奇跡への絆

図師ひろき

卒業式での誓い

2011年03月01日 22時42分48秒 | Weblog


 卒業式が終って、教室に帰った来たとき、私はクールでした。

 “仰げば尊し”でウルウルすることもなく、晴れ晴れしい気持ちで歌い上げたことを覚えています。

 教室では担任の先生が、卒業してからの心得をとくとくと話され羽目を外さないよう釘をさされていましたが、尾崎豊の“卒業”の影響を受けていたのか、支配されていたこともないのに解放感に浸り、まだ見ぬキャンパスライフに想いを馳せていました。

 先生の話が終ると、今度は生徒一人一人教壇に立ち、卒業式に来てくれた親を前にして、3年間の思い出を言葉にしました。

 順番が来て、人前で話をするのに緊張をする方でない私は

 「あんまり長く話すなよ~」

 などと友だちに冷やかされ、ニヤニヤしながら教壇に立ちました。

 教室の真ん中あたりに、お袋がポツンと立っていました・・・

 急に小さくなったお袋がいました・・・

 私はワナワナと泣き始め、教室の笑い顔が止まりました。

 お袋は、もらい泣きをすることなく、目に力を込めて、ハンカチも持ち合わせていないでぐちゃぐちゃな私を、じっと見ていました。

 私が高校のとき、家庭内の会話はほとんどありませんでした・・・

 その家庭を必死に支え、絆を繋ぎ止めてくれたのが、お袋でした。

 お袋の顔を見ていると、冷たく流れた家での時間がよみがえり、俺はそこから逃げ出せることにせいせいしているのかもしれない・・・お袋は、まだ家庭に残り、妹を守らなくてはいけない・・・泣かないのではなく泣けないんだ・・・俺は卑怯だ・・・辛いことを押し付け、一人逃げ出そうとしている・・・そんな想いが去来していたかもしれません・・・

 話そうとしていたありきたりのお礼の言葉と一緒に、大学生活を夢見る浮ついた気持ちは吹き飛び

 「・・・大学でしっかり勉強して、帰ってきて必ず親孝行するから、その時までお母さんも頑張ってください・・・」

この時、私は間違いなく何かを学びました・・・直向さ・・・愚直さ・・・強さ・・・

席に戻ってからも、女々しく泣き続け、泣きつかれた赤い眼のままの集合写真が残っています。

 誓いの通り、大学では勉学とボランティア活動に励み、取れるだけの資格を取り、卒業後は古賀総合病院に就職し、ずっと実家での生活をしていますが、まだまだ約束は果たせていません・・・

 それどころか4年に1度、さらにお袋を小さくしてしまうほどの苦労をかけています・・・

 ごめんなさい・・・そしてありがとう。

 必ず親孝行するから!