日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

詠み人知らず

2011年07月19日 | 日記
 詠み人知らずの歌には、わかりやすく、かつ気持ちが深いという、芸術の理想に近い、すばらしいものがあります。たとえば、玉葉の雑歌5にある、つぎの歌など、宣伝もなく伝わってきたのは、時を超えてそのつど共感を呼んできたからです。

憂きながら いく春秋を 過ごしきぬ 月と花とを おもひでにして(読人しらず)
(つらいことはあったが、月や花の美しい思い出を重ねて、長い年月を過ごしてきたことだ)

 ときに人生を振り返る、万人の感情を代表する歌です。この歌は、通俗的でありながら高雅、平凡でありながら時空を超えた雰囲気を持っています。
 私が連想するのは、芭蕉の「さまざまのこと思い出す桜かな」という句や、かなり連想が飛びますが、ボブ・ディランの「風に吹かれて」という歌です。
 玉葉の編者、京極為兼になると、同じような情緒はつぎのような歌になります(春歌、秋歌、冬歌)。人生や人情の描写は、為兼の得意とするところではないので、いずれも上出来とは言いがたい作品です。

めぐり行かば 春にはまたも 逢ふとても 今日のこよひは 後にしもあらじ(為兼)

心とめて 草木の色も ながめおかん 面影にだに 秋や残ると(為兼)

木の葉なき むなしき枝に 年暮れて まためぐむべき 春ぞ近づく(為兼)

 過ぎ行く時間、繰り返す時間、さまざまの出来事を、こうして遠目に見る心境は、時空を超えた世界に近付いていく、最初の一歩になります。このような歌を詠むときの無名の人は、人生の頂点にいると思います。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 虫の声の歌 | トップ | 『歌物語 花の風』自注(1) »

日記」カテゴリの最新記事