陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「話し上手」

2007-05-07 22:51:16 | 翻訳
今日からサキの短編をいくつか訳していきます。
短いので、だいたい前後編に分けて、三つぐらい訳してみたいと思っています。
第一話は「話し上手」
原題は"The Story-Teller"http://www.readbookonline.net/readOnLine/392/で読むことができます。

* * *

サキ・コレクション vol.2

「話し上手」(前半)

ある暑い日の昼下がり、汽車の客室も同様に蒸し暑く、つぎの停車駅テンプルクームまでは一時間ほどあった。客室にいるのは小さな女の子と、それよりさらに小さな女の子、それと小さな男の子だった。子供たちの伯母さんが隅の席に座り、反対側の隅には、彼らとは赤の他人の独り者の男が腰を下ろしていたが、わがもの顔で客室をふさいでいたのは、小さな女の子ふたりと男の子だった。伯母さんといい子供たちといい、同じような話を延々と繰りかえし、追えども寄ってくる、こうるさいハエのようだった。伯母さんのほうは、口を開けば「だめ」で始まるせりふ、子供たちのほうは「どうして」で始まるせりふと決まっているらしい。独り者はひとこともことばを発しなかった。
「だめよ、シリル、だめですよ」伯母さんが金切り声を出す。男の子は座席のクッションを叩いて、一撃ごとにもうもうと立ち上る埃で雲を巻きあげている。

「こっちへきて窓の外を見てごらんなさい」伯母さんは言葉を継いだ。

 男の子はしぶしぶと窓際へ来た。「どうしてあの羊は原っぱから追い出されてるの?」

「もっと草のある別の原っぱへ連れていかれるところなのよ、きっと」そう答える伯母さんの声は力がない。

「だけどあそこだっていっぱい草があるよ」男の子は抗議した。「草しかないじゃないか。伯母さん、あの原っぱには草がうんとあるよ」

「たぶんほかの原っぱのほうがいい草があるのよ」と伯母さんは説得力のないことを言った。

「なんでそっちのほうがいいの」即座に当然の質問が放たれる。

「あら、あっちに牛がいるわ!」伯母さんは大きな声で言った。線路沿いに広がる草地にはいたるところに牝牛も雄牛もいたのだが、まるで、めずらしい生き物だから見てごらん、とでも言いたげなくちぶりである。

「どうしてほかの原っぱの草のほうがいいの?」シリルと呼ばれた子は追求した。

 独身男の顔の寄せた眉間の皺はいよいよ深くなり、渋面になった。なんて冷たい、冷酷な人なんでしょう、と伯母さんは胸の内で判断した。ほかの原っぱの草については、満足させられそうな解答を与えることなど、とうていできそうになかったのだ。

 小さい方の女の子は、気晴らしにキプリングの『マンダレイへの道』を朗読することに決めたらしい。知っているのは第一行目だけだったようだが、その限られた知識を可能なかぎり十全に利用した。第一行目ばかりを、夢みるような、しかし、毅然とした響き渡る声で、何度も何度も繰りかえす。独身男は、だれかが彼女と、休みなしに二千回繰りかえすことはできないだろう、と賭けをしたにちがいない、と思ったのだった。それが誰であったにせよ、負けるのは彼の方らしい。

「こっちへいらっしゃい、お話をしてあげるから」独身男が自分に二度、非常通報コードに一度、目をやったのを見て、伯母さんはそう言った。

 子供たちはのろのろと伯母さんのいる隅の方へ寄っていった。伯母さんの語り手としての評判は、どう見ても、芳しいものとはいいがたいようである。

 しじゅう大声で不機嫌な質問で中断をよぎなくされながらも、低い、密やかな声で伯母さんは、めりはりもなくひどく退屈な話を始めた。それは善良な小さな女の子が、その善良さゆえにすべての人から愛され、その道徳的な性質を愛する多くの人々によって、最後は猛々しい雄牛から救われる、という話だった。

「その人たち、もしその子がいい子じゃなかったら、助けてあげなかったのね?」と大きい方の女の子が聞いた。これは独身男も知りたかった疑問点だった。

「まあ、そんなことはないんじゃないのかしらね」伯母さんはしどろもどろに答えた。「でもその子がそこまで好きじゃなかったら、そんなふうに大急ぎで走っていって助けたりはしなかったと思いますよ」

「これ、わたしがいままで聞いたお話のなかで、一番ばかみたいなお話ね」大きい方の女の子が確信をこめて断言した。

「ぼくなんか最初のほう、ちょこっと聞いただけだった。だってくだらないからさ」とシリルも言った。

小さい方の女の子は、話について実際に論評することはなかったが、ずいぶん前からお気に入りの一節を、小さな声で繰りかえし暗唱しているのだった。

「お話はどうやら成功なさったとはいいがたいご様子ですね」と、急に独身男が一隅から言った。

(明日、後半です)