日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

和歌のオリジナリティとリアリティ

2011年09月20日 | 日記
古語短歌の楽屋裏をお見せしましたので、これを参考に、あるいは他の和歌をご参考に、ご自分でも和歌を実作されることをお勧めします。その際、独自性にこだわる必要はありません。どこかで聞いたような歌でも、それが実感に即して詠まれたものであれば、本人にとってはリアルで価値あるものです。極端に言えば、作者が誰であるかは問題ではなく、リアリティをもって詠んでいるかどうかが、自他にとって一番の問題です。万一、自分が詠んだ(つもりの)歌に酷似した、あるいはほとんど同じ古典作品があるのに気付き、思いがけない一致に驚いたら、自分は無意識のうちに古典を鑑賞し、演奏家が音楽を演奏するように、共感的に再上演したのだと考えることができます。

 もともと、三十一文字という少ない音節からなる和歌は、オリジナリティを主張するのが、難しい文学形式です。作曲もした指揮者(L・バーンスタインか誰か)が、「現代ではもう作曲にオリジナリティを求めることはできない。演奏にオリジナリティを発揮するしかない」と言ったのが、まさに当たっています。

音の可能な組み合わせは、機械的には七〇(五十音に濁音、半濁音その他を加えて)の三〇乗くらいで、膨大と言えば膨大ですが、長大な文書は何十万、何百万乗になるでしょうから、桁違いに少ない量です。勅撰集の古典すら、四季の歌、恋の歌を見ていると、初心者にはどれも似たり寄ったりに見えます。「盗作」「パクリ」「パロディ」と言われかねないものも、「本歌取り」という立派な技法になっているほどです。このように、よく似た歌は、同じような感動、時空、記憶が共有されたもの、と考えるのが、和歌の世界です。

すでに述べましたように、私の作品にも、古典とよく似たものがあります。「懐かしき妹が姿を夢に・・」は大伴家持の古歌と似ているのに気付きました。「空せみの世とこそ思へ・・」はどこかにありそうですが、まだ探し出せておりません。どこにあるか気付かれたら、どうかお教えください。なお、コメントは受け付けておりませんので、ご自分のブログその他で、「日守麟伍が作ったと称している「空せみの世とこそ思へ現し身の妹の恋しき頻りて止まず(止まで頻るを)」は、○○の歌とほとんど同じだ」とご指摘ください。こちらから、「日守麟伍」で検索いたします。あるいは、私の連絡先をご存知の方は、メールその他で、直にお教えくだされば幸いです。


 『歌物語 花の風』は、ありふれた恋愛ストーリーに載せて、歌をつづっています。和歌がわかりにくい方は、まず地の文と現代語訳だけを読んでいただくと、ドラマのようにわかりやすいでしょう。その上で、ドラマのBGMのつもりで、古語短歌を読みあげていただくと、違う感動を感じるのではないかと思います。そのうち、歌だけを整理した和歌集をアップしますので、上級者の方はそちらをご覧ください。


***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***
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