陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

この話、したっけ  ~仕事を考える~その4.

2007-05-01 22:43:18 | weblog
4.それでも働くことは大切なこと

エドマンド・ウィルソンの1930年代のエッセイを読んでいると、暗澹とした気持ちになってくる。
 不況以来(※1929年の大恐慌のこと)、自殺率は増加している。一九二六年、サンディエゴには五七件の自殺があった。一九三〇年の九ヶ月のあいだには七一件。そして、一九三一年一月の初めから七月の終わりまでで、すでに三六件である。検死官の記録には、後者のうちの三件は「失業あるいは無収入」という理由がシルされている。二件は「財政上の問題からくる意気消沈」。一軒は「病苦と財政問題」。一件は「健康と集金失敗」。一件は「家賃不払い」。医者の話によれば、老人のなかには親戚たちにサンディエゴに来させてもらったものの、最近その送金が削減されたために、自尊心から救貧院に行くよりも自殺を選ぶ人たちがいるとのことである。
(「飛び降り自殺の名所」『エドマンド・ウィルソン批評集Ⅰ 社会・文明』中村紘一・佐々木徹訳 みすず書房)

いろんな地域のさまざまな貧困の様相が描かれていく。
だが、何も1930年代のアメリカのエッセイを読むまでもなく、現代の日本でも同じような実例を探すことはむずかしくないのだろう。

かつてのような好況というのがもはや望めなくなり、雇用の形態もどんどん変わっていく。
いまは派遣やパート・アルバイトなど、時間労働者の割合がふえ、その一方で、最初の美容師さんや幼稚園の先生の例に見られるように、経営者の側が、技術と経験を持った労働者より、低賃金で抑えられる労働者を好むという傾向も、一般的になりつつあるのかもしれない。

そういうなかで働く側も、仕事自体が社会の役に立っている、と考えることもむずかしくなり、したがって、勤勉は美徳、と考えることもできなくなった。

だからこそ、わたしたちはいっそう「仕事」について、自分たち自身で考えていかなくてはならなくなっている。自分が仕事に何を望むか、どんな仕事を必要としているのか、仕事を通して、自分が何を得ることができるのか。
何も考えないまま、「人並みに就職して…」という発想では、やっていけなくなっている。
だがこうしたことは、わからなければ仕事に就けないのではなく、仕事をするなかで、試行錯誤しながら見つけていくしかないのだろう。

もちろん、適当に見つかる職をなんであれ仕事としてやって、ある程度稼げれば、それなりの生活をして、あまり多くを望まなければいい、という考え方もある。
けれども、それは時間をやり過ごすのと、たいして変わらないのではないか。
好きなものを買って、好きなものに囲まれて暮らす?
「好きなもの」はまたたくまに古くさい物、ガラクタになってしまう。どこまでいってもほしい物はなくならない。

そんな生活は楽しいんだろうか?

自分が初めて働いたのは、ジャスコの棚卸しのバイトだった。
二日間だけの、時給が750円だったのは、いまでも覚えている。
パートの人が商品のチェックをしていくのについて、クリップボードに記入していった。調味料ひとつとっても、驚くほどの商品の種類があるのを知り、いままで何度となく前を通ったはずの売り場を自分が何も見ていなかったことを知った。つまり、わたしはその仕事を楽しんだのだった。

それから、さまざまな仕事をした。
どんな仕事でも、やる前は知らなかったことを知ったし、できなかったことができるようになった。
仕事は、どんな仕事であっても、少なからず単調で、退屈で、つまらない側面はある。義務もあるし、望まない責任もある。もしかしたら、正当に評価されない、と感じることのほうが多いのかもしれない。

それでも、働くということは、学ぶことなのだと思う。
生きることが学ぶということであるように。
知らないことを知る。
できないことができるようになる。
これ以上に楽しいことがあるんだろうか、と、やはりわたしは思うのだ。


(この項終わり)