きまぐれ日記

高知県室戸市の地域情報と写真などの趣味の話。時々エッセイ風に。

龍馬・慎太郎暗殺の謎

2008年07月31日 09時39分58秒 | 本の話

幕末の最大のミステリーといえば、龍馬・慎太郎暗殺です。

明治になってから実行犯が自白しています。

それが、そのまま真実のことを語ったものかどうかは疑問も残るようですが、研究者の多くは、京都見廻り組の誰かが、(具体的な氏名まで、特定している研究者もいます)実行犯だと判断しています。

明治になってからの実行犯の証言(捏造の可能性もあり)が記録として残されていることを考えると、常識的には、龍馬・慎太郎の暗殺の実行犯(下手人)は、見廻り組みの誰かであると判断するべきでしょうが、100パーセント断定はできません。

かりに、下手人は、見廻り組みだとして、背後に『黒幕』がいたのではないかという説もあります。

それで、黒幕は誰なのかということですが、私的には、まだ、判断できません。

画像の書籍も参考にして、10月頃には、自分なりの推理をしてみたいと思います。

暗殺をする場合は、動機があるはずです。

複数の人物(藩・幕府)に、龍馬・慎太郎暗殺の動機はあったように思われます。

そして、龍馬・慎太郎が暗殺されて、もっとも、利益を得たのは、土佐藩の後藤象二郎と、岩崎弥太郎です。

もしかして、後藤象二郎と岩崎弥太郎も龍馬・慎太郎の暗殺に何らかの形で関係していたという可能性もあります。

再来年の大河ドラマの『龍馬伝』では、岩崎弥太郎の目を通した龍馬が描かれるようですから、岩崎弥太郎がどういうふうに描かれるか楽しみです。

岩崎弥太郎はかなりの『曲者』(くせもの)だったようです。

岩崎弥太郎が注目されるということは、安芸市の観光客が増えることが予想されます。

それを見込んで、安芸市では『商い甲子園』が開催されます。

龍馬に関連して、当然、慎太郎も登場するはずですから、慎太郎の知名度も上がって、慎太郎関連の史跡を訪れる観光客も増えるはずです。

ふつうに、龍馬に会うといえば、桂浜の龍馬像を見に行くでしょうし、同じく、慎太郎に会うといえば、室戸岬の慎太郎像を見に行くはずです。

ところが、室戸岬に慎太郎の銅像があるということすら、知らない観光客は多いと思います。

室戸市としても、慎太郎をもっとPRして慎太郎の知名度を上げて、室戸岬の慎太郎像を見に来てもらえるような画策をするべきでしょう。

『功名が辻』に続いて、再来年は、再び、高知県が注目されます。この機会に慎太郎をPRするべきです。








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ロケは室戸岬で

2008年07月30日 13時35分04秒 | 観光スポット



なんとなく、もう忘れているような気がするのですが、『土佐であい博』は継続中です。

『とさであい博』の第2弾のパンフです。6万部印刷しているということです。


室戸市では夏以降、『であい博』のための特別なイベントを開催する予定は、ないようです。

ただ、10月に、『室戸勇魚づくし御膳』が季節限定のメニューとして販売されます。

これは、『であい博』のためのイベントではなくて、以前から提供している季節限定のメニューです。 


『暴れん坊将軍』の2時間スペシャルのロケが室戸岬でありました。

この番組は、高知県では、いつ放送されるのかは決まっていないということですが、室戸岬での撮影シーンがどういう絵になっているのかぜひ見てみたいと思います。

室戸岬での映画のロケとえば、多くの方がまだ生まれていない、1959年に制作された、『南国土佐を後しにして』(主演は小林旭、主題歌はペギー葉山)は歴史に残る、大変な人出と、終日、異様な熱気につつまれたロケだったようです。

最近のテレビドラマでは、 『山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ』(主演 神田正輝・片平なぎさ)で、室戸岬のビシャゴ岩近辺と『津照寺』の近辺でロケがあったように記憶しています。(このドラマ関しては、記憶があいまいです)



室戸岬は映画とか、テレビドラマ、ポートレートのロケに使ってこそ、その真価が発揮されると思います。

室戸岬の奇岩と海をバックにすると、着物姿がとても絵になります。

着物だけではなくて、ワンピース姿もいい絵になります。

室戸岬は、どういうコスチュームでも絵になる場所ですから、テレビドラマ、映画、そして、ポートレートのロケに積極的に使ってほしいものです。





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北川村のアートなマンホールの蓋

2008年07月29日 09時41分57秒 | 地域情報

安芸郡北川村にも、アートなマンホールの蓋がありました。

北川村にアートなマンホールの蓋があるとは、全く期待してはいなかったのですが、偶然に発見しました。

北川村といえば、何が有名かというと、『モネの庭』と、『中岡慎太郎』です。

とすると、マンホールのデザインは、慎太郎か、モネの庭と考えられるのですが、マンホールのデザインが決定された当時は、『モネの庭』と、『中岡慎太郎館』まだ開業していなかったかもしれません。

それで、何がデザインされているかというと、『ゆず』です。

高知県は、全国一のゆずの生産県です。

県内でも、おそらく、北川村はゆずの生産に関しては、もっとも歴史が古くて、もっとも生産量が多いはずです。

『ゆず』の栽培に関しては、慎太郎が奨励していました。

『ごっくん馬路村』が全国ブランドになって、ゆずといえば、馬路村というイメージが定着しています。

しかし、歴史的にみても、由緒があって、生産高が多いのは北川村です。

歴史的に由緒があって、全国一の生産量のある特産品は室戸にあるのでしょうか。





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龍馬の背丈

2008年07月28日 12時37分53秒 | 我思う
雑誌、『サライ』の最新号が【龍馬を旅する】として、龍馬の特集をしています。

龍馬に関して、ある程度の知識があれば、読んでみて、なるほどと思われこともあるだろうと思います。

また、龍馬に関しては、ほとんど知識のない方にとっては、龍馬に興味をもつきっかけになると思います。

時系列的に、龍馬がどこを旅していたのかは、この雑誌を読めば、だいたいのところが理解できると思います。

船と、徒歩という、交通手段の少ない時代に龍馬はあちこちと旅をしています。 雑誌の表紙は、見慣れた龍馬の写真になっていますが、この画像がなかなかきれいです。

これほど鮮明な龍馬の写真は、初めて見ました。

この写真から判断すると、龍馬はかなり長身のように思えます。

実際にどれだけの背丈だったのか、この写真から、推測してみます。

龍馬の額の髪の生え際から顎の先までをひとつの単位として、龍馬の身長を測ってみると、だいたい7頭身ほどです。

1頭身を25センチと考えると、7頭身ということで、単純に計算すると、175センチということになります。

1頭身を26センチで計算すると、182センチということになります。あまりにも、単純な計算の仕方ですが、幕末の当時としては、かなりの大男だったことは間違いないようです。

龍馬に比べると慎太郎は小柄だったようで、だいだい、155センチから158センチ程度だったということです。

龍馬は見た目の迫力はかなりあったのではないかと思われます。

大柄で、北辰一刀流の免許皆伝の腕があれば、押しの強さは交渉人としは有利だったことと思います。



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慎太郎と龍馬の初めての出会い

2008年07月27日 21時35分11秒 | 我思う

『竜馬がゆく』は現在、やっと第2巻まで読みました。

このペースでいくと、月に2冊は読めるということです。あと6巻を読み終えるのは、10月ということになりそうです。

近頃、これほど集中的に読書をしたことはありません。

『竜馬がゆく』はあくまで小説であって、どこまで、史実に忠実なのか分かりません。

『竜馬が行く』を読んでいて、ふと疑問に思ったことは、薩長同盟を締結させ、そして、最期は、1867年の11月15日に同時に暗殺された盟友の慎太郎と龍馬は深い縁があったはずで、いつどこで、初めて出会ったのだろうかということです。

龍馬・慎太郎の年表を見ても、龍馬と慎太郎が初めて出会った年と場所は書かれてなくて、年表から見ると、薩長同盟が締結された1866年の前年の1865の5月に、西郷隆盛と桂小五郎の会談の画策が流れた時には、間違いなく、慎太郎は、下関で龍馬に会っています。

常識的に考えて、薩長同盟の前年に初めて、龍馬と慎太郎が会ったとは考えられません。

では、実際のところはどうなのでしょうか。

そのことを知るための情報がネット上でないものかと検索したのですが、情報を入手することはできませんでした。

龍馬と慎太郎の初めての出会いということは、歴史的には、あまり重要な意味がないことかも知れないのですが、2人の縁の深さを考えると、どうしても知りたくなりました。

そこで、龍馬に関しては、膨大な情報量を持っている『県立坂本龍馬記念館』にメールで問い合わせました。(以前も薩長同盟の締結の場所に関して問い合わせたことがあります。)

そうすると、即日にメールで返事がきました。

さすがに、龍馬記念館です。龍馬に関することはきちんと答えてくれます。 

常識的に考えると、『土佐勤王党』に、龍馬、慎太郎が参加した頃には、2人は初めて出会っているはずだというのが、龍馬記念館からの回答です。

慎太郎24才、龍馬27才の時です。

それ以外の可能性としては、二つあるという回答でした。

まず、龍馬の一番上の姉千鶴の夫、高松順蔵を通じた出会いです。

順蔵は土佐藩東部の安田村(現安田町)に住んでいました。

龍馬は順蔵の家を頻繁に訪れており、土佐藩を出てからの手紙にもよく「順蔵さん」の名前が登場しているということです。

東部の若者の多くは、順蔵を慕い教えを受けていたので、慎太郎が訪ねた可能性は大いにあります。 

もう一人、慎太郎の先生である間崎滄浪(間崎哲馬)を通じた出会いも考えられるということです。

慎太郎は15歳の時に、田野(現在の田野町)へ来ていた間崎に師事していました。

龍馬がいつ間崎と出会ったかが分からないのですが、もし早くから知っていたとすれば、可能性はあるかも知れないということです。 

龍馬は出会いの達人だったわけですが、人と人の出会いは、偶然ではなくて、必然であって、何かの縁があって出会っているのだとも考えられます。

人生の最期を共にした龍馬と慎太郎は深い縁で繋がっていていたはずです。

人と人の出会いは、その後の人生にいい結果ばかりをもたらすわけではないのですが、良くても、悪くても、人と人の出会いは、縁によって結ばれていると考えていいのではないかと思います。



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アイスクリン

2008年07月26日 09時04分21秒 | 地元の特産・名物

バーデハウス室戸の駐車場にある『たかおかいちば』の『1×1=1』の幟




室戸岬に建つ、慎太郎も暑い日にはアイスクリンを食べる



スーパーで売っているアイスクリン、『龍馬の海』




暑中お見舞い申し上げます。 



こんなに暑いと、仕事の効率も悪くなるし、ミスも起こります。

こういう時は、体の内側から体の温度を低くする必要があります。

夏はカキ氷か、アイスクリームです。

歴史的に見れば、日本人で初めてアイスクリームを食べたのは、1860年、『咸臨丸』で太平洋を渡って、アメリカに行った、勝海舟です。

このときの通訳は、ジョン・万次郎です。

アイスクリームといえば、高知県では名物の、『アイスクリン』というものがあるのですが、勝海舟が食べたものが、『アイスクリン』として記録されているので、高知名物の『アイスクリン』は由緒正しいものだということです。

アイスクリンというのは、ソフトクリームよりも硬いもので、シャーベット状になっているのですが、これは、他府県ではおそらく、販売されていないと思います。

アイスクリームよりはさっぱりした味です。

国道沿いの路肩で売っているのをよく見かけたのですが、最近は、室戸市近辺ではあまり見かけたことがありません。

室戸岬の中岡慎太郎の銅像の南側の駐車場で売っているのを見たことがあったのですが、どうも現在は売っていないようです。

祭りなどの時は必ず売っていたのですが、最近はあまり姿が見られません。

室戸市ではどこで売っているのだろうと、探してみたところ、バーデハウス室戸の駐車場の『たかおか市場』で売っていました。

アイスクリンといえば、やはり『1×1=1』の幟が目印です。

1×1=1の意味はどういうものなのか、聞いてみると、愛情一番、信頼一番で、それを掛け合わせると、味一番ということらしいです。 

元祖アイスクリンは、やはり、『1×1=1』の幟のある場所で買って食べるのが基本だと思うのですが、スーパーでもアイスクリンは売っています。

高知の夏は、『アイスクリン』です。

それから、ずっと以前に、『しょうが入りの水あめ』を高知城の近くで、よく飲んだ記憶があるのですが、今でも販売しているのでしょうか。 

今日は、東洋町の納涼祭ということで、花火の打ち上げがあるようですが、見に行きたいのですが、行けるかどうか微妙です。





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室戸で恋の予感

2008年07月25日 09時49分43秒 | イベント・祭り・コンサート

おもしろい企画があります。

1泊2日で室戸で合コンをしましょうという企画です。 

【室戸Deあいしましょう!】 


★日時 2008年9月20日(土)9:30~ 9月21日(日)17:00 

★会場 室戸市(高知駅より送迎あり) 

★募集人数 男女各15名程度 

★対象者 独身女性(年齢20~40歳くらい・結婚歴は問いません) 

 独身男性(年齢20~40歳くらい・室戸市在住の方を優先します) 

★参加費 女性3,500円・男性7,000円(体験料・食事・宿泊代込み) 

★内容 室戸岬クルージング・イルカふれあい体験・干物作り体験・室戸の食材をふんだんに使ったバーベキューで交流+サプライズイベントも有り 

★特典 カップルが成立した場合は、すてきなプレゼント 

★主催 室戸を元気にする実行委員会 

★申し込み期限 男性 2008年8月5日(火) 女性 2008年9月5日(金) 

★連絡先 0887-27-2524(高田)




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室戸岬で『暴れん坊将軍』のロケ

2008年07月24日 17時42分20秒 | 観光スポット

今日も、暑い1日となったのですが、室戸岬の月見ヶ浜で午前中に、『暴れん坊将軍』のロケがありました。

事前にこの情報を入手していれば、室戸岬に行って、撮影現場を取材することができたのですが、残念です。

テレビドラマのシリーズものなのか、スペシャル番組なのか、いつ室戸方面で放送があるのかは不明ですが、酷暑の室戸岬の海岸で長時間のロケがあったのは、間違いありません。

このロケの情報は、本日の午後に知りました。

実は、午前10時半くらいに、慎太郎の銅像を見に行くために、室戸岬を通過しました。

そのときに、月見ヶ浜の駐車場に大きなバスが止っていて、月見ヶ浜に下りる階段のところに、数人の集団がいたのですが、ふつうに、団体の観光客だろうと思って、月見ヶ浜に降りることはなく、通過して、慎太郎の銅像のところで、少し撮影しました。

その画像は、のちほど掲載しますが、今から思えば、なぜ、あの時、月見ヶ浜に降りなかったのだろうかと、残念に思います。

俳優の方も、女優の方も、この酷暑の中の撮影というのは、体力的には、激越に厳しいと思います。 

それにしても、暴れん坊将軍を室戸岬でロケするというのは、どういう設定のドラマなのでしょうか。

室戸岬以外にも、桂浜とか、安芸市の海岸でもロケがあったということです。 

ほんとに、残念です。せっかく今日は、一眼レフカメラを持っていたのに、こういうロケは室戸岬ではほとんど遭遇することはないのに。




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風紋を見たい

2008年07月23日 10時19分16秒 | 観光スポット

画像は、東洋町の白浜海岸です。撮影したのは6月です。

バギーのような乗り物の後ろに何かを取り付けて、砂浜を掃除しているようです。

手作業で、ゴミを集めるには時間がかかるので、こういうふうにすれば、短時間で砂浜はきれいになることでしょう。 

今は、すでに夏休みになっているので、白浜海岸は海水浴でにぎわっていることだろうと思います。

白浜の砂は白くて、きめが細かくきれいです。

こういう砂浜には、風の力によって、『風紋』ができるのですが、それを一目みたいと思って何度も白浜海岸に行っているのですが、一度も見たことがありません。

いったい、時期的にはいつがいいのかも分からないのですが、夏の海水浴のシーズンは、人が多くて、砂浜は人の足跡だらけになってしまいます。

ですから、夏は見られないだろうし、かといって、他のシーズンも、早朝から、犬をつれて砂浜を散歩している方もいるので、夏以外のシーズンでもきれいな『風紋』は見られないのかも知れません。 

人にきいたところによると、きれいな『風紋』を見たことがあるということですが、どうも、白浜の海水浴場とは違う場所のようです。

海水浴場よりは、川を隔てて、室戸よりのところのようです。いったい、どういう条件がととのうと、きれいな『風紋』が見られるのでしょう。

『風紋』というくらいですから、風が吹いたあとに現れるものだと思います。

きれいな『風紋』を見られるまで、何度も白浜に通うことになりそうです。





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