きまぐれ日記

高知県室戸市の地域情報と写真などの趣味の話。時々エッセイ風に。

県内でも新型インフルエンザ

2009年06月30日 09時11分04秒 | 日常

うっとうしい雨の日が続いています。梅雨の季節ですから、雨が降るのが、正しい、梅雨の季節のあり様です。

しかし、雨が続くと、身体の内部まで、湿ってしまう感じです。


高知県でも、ついに、新型インフルエンザの感染者が確認されました。


県内はとりあえず安全だと思っていたのですが、もはや、海外も、国内も安全な場所はないということでしょうか。

県内で開催されるイベントなどに影響はないのでしょうか。

できるだけ、県内はもちろんのこと、県外などの遠方に出かけるのはやめておこうと思ってはいるのですが、いったい、何をどのようにして予防すればいいのやら分かりません。

数ヶ月後には、県外に出かける予定があるのですが、いったい、どういう予防をすればいいのやら、まったく見当がつきません。

多数の人がいるところには出かけずに、ひっそりと暮らすなどということはできないし、季節型インフルエンザのように、予防接種とかができるといいのですが、そういうことはまだできないのでしょうか。




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ロング・グッバイ レイモンド・チャンドラー

2009年06月29日 10時30分34秒 | 本の話

村上春樹氏訳の、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッバイ』を読み終えました。

タイトルは、『長いお別れ』ですが、作品そのものもかなり長いものでした。

あまり、こういう探偵ものは読まないのですが、村上春樹氏訳ということと、チャンドラーの最高傑作ということで読んでみました。

この作品はすでに文庫本で所有しているのですが、いつ買ったのか記憶になくて、おそらく、最後までは読んでいないと思います。

探偵ものは、一般的には、大衆小説のように思われがちですが、チャンドラーのこの作品は、いわゆるハードボイルドの大衆小説ではないと思います。

探偵小説の形をとった、文芸作品です。

この作品にみられるのは、驚くような言葉の洪水です。

人物描写は実に細かいし、情景描写も微細です。

本来のストーリーからは逸脱していると思われるような、作家の社会的メッセージを登場人物の口を借りて語っています。

この作品の登場人物には、なんとなくですが、実在のモデルあるのではないかと思われます。あるいは、実在の作品の影響を受けているのではないかとも思われます。

実在のモデルとは、作中の登場人物のベストセラー作家です。ロジャー・ウェイドは、酒におぼれて、最後は、自殺とも、他殺とも思われる状況で死亡します。

このベストセラー作家は、スコット・フィッツジェラルドを思い起こさせます。

『ロング・グッバイ』の作品自体も、なんとなく、『グレート・ギャツビー』の影響があるのではないかと思われます。

こういう探偵ものは、登場人物が多くて、名前と、人物の役柄が分からなくなることがあったり、誰が話している会話文なのか分からなくなることがあります。

ですから、登場人物名を確かめたりしながら読む必要があるので、読み終えるのは、時間がかかりました。

この作品のチャンドラーの文体は、饒舌で、豊穣です。

おそらく、チャンドラーは、探偵ものではなくて、純文学の作品を書きたかったのではないかと思われます。

『長いお別れ』はストーリーが錯綜しています。

日本的にいえば、最後に、あっと驚くような仕掛けがあります。

死んだはずの人物がフィリップ・マーローの目の前に現れます。

物語の中では数人の人物が死亡するのですが、誰が何のために、殺害、あるいは、自殺したのかは、明確にはなりません。

90パーセントは解明できても、10パーセントは謎の部分が残ります。

謎の部分の解明は、読者にゆだねられているような気がします。

探偵小説といえば、ハードボイルドというイメージですが、これは、おおむね、探偵小説、刑事ものなど、一般的には、小説のジャンルに使われる言葉だろうと思います。

もともとは、文体のことをハードボイルドと表現したわけです。

内面描写とか、よけいな修飾語を省いて、登場人物の表面的な様体を、端的なセンテンスで描写することによって、人物の内面を描くのがハードボイルド(ハードボイルドエッグ、固くゆでられた卵の意味)という文体です。

そのハードボイルドという文体を確立したのが、アーネスト・ヘミングウェイです。






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宍喰の化石蓮根の動画

2009年06月28日 09時29分05秒 | 観光スポット


この場所は以前にも紹介したことがあるのですが、今回は、画像ではなくて、動画で紹介します。

徳島県海陽町宍喰の、『リップルマーク』(蓮痕)は、国の天然記念物になっています。

室戸市の新村の不動岩の近くの海岸にもリップルマークがあるのですが、宍喰のリップルマークは、面積が大きくて、縦横が30メートルほどあります。

一方、新村のリップルマークは面積的にははるかに小さいのですが、色と、形が宍喰のリップルマークよりも、アート的です。見事な彫刻です。

そんな見事な自然の彫刻が国道からすぐ近くの場所で見られるというのは世界でも例がないと思われます。

宍喰の蓮痕の場所は、国道からすぐに見えるというわけではないのですが、それでも、比較的分かりやすい場所にあります。

室戸側から現地に行く場合は、宍喰大橋のすぐ手前の喫茶店(ひこう船)の東側から、すぐに、左に曲がって、港に突き当たって、今度は右方向に向かいます。

ほんの1分程度で、右側の山肌に、蓮痕が見えます。

かなり大きいものですから、すぐに分かるはずです。

その場所から少し奥にすすむと、見事なタービダイトが見られます。

そのタービダイトのある場所からは、水床湾が見られます。

朝日の昇る光景はさぞかし美しいだろうと思われるのですが、今の時期の日の出の時刻が午前5時前ですから、もう少し、日の出の時刻が遅くなってから、どんなものか見たいものです。 

動画は下記のアドレスです。


http://zoome.jp/goodman/diary/40/







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マイケルジャクソンの悲報

2009年06月27日 14時20分03秒 | 日常
テレビ、ネット、新聞では大きく取り扱われているので、やはり、マイケルジャクソンの死亡の話題です。

マイケルジャクソンはもちろん、世界のスーパースターですが、個人的には、CDは一枚も持っていません。

ポップスという分野の音楽を聴くことがあまりありません。

ですが、マイケルの有名な曲は、いやでも耳に入ってきます。

死亡原因はまだ分かっていないのですが、おそらく、何かの薬を飲みすぎたのではないかと思われます。

いつもながら、こういうスーパースターの死亡にはいろいろと噂が流れるのですが、数週間後には死亡原因の公式の見解が発表されることと思います。 

スーパースターの生活がどういうものであるのかは、想像することもできないのですが、あまりにも強大な、地位と名声と富を手に入れると、普通の暮らしをしいる人々が考えられないような精神的状態になるのだろうと思います。

頂点に立ってしまうと、その上がないわけですから、落ちるだけになります。

いつも、頂点から落ちるのではないかという恐怖心と戦い続けていたのではないかと思います。

頂点の座を守り続けることがどれほどのプレッシャーのかかるものかはその立場になった者にしか分からないことでしょう。

頂点という地位を守るために、見栄を張り、経済的には、困窮していきます。

頂点に立ってしまった者は常に孤独で、精神的には、追い詰められた状態になり、悲劇的な最期を遂げてしまいます。


『諸行無常』、『盛者必衰』です。

ほどほどに普通の暮らしがもっとも理想的ですが、それもなかなか難しい。



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小さな決意

2009年06月26日 12時17分06秒 | 本の話
昨夜、ふだんはめったに見ない、小さな押入れのような、物置きのようなスペースを眺めてみました。

ここには、LPレコードと、文庫本があるのですが、レコードにしても、文庫本にしてもいったい、いつ買ったのか記憶がないものばかりです。

文庫本のタイトルを見て、なぜこんなタイトルの本を買ったのか、買った当時の経緯は、ほとんど思い出すことができませんでした。

おそらくすべての文庫本の数ページには目を通しているものだと思われます。

最後まで、読んだものもあれば、途中であきらめたものもあると思います。

印刷の文字も薄くなりかけていたり、本の表紙もけっこう汚れていたりします。

蔵書の中には、おそらく、一度も目を通すこともなく、カビが生えているものもあります。

時間ができた時、たぶん、人生の晩年になった時に、読んでみようと思って、それらの書籍が本棚の中に並べられているのだろうと思います。

ところが、年々、時間的余裕ができるという状況とはまったく逆の状況になりつつあります。

そこで、カビの生えた書籍と、これまで、読んでみようとして、あきらめた本をこれから、読んでみようと思い立ちました。

若年のころは、30分程度読書をすると、頭が痛くなって、休み休み読書をしなければいない状態でしたが、近頃は、1時間以上読書をしても、頭痛はしないので、やっと、頭が、ふつうに読書ができる状態になったのだと思い、それならば、読めるぞと思い、読んでみようと、とりあえず、気持ちだけは、そのように、持ち続けようと思います。

本を読んだ時には、このブログで、紹介したいと思います。

ある意味、本を読むために、時間を使うというのは、とても贅沢な時間の使い方だと思います。

日常の暮らしは、何かと、忙しく、多くの方は読書をする時間もないと思います。

数冊の本をバッグに詰め込んで、リゾート地の宿に宿泊して、読書をして、読書に疲れたら、温泉に入って、美しい景色を眺めながら散歩して、おいしい料理を食する。

これこそ、贅沢な時間の極みでしょう。








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ソニーα3兄弟発売

2009年06月25日 17時27分58秒 | カメラ関係
ソニーより、デジタル一眼レフのα230、α330、α380の三機種が発売されました。

α230以外は、ライブビュー付きです。

しかし、動画撮影機能が付いていません。

動画撮影機能が付いていないので、個人的には、購入対象にはなりません。

動画撮影機能が付いた、α550が発売されるのではないかという噂もあったのですが、実際はどうなのか分かりません。

写真撮影に関しては、実は、今のところは、あまり撮影しようという気力が湧いてきません。

というのは、季節的に暑いということと、長年の目標だった、『フォトテクニック・デジタル』のポートレート部門に作品が掲載されたということで、今は、新たに、目標を見つけられない状態です。

とはいっても、室戸ジオパークでのポートレートの撮影の構想はいつも持ち続けています。

6月の撮影予定は今のところは、なくて、7月に、ふるさと室戸まつりで、運が良ければ、花火を動画で撮影できるのではないかと思います。

昼間は、たぶん、時間がないと思います。

今年のふるさと室戸まつりは、鳴子踊りと、阿波踊りがあるようなので、楽しみにしているのですが、撮影はできない可能性が高いと思います。

7月には、シットロト踊りもあります。

シットロト踊りは、少し時間を作って、動画で撮影しようと思っています。 


徳島のモデル事務所からモデルさんを手配できれば、東洋町で撮影ができると思うのですが、個人撮影は、どうも無理なようです。





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グレート・ギャツビー 再び

2009年06月24日 22時18分20秒 | 本の話







『1Q84』を読んでしまった影響で、村上春樹氏が翻訳した作品を読みたい衝動に駆られて、村上春樹氏翻訳の、『グレート・ギャツビー』を読んでしまいました。

村上春樹氏は、日本を代表する、もっともノーベル文学賞に近い作家ですが、同時に、すぐれた翻訳家でもあります。

『グレート・ギャツビー』は村上春樹氏が、ほとんど暗記するくらいまでに読み込んだ作品で、村上春樹氏が選ぶナンバー・ワンの作品です。

村上春樹氏の作品の中に、『グレート・ギャツビー』が登場するという経緯から、個人的にも、スコット・フィッツジェラルドの作品を読むようになりました。

『グレート・ギャツビー』は、はるか昔に、文庫本で読んでいます。


村上春樹氏は生涯の伴侶とでもいうべき、『グレート・ギャツビー』の原書を眺めつつ、機が熟すのを待っていました。

村上春樹氏は60歳になったら、『グレート・ギャツビー』の翻訳をするのだと決意していたようですが、60歳を待たずして、翻訳をしました。

この作品は、とても美しく、深みがあり、観念的であり、情緒的であり、ときとしては読者を置き去りにしてしまうくらいのイマジネーションの飛翔のある文体で書かれています。

本来は、原書で読むベきでしょうが、そうは言っても、簡単に読めるものではありません。

村上春樹氏の翻訳で読んでも、その文体の美しさは充分に伝わってきます。

ストーリーは今さら紹介するまでもないのですが、ロマンチックなラブストーリーです。

しかし、単純なラブストーリーではありません。

上流階級のデイジーと、当時は将校だったギャツビーが5年前に出会う。


二人は、結婚を考えるまでになる。

しかし、ギャツビーは、デイジーにふさわしいだけの財力は持っていなかった。

やがて、彼は戦場へと向かい、二人の恋は終わりを告げ、デイジーは、同じ裕福な暮らしをしている別の男と結婚してしまう。

ギャツビーは戦場から帰っても、デイジーのことは忘れられない。


しかし、ほとんど無一文の彼が人妻となっているデイジーと結ばれることは現実的には、不可能に思われる。

ギャツビーがまずやらなければならないことは、巨万の富を手に入れることだった。

いったい、ギャツビーがどういうことをして富を手に入れたのかは分からないが、彼は、謎の富豪となって、人妻となっているデイジーの邸宅の近くに、豪邸を手に入れる。

その豪邸で、毎夜パーティが開かれる。

まるで、夢のようなパーティが。

ギャツビーがどういう人物なのかは、パーティの参加者はほとんど知らない。

ただ、噂だけが人々の間を流れる。

彼は、密造酒を販売しているとか、人を殺したことがあるとか。

ギャツビーが夜毎にパーティを開くのには、密かな理由があったのだ。

デイジーがこのパーティに来てくれることをひたすら願っていたのだ。

デイジーに会うためだけに、巨額の費用をかけてパーティを開催していたのだ。

なんとも、ファンタジックな物語の展開だが、ただの陳腐なラブストーリーではない。

ギャツビーの周りの人物のキャラクターの深いところにある心情を流麗な文体で描写し、ファンタジックな物語の中の登場人物のキャラクターを鮮明に浮かび上がらせる。

ある工作をして、ついに、ギャツビーとデイジーは再会することになる。

ギャツビーはデイジーを夫から奪おうとまで考えていた。

夫には愛人がいた。


こういう物語は、たいていの場合は、悲劇的な結末を迎えるものだが、予想もしない形で終焉を迎える。

デイジーが運転していたギャツビーの車が、デイジーの夫の愛人を曳き殺してしまう。

その事実は、ギャツビーと、この物語の語り手で、ギャツビーの隣人だったニックしか知らない。

しかし、デイジーの夫は当然、運転していたのは、ギャツビーだと思っていた。

なぜなら、デイジーの夫のトム・ブキャナンの愛人を曳き殺したのはギャツビーの車だったからだ。


デイジーの夫は、愛人の夫に、妻を曳き殺したのは、ギャツビーだと教える。

そして、ギャツビーは、トム・ブキャナンの愛人の夫によって殺害される。


毎夜のようにギャツビーのパーティには大勢の人が集まって来ていたのに、ギャツビーの葬式に参列したのは、ニックと、ギャツビーの父親と、あと数人だけだった。

もちろん、デイジーは参列しなかった。

もの悲しく美しい物語です。

読んだ後に何とも表現し難い余韻が残ります。

日本的に表現すれば、『諸行無常』を感じさせる物語です。

この物語は、まちがいなく、第一級の文学作品です。

『グレート・ギャツビー』は、Modern Libraryが発表している20世紀最高の小説の、第2位に選ばれています。

ぶっちょう造りのある町並み

2009年06月23日 17時03分30秒 | 観光スポット

白浜の町並みの『ぶっちょう造り』



甲浦の町並み




東洋町の白浜の町並みには何度も訪れているのですが、動画にしてみました。

この町並みの特徴は、『ぶっちょう造り』が見られることです。

ぶっちょうとは、上下に開閉する板戸のことで、上部は雨戸になって、下部は縁台になります。

白浜以外では、徳島県側の海陽町鞆浦の町並みに見られます。

ぶっちょう造りのある家の数はあまり多くはないし、老朽化している家もあって、なんとなく、昨年、訪れた時よりは、ぶっちょう造りの家の数が少なくなっているような気がします。

このぶっちょう造りは20年後にはもう見られることはないのではないかと不安にもなります。

単純に老朽化するということと、災害によって、被害を受けて、建て直す時には、わざわざぶっちょう造りを再元するとは思われません。

生活する上で、ぶっちょう造りがないと、不便だということもないはずです。

何も手を打たなければ、白浜の町並みからぶっちょう造りは消えるかも知れません。

動画は、東洋町の白浜の町並みと甲浦の町並みです。


http://zoome.jp/goodman/diary/39/






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『夢を与える』はほんとに夢を与えたのか

2009年06月22日 18時09分17秒 | 本の話
綿矢りさの、『夢を与える』を読んで感じた心境を簡単に表現すると、深い井戸に落ち込んだような感じです。

この作品は、生まれてから、18歳になるまでの、いうなれば、アイドルの日常を日記風に淡々と書いているようなものです。

スコット・フィッツジェラルドのような美麗で濃密な文体でもないし、アーネスト・ヘミングウェイのようなハードボイルドな文体でもないし、村上春樹のような、パラレルワールドはどこにもないし、ある意味、日常を淡々と描くだけの退屈なストーリーです。

もっとも、それは、夕子が受験勉強を始めるまでのことで、夕子が受験勉強を始めた時に、ある事件が起きます。

ただ、好きだからというだけで、周りの大人たちの忠告にはまったく耳を傾けずに、我儘に行動して、その結果、アイドルとしての将来は、消滅して、周りの大人たちの生活にも影響を及ぼし、自己破滅に至るわけです。

もうどこにも、救われる余地はありません。

おバカな我儘なアイドルの顛末だということです。 

綿矢りさは、最年少で芥川賞を受賞して、マスコミからは注目される存在となって、いうなれば、アイドルのようなものになってしまいました。

その自分の状況と、夕子をオーバーラップさせているのでしょう。

夕子を通して、自分がおかれていた状況と心境を語っているのだと思います。

綿矢りさと同年代の女性は、「分かる、分かる」といって、共感しながら読めるのだろうと思います。

それだと、少女ノーベルの域を出ていません。

自分の体験したものしか書けないというのは、まだたまだ、綿矢りさが年齢的に若くて、人生経験が少ないから仕方がないと同情するべきなのでしょうか。

作家としてデビューしてから、いきなり、ベストセラーのアイドルなってしまった綿矢りさにとっては、生活費がなくて、明日には、夜逃げをするとか、一家全員がガス自殺をしなければならないような人々は全く意識の外にあるのかも知れないですが、積極的に、社会的な弱者にかかわり、徹底的に取材をして、人間の深い心の奥にある、悲しみとか、情念を描ける作家へと成長してほしいものです。

今のままでは、少女コミック的、学園ものの世界から抜け出せません。

自分の知らない世界の中に飛び込んで、そこから取材できたもので、物語を構築していくのが、まさに、作家です。

芥川賞作家ですから、その賞にふさわしい自覚を持って、作品を書いてほしいものです。



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