新幹線ならわかる。
発車間際に駅のホームで、お弁当とお茶と雑誌を買い、乗り込んでからそれを広げる人というのは、新幹線につきものの光景だ。実際、一時間も二時間も、さらにもっと乗ることになれば、食事の時間にもひっかかる。新幹線の構造も、それを見越して作られている。
だが、在来線となると話は別だ。ボックス席ならまだしも、横並びの席では、ずいぶん多くの人目にさらされることになる。せいぜい乗って三十分ほど。にもかかわらず、牛丼におにぎり、サンドイッチにハンバーガー、肉まん、ピザ、フライドチキン、クッキー、ポテトチップス、チョコレート、ありとあらゆるものを食べているのをこれまでに見てきた。
どうやら電車の中で何かを食べることは、「お行儀が悪い」ことでもなければ、恥ずかしいことでも、人目を気にすることでもなくなったらしい。
そんな時間も利用しなければならないほど、みんな忙しい生活を送っているのだろうか。
なんというか、「ものを食べる話」や「いっしょにゴハン」でも書いてきたのだけれど、わたしは「空腹を満たす」以上のものだとずっと思ってきたところがある。
とくに、人と一緒に食事をする、というのは、ともに食べることを通じて、その場を共有し、いろんなものをやりとりするものだと思っているので、かえって、そういう関係にない人の食べるところはあまり見たくないような気もする。
昨今ではTVを見てもやたらに食べている人が出てきて、ふだんならTVを見ないからいいのだけれど、たまにTVがついているところに行きあわせて、そういうのを見せられるのは、ちょっとつらいものがある。
だからそんなふうに、電車の中でものを食べているのは、これまで、あまり見ないようにしてきたのだ。
ただ、今日見た人の食べっぷりというのは、一種の技術で、見ていてなかなかおもしろいものだった。
電車の中で食べるというのも、こんなところまで来たのか、と思ったのだ。
これから先、もっと突拍子もないものを食べている人も出てくるだろう。そのとき、その人はどんなふうに食べているだろう。
そう考えると、ちょっと楽しみなような気もするのだ。
ただ、あまり近くにはいたくない、という気も、一緒にするのだが。
片手でがっしりと容器の底をつかみ、蓋をあけると、牛丼の独特のにおいが車内いっぱいにひろがった。その男性は、割り箸を口にくわえて、容器を持っていない方の手で、バリッと箸を割ると、勢いよく食べ始めた。まるで掃除機が吸いこんでいくように、さぶさぶという音をたててかきこんでいき、食べ終わるとつぎの駅でおりていった。まるで牛丼を食べるためだけに電車に乗ったかのようだった。
あまりの早業に、わたしは目をそらすことができず、その人が食べている間中、目を釘付けにされていた。
最近では電車の中でものを食べている人を見ることもめずらしくなくなった。
パンやおにぎりなら若い女性でも平気で食べているし、静かにさせるためなのだろうが、小さな子供にお菓子を与えているお母さんもめずらしくない。中高年の女性も、おおっぴらではないにせよ、かばんの底から飴をとりだし口に入れる(ときどき見も知らない、たまたま向かいに座っただけのわたしにもくれようとする)。
先日は、夜、塾帰りらしい小学生が、透明のプラスティックの容器に入れた焼き鳥を頬張っていた。
立ったまま、片手はつり革につかまって、ハンバーガーを食べている人を見たこともある。
新幹線ならわかる。
発車間際に駅のホームで、お弁当とお茶と雑誌を買い、乗り込んでからそれを広げる人というのは、新幹線につきものの光景だ。実際、一時間も二時間も、さらにもっと乗ることになれば、食事の時間にもひっかかる。新幹線の構造も、それを見越して作られている。
だが、在来線となると話は別だ。ボックス席ならまだしも、横並びの席では、ずいぶん多くの人目にさらされることになる。せいぜい乗って三十分ほど。にもかかわらず、牛丼におにぎり、サンドイッチにハンバーガー、肉まん、ピザ、フライドチキン、クッキー、ポテトチップス、チョコレート、ありとあらゆるものを食べているのをこれまでに見てきた。
どうやら電車の中で何かを食べることは、「お行儀が悪い」ことでもなければ、恥ずかしいことでも、人目を気にすることでもなくなったらしい。
そんな時間も利用しなければならないほど、みんな忙しい生活を送っているのだろうか。
なんというか、「ものを食べる話」や「いっしょにゴハン」でも書いてきたのだけれど、わたしは「空腹を満たす」以上のものだとずっと思ってきたところがある。
とくに、人と一緒に食事をする、というのは、ともに食べることを通じて、その場を共有し、いろんなものをやりとりするものだと思っているので、かえって、そういう関係にない人の食べるところはあまり見たくないような気もする。
昨今ではTVを見てもやたらに食べている人が出てきて、ふだんならTVを見ないからいいのだけれど、たまにTVがついているところに行きあわせて、そういうのを見せられるのは、ちょっとつらいものがある。
だからそんなふうに、電車の中でものを食べているのは、これまで、あまり見ないようにしてきたのだ。
ただ、今日見た人の食べっぷりというのは、一種の技術で、見ていてなかなかおもしろいものだった。
電車の中で食べるというのも、こんなところまで来たのか、と思ったのだ。
これから先、もっと突拍子もないものを食べている人も出てくるだろう。そのとき、その人はどんなふうに食べているだろう。
そう考えると、ちょっと楽しみなような気もするのだ。
ただ、あまり近くにはいたくない、という気も、一緒にするのだが。