サキ「立ち往生した牡牛」~前編~
--------------------------------------------------------------------------------
テオフィル・エシュレイは画家を職業としており、いきがかり上、牛画家ということになっていた。そういっても彼が農場を経営しているわけでも、酪農家というわけでもない、角やら蹄やら、乳搾りの時に腰かける椅子や焼き印を押す鉄のこてなどに囲まれているわけでもなかった。彼の家は自然公園のような、別荘が点在する地域にあって、かろうじて「郊外族」という汚名を免れていた。庭の片側は小さな、絵のような牧草地に隣接しており、やり手の隣人がそこで小さな、絵のようなチャネル・アイランド種の牝牛を何頭か飼っている。夏のお昼どきには、牝牛たちは膝の高さまで届く牧草に立ち、うっそうと立ち並ぶクルミの木漏れ日をまだらに受けて、その毛はハツカネズミのようにつややかに光っていた。エシュレイは、安らかな二頭の乳牛がクルミの木の下におり、牧草と木漏れ日というモチーフを思いつき、実行に移した。王立美術院は夏期展覧会の期間、同じ題材の絵をしかるべくやりかたで展示していたのである。王立美術院はその傘下にあるものたちの従順さと系統的やりかたを称揚する。エシュレイはクルミの木の下で絵のようにまどろむ牛の絵を描き、成功裏に受け入れられた。そうしていったん始めたからには必要に迫られてそれを続けたのである。
彼の《真昼の平和》、クルミの木の下の二頭の焦げ茶色の牝牛の習作につづいて、《真昼のサンクチュアリ》、これは一本のクルミの木の習作で、木の下には二頭の焦げ茶色の牝牛がいた。以降順を追って《アブも踏むを怖るるところ》、《家畜の楽園》、《酪農地帯の夢》、いずれもクルミの木と焦げ茶色の牛の習作だった。二枚の野心作、自分の従来のやり方をうち破ろうとする試みは、手ひどい不評にさらされた。《ハイタカに怯えるキジバト》と《カンパニャーノ・ディ・ローマのオオカミたち》は箸にも棒にもかからない駄作という評価を得て、アトリエに送り返された。そうしてエシュレイは《まどろむ乳牛が夢みる木陰》という作品で、栄誉に返り咲き、衆目を集めたのだった。
晩秋のある気持の良い昼下がり、彼が牧草の習作に最後の仕上げをしていると、隣人のアデラ・ピングスフォードがアトリエのドアをものすごい勢いでガンガン叩いた。
「庭に牡牛がいるのよ」それが嵐のごとくの襲来の説明だった。
「はぁ、牡牛が」エシュレーはきょとんとした顔で、いささか呆けたように言った。「何種の牡牛です?」
「そんなの知らないわよ」このレディは語気も荒くそう言った。「そんじょそこらにいるような牡牛よ、俗っぽい言い方をしたら。わたしが言っているのはそんじょそこらがウチだってこと。わたしの庭はちょうど冬に備えてちょうどならしたところなの。そこに牛がうろつくんですもの、ひどいことになるわ。おまけにキクが咲き始めたのよ」
「どうやって牛は庭に入ったんだろう?」エシュレイが聞いた。
「たぶん門からじゃない?」いらだたしげに言った。「塀をよじのぼったとは思えないし、牛肉エキスの宣伝をかねて、飛行機で空から落としたわけがないし。目下の重大問題は、どうやって入ってきたかじゃなくて、どうやって追い出すかでしょ」
「出て行かないんですか?」
(後半は明日)
--------------------------------------------------------------------------------
テオフィル・エシュレイは画家を職業としており、いきがかり上、牛画家ということになっていた。そういっても彼が農場を経営しているわけでも、酪農家というわけでもない、角やら蹄やら、乳搾りの時に腰かける椅子や焼き印を押す鉄のこてなどに囲まれているわけでもなかった。彼の家は自然公園のような、別荘が点在する地域にあって、かろうじて「郊外族」という汚名を免れていた。庭の片側は小さな、絵のような牧草地に隣接しており、やり手の隣人がそこで小さな、絵のようなチャネル・アイランド種の牝牛を何頭か飼っている。夏のお昼どきには、牝牛たちは膝の高さまで届く牧草に立ち、うっそうと立ち並ぶクルミの木漏れ日をまだらに受けて、その毛はハツカネズミのようにつややかに光っていた。エシュレイは、安らかな二頭の乳牛がクルミの木の下におり、牧草と木漏れ日というモチーフを思いつき、実行に移した。王立美術院は夏期展覧会の期間、同じ題材の絵をしかるべくやりかたで展示していたのである。王立美術院はその傘下にあるものたちの従順さと系統的やりかたを称揚する。エシュレイはクルミの木の下で絵のようにまどろむ牛の絵を描き、成功裏に受け入れられた。そうしていったん始めたからには必要に迫られてそれを続けたのである。
彼の《真昼の平和》、クルミの木の下の二頭の焦げ茶色の牝牛の習作につづいて、《真昼のサンクチュアリ》、これは一本のクルミの木の習作で、木の下には二頭の焦げ茶色の牝牛がいた。以降順を追って《アブも踏むを怖るるところ》、《家畜の楽園》、《酪農地帯の夢》、いずれもクルミの木と焦げ茶色の牛の習作だった。二枚の野心作、自分の従来のやり方をうち破ろうとする試みは、手ひどい不評にさらされた。《ハイタカに怯えるキジバト》と《カンパニャーノ・ディ・ローマのオオカミたち》は箸にも棒にもかからない駄作という評価を得て、アトリエに送り返された。そうしてエシュレイは《まどろむ乳牛が夢みる木陰》という作品で、栄誉に返り咲き、衆目を集めたのだった。
晩秋のある気持の良い昼下がり、彼が牧草の習作に最後の仕上げをしていると、隣人のアデラ・ピングスフォードがアトリエのドアをものすごい勢いでガンガン叩いた。
「庭に牡牛がいるのよ」それが嵐のごとくの襲来の説明だった。
「はぁ、牡牛が」エシュレーはきょとんとした顔で、いささか呆けたように言った。「何種の牡牛です?」
「そんなの知らないわよ」このレディは語気も荒くそう言った。「そんじょそこらにいるような牡牛よ、俗っぽい言い方をしたら。わたしが言っているのはそんじょそこらがウチだってこと。わたしの庭はちょうど冬に備えてちょうどならしたところなの。そこに牛がうろつくんですもの、ひどいことになるわ。おまけにキクが咲き始めたのよ」
「どうやって牛は庭に入ったんだろう?」エシュレイが聞いた。
「たぶん門からじゃない?」いらだたしげに言った。「塀をよじのぼったとは思えないし、牛肉エキスの宣伝をかねて、飛行機で空から落としたわけがないし。目下の重大問題は、どうやって入ってきたかじゃなくて、どうやって追い出すかでしょ」
「出て行かないんですか?」
(後半は明日)