いまの子供はそんなことはしないのだろうか。わたしが幼稚園から小学校の低学年にかけて、友だちの家に何度か泊まりにいったことがある。
大きな家の応接室にはバーカウンターのついていて、不思議な形をした洋酒のびんがずらりと並んで、そこの家の子に順番になめさせてもらったこともあるし、大きなステレオでディズニーのレコードを聴いたこともある。夜の早い家に行ったときは、七時を過ぎるともう部屋の電気を消して寝かされて、もちろんそんな時間に眠れるはずもなく、人の家ということもあって、ほとんど一晩中、暗い天井を眺めていたような気がする。
夏休みに泊まりにいって、翌日、そこの家の子とふたり、お母さんが先生をしている小学校のなにかのイヴェントに連れていってもらったこともあった。
いまでも忘れられないのは、あかねちゃんという子の家に泊まりにいったときのことだ。
そんなに大きな家ではない、平屋の古い家だったのだが、犬が三匹もいて、子犬が家の中を駆け回っていた。あかねちゃんには中学と高校のお姉さんがふたりいて、一家全員がものすごく楽しそうなのだった。
ご飯の時間になると、子供たちがちゃぶ台を拭いたり、皿を並べたり、それぞれに仕事が割り振られている。わたしも一緒に手伝ったのだが、そのあいだも、たえまなく誰かが冗談を言い、誰かが歌手のまねをしてふりつきで歌い、みんなが笑っているのだった。
晩ご飯のあいだもTVを見ながら、お父さん、お母さんを含めた一家全員が笑い転げているのだ(たぶん萩本欽一の番組をやっていたのだと思う)。『若草物語』を現代に置き換えたよう、というかなんというか、ともかく絵に描いたような家族の仲睦まじいさまを見て、わたしは船酔いでもしたような気分だった。
そのころわたしがあかねちゃんと仲が良かったのは、そこの家の雰囲気が大きな理由だったのかもしれない。
こうした経験を通じて、わたしは家庭生活というものは、家によってひどくちがうのだ、ということを実感していった。家に入った瞬間に、その家独特のにおいを感じるように、その家での決まりごとは、それぞれにあった。
大皿に盛った沢庵を、箸をひっくり返して取る、というのも、この「お泊まり」に行った先の家で、そこの家の人がやっているのを見て知ったことだ。わたしの家では大皿にみんなが箸を延ばす、ということはなかったために、回ってきた沢庵をそうやって取るそこの家の人の見よう見まねで、わたしも箸をひっくり返した。
畳の部屋には、かならず新しい靴下に履き替えて入らなければならない家もあった。その理由もよくわからないまま、言われたとおり、翌日の分として持ってきていた靴下にはきかえて、その畳敷きの部屋へ入った。わたしにとって理解できない不思議な「決まり」も、そこの家の子にしてみれば、生まれたときからそう決まっている、当たり前のことなのだ。
そうしてまた、自分の家にいるときには気がつかなかった自分の家のにおいにも気がついた。天井の高い、広い家に泊まりに行って、帰ってきた日曜の朝は、家がことのほか狭く薄暗く感じられ、父親がまだ寝ていたり、弟が作った粘土細工がそこらじゅうにあるのをうっかり踏んでしまって、わあわあ泣きだし、飛んできた母にひどく叱られたりしたときには、ここへ帰らなければならなかった自分の運命を呪いたくもなったものだ。
もちろんわたしの家にお泊まりに来ることもあった。
だが、そういうときは食事はふだんより二割ほど良くなったし、友だちから「優しそうなお母さんね」と言われ、内心どこが? と思いながらも、やはりうれしかったのだ。
そこにいつもあるものを気がつくためには、いったん外に出て、外の目が必要だということを、わたしはこうやって知ったのだった。
-----
昨日サイトにアップしたんですがうまく反映できなくて、今日になってしまいました。
ヘミングウェイ「白い象のような山並み」サイト更新しました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html
大きな家の応接室にはバーカウンターのついていて、不思議な形をした洋酒のびんがずらりと並んで、そこの家の子に順番になめさせてもらったこともあるし、大きなステレオでディズニーのレコードを聴いたこともある。夜の早い家に行ったときは、七時を過ぎるともう部屋の電気を消して寝かされて、もちろんそんな時間に眠れるはずもなく、人の家ということもあって、ほとんど一晩中、暗い天井を眺めていたような気がする。
夏休みに泊まりにいって、翌日、そこの家の子とふたり、お母さんが先生をしている小学校のなにかのイヴェントに連れていってもらったこともあった。
いまでも忘れられないのは、あかねちゃんという子の家に泊まりにいったときのことだ。
そんなに大きな家ではない、平屋の古い家だったのだが、犬が三匹もいて、子犬が家の中を駆け回っていた。あかねちゃんには中学と高校のお姉さんがふたりいて、一家全員がものすごく楽しそうなのだった。
ご飯の時間になると、子供たちがちゃぶ台を拭いたり、皿を並べたり、それぞれに仕事が割り振られている。わたしも一緒に手伝ったのだが、そのあいだも、たえまなく誰かが冗談を言い、誰かが歌手のまねをしてふりつきで歌い、みんなが笑っているのだった。
晩ご飯のあいだもTVを見ながら、お父さん、お母さんを含めた一家全員が笑い転げているのだ(たぶん萩本欽一の番組をやっていたのだと思う)。『若草物語』を現代に置き換えたよう、というかなんというか、ともかく絵に描いたような家族の仲睦まじいさまを見て、わたしは船酔いでもしたような気分だった。
そのころわたしがあかねちゃんと仲が良かったのは、そこの家の雰囲気が大きな理由だったのかもしれない。
こうした経験を通じて、わたしは家庭生活というものは、家によってひどくちがうのだ、ということを実感していった。家に入った瞬間に、その家独特のにおいを感じるように、その家での決まりごとは、それぞれにあった。
大皿に盛った沢庵を、箸をひっくり返して取る、というのも、この「お泊まり」に行った先の家で、そこの家の人がやっているのを見て知ったことだ。わたしの家では大皿にみんなが箸を延ばす、ということはなかったために、回ってきた沢庵をそうやって取るそこの家の人の見よう見まねで、わたしも箸をひっくり返した。
畳の部屋には、かならず新しい靴下に履き替えて入らなければならない家もあった。その理由もよくわからないまま、言われたとおり、翌日の分として持ってきていた靴下にはきかえて、その畳敷きの部屋へ入った。わたしにとって理解できない不思議な「決まり」も、そこの家の子にしてみれば、生まれたときからそう決まっている、当たり前のことなのだ。
そうしてまた、自分の家にいるときには気がつかなかった自分の家のにおいにも気がついた。天井の高い、広い家に泊まりに行って、帰ってきた日曜の朝は、家がことのほか狭く薄暗く感じられ、父親がまだ寝ていたり、弟が作った粘土細工がそこらじゅうにあるのをうっかり踏んでしまって、わあわあ泣きだし、飛んできた母にひどく叱られたりしたときには、ここへ帰らなければならなかった自分の運命を呪いたくもなったものだ。
もちろんわたしの家にお泊まりに来ることもあった。
だが、そういうときは食事はふだんより二割ほど良くなったし、友だちから「優しそうなお母さんね」と言われ、内心どこが? と思いながらも、やはりうれしかったのだ。
そこにいつもあるものを気がつくためには、いったん外に出て、外の目が必要だということを、わたしはこうやって知ったのだった。
-----
昨日サイトにアップしたんですがうまく反映できなくて、今日になってしまいました。
ヘミングウェイ「白い象のような山並み」サイト更新しました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html