陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

どう考えたらいいのかよくわからない話

2007-05-05 22:54:01 | weblog
英会話教室でバイトをしていたころの話だから、ずいぶん前のことだ。
あるときアメリカ人講師からこれはどういうことなんだろう、と聞かれたことがある。

彼がデパートの入り口の喫煙場所でタバコを吸っていたところ、十代後半ぐらいの女の子(日本人は若く見えるからほんとうは二十代かもしれないけれど、と彼は言い添えた)どちらにしても若い女の子がやってきて、彼のジャケットの肘を引っ張って、話しかけてきたらしい。しきりに何か訴えているのだが、なにぶん早口で何を言っているのかわからない。「もっと、ゆっくり、おねがいします」と日本語で頼んだが、それでもその調子で話し続ける。しだいに、単語自体は日本語でも、全体として意味をなしていないのかもしれない、という気がしてきた、という。
ただ、平日の昼間で、酔っているとか薬物でラリっている、という感じではなかった。

そこへ中年の女性が来て、彼の手を引っぱって彼女から引き離すと、女の子を追い払ったのだという。まるで、犬を追い払うような手つきで、厳しい、叱りつけるような声を出して。

“それからぼくに、「気をつけて」と言った。どういうことだったんだと思う? 彼女はなんのつもりでそんなことをしたんだろう”

わたしはその話を聞いて、そのとき、こんなふうに答えた。
おそらくその中年女性はあなたを護ろう(protect)としたのだと思う、と。

すると、彼は、ぼくを? とひどく驚いたのだった。誰から?

彼女から。

どうして? ぼくは体だってこんなに大きい。彼女は、そう、君よりもっと身長も低くて小さかった。ぼくを護る必要はないよ。じゃ、彼女から「ガイジン」を隔離しようとしたんだろうか。

そうではなくて。たぶん親切のつもりだったんじゃないかな。
日本のことを知らない外国の人が、知的障害の子にからまれて困ってる、なんとかしてあげなきゃ、って、そういう行動に出たんだろうね。

それはちがうと思う、と彼は納得しなかったし、わたしも自分の推測でしかないものをそれ以上説明するつもりもなかった。

こんなことを思いだしたのは、今日、わたしが似たような場面に遭遇したからなのだった。
スーパーで腰の曲がったおばあさんに話しかけられたのだ。何を言っているのかよくわからない。困っていると、おばさんがあいだに入ってきて「はいはい、おばあちゃん、わかったからね」と言うと、わたしを向こうに引っぱって「あんた、知らんの? 相手にしたらあかんよ」と言ったのだった。

そのおばさんも、その昔、アメリカ人に対しておなじようなことをした中年女性も、おそらく親切のつもりだったのだろう。
ただ、その親切は、どう考えてもポイントがずれているように思うのだ。

確かにわたしはとまどっていたし、そういうときにどうするのが「適切な行動」といえるのかもわからなかった。それでも、そのときに救助は必要ではなかったし、何らかの助けが必要だとしたら、わたしではなく、その小さなおばあさんのはずである。

たいていの人は、たいていのとき、他人に対して親切なのだと思う。
一方で、「親切」を必要としている人と、そこまで必要としていない人がいる。
おそらく、必要としていない人の方が、わたしたちに「近しい」。
遠い人というのは、よくわからないから、少し、怖い。
だから、「近しい」、本当なら、必要としていない側の人に対して、親切を振り向けてしまうのではないか。
相手をまちがえた「親切」は、もうひとりの相手を傷つけることになるのかもしれないのに。

人に何かをする(しないことも含めて)というのは、むずかしいものだと思う。