日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

『古語短歌物語 花の風[読み仮名・現代語訳付]』第5巻(後半)

2010年12月15日 | 日記
男は時折、女に似た人を見てはっとすることがあった。

まれにみる いもがにすがたに めをとめて みしらぬひとに はしきなをよぶ
稀に見る 妹が似姿に 目を留めて 見知らぬ人に 愛しき名を呼ぶ

(ときおりあなたに似た人を見かけて、別人だとわかっても、あなたのいとしい名前を口ずさまずにはいられません)

その後の男の単調な人生は、遠ざかったり近づいたりする女の面影に向って、歌を詠むことだけが、折々の密かな祝祭になった。

さざなみの あとよりおそう おおなみに こころおどろき ひきしおをおう

さゞ波の あとより襲ふ 大波に 心驚き 引き潮を追ふ

(寄せては返すさざ波のあとから、大きな波が打ち寄せて、はっとした私は、その引き潮を目で追いました)

男は遠く離れた女に語りかけるように、一つ一つの歌を詠んだ。

おおはまの ながきみぎわに うちよする しきなみのおと いもときかなくに
大浜の 長き汀に 打ち寄する 頻波の音 妹と聞かなくに

(大きな砂浜の長い汀に、波がしきりに打ち寄せています。波が泡立つ快い音は、いつまでも途切れることはありませんが、この音をあなたといっしょに聞けたらどんなに喜ばしいでしょう)

おおはまの みぎわをわたる みずとりの さうにゆきかい ねをなきかわす
大浜の 汀を渡る 水鳥の 左右に行き交ひ 音を鳴き交はす

(大きな砂浜の汀を、水鳥があちこち飛び交い、鳴き交わしていますが、離れたり近づいたりする様子が、胸に迫ります)

おおはまの なみのまにまに うきしずむ にわのみずとり みえずなりにき
大浜の 波の間に間に 浮き沈む 二羽の水鳥 見えずなりにき

(大きな砂浜の、波間を飛び交って、浮き沈みして見えていた二羽の水鳥が、どこへいったのか、見えなくなりました)

この世の苦しさも惨めさも、つまらない景色もありふれた出来事も、歌の中では美しい形や動きとなって残った。

あいみずわ こいざらましを いもをみて もとなかくのみ こいばいかんせん
相見ずは 恋ひざらましを 妹を見て もとなかくのみ 恋ひばいかにせむ

(あなたに会うことがなければ、恋することもなかったのに、あなたに会ってから、自分でもどうしようもなく、こんなに恋しく思っています)

古今のなつかしい歌と、愛しい女の面影が、男の周りにいつも漂っていた。

あまおとの かくなつかしき ゆえしれず むなさわぎする きぎのうればに
雨音の かく懐かしき 故知れず 胸騒ぎする 木々の末葉に

(雨の音が、こんなに懐かしいのは、なぜでしょうか。木々の梢葉をみると、胸騒ぎがしてなりません)


あまおとに このはさやげる なにごとの かくなつかしき しるすべもなく
雨音に 木の葉さやげる 何事の かく懐かしき 知る術もなく

(雨の音に木の葉がざわめいています。何がこんなに懐かしいのか、知るすべもありません)

なおやまぬ しぐれぞかくわ なつかしき ふりにしよよの あとをたどりつ
なほ止まぬ 時雨ぞかくは 懐かしき 経りにし世々の 跡を辿りつ

(いつまでも降り止まない時雨が、このように懐かしいのはなぜか、過ぎ去った昔のことを、ひとつひとつ思い出してみましょう)

よるのあめの おとにたぐえる いもなれや ふりしまされば わがこいまさる
夜の雨の 音にたぐへる 妹なれや 降りしまされば 我が恋ひまさる

(夜に降る雨の音が、あたなに似つかわしいのか、あなたを思い出させ、雨脚が強くなるにつれ、あなたを恋しく思う気持ちがつのります)

ふりやまぬ しぐれにぬるる こずえばの しずくとゆらぐ よよのさびしさ
降り止まぬ 時雨に濡るゝ 梢葉の 雫と揺らぐ 世々の寂しさ

(降り止まない時雨に、濡れた木々の梢葉から雨の雫が滴っています。ゆらめく雫が、過ぎ去った時代の、慰めようのない寂しさのようです)


さきつよの ことさまざまに おもいやる よよのうれいわ おくかもしらず
前つ世の こと様々に 思ひやる 夜々の憂ひは おくかも知らず

(昔のことをさまざまに思っても、どのようなことがあったのか思い出せないことばかりで、取り返しのつかない苦しみだけが果てしなく続きます)

めざむれば ゆめもうつつも へだてなき わがみひとつの おもいにぞある
目覚むれば 夢も現も 隔てなき 我が身一つの 思ひにぞある

(私は目覚めているときも、夢の中でもほとんど違いがなく、思うことにも変わりはなくなり、いつも同じことを考えています)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする