きまぐれ日記

高知県室戸市の地域情報と写真などの趣味の話。時々エッセイ風に。

50年後の人口

2012年01月31日 10時13分54秒 | 日常
日本の人口は、50年後には、2/3になるらしいです。

およそ、8千万人を少し超えた程度です。

幕末の人口に近づきます。その頃には、室戸市はどうなっていることでしょうか。

50年間には、南海地震に襲われ、それたけで、人口は激減します。

50年後は想像したくもありません。

平均寿命が女性で、90才になって、超高齢化社会で、高齢者の割合が、40パーセントになります。

働く人の人口が激減します。

これでは、日本は、独立国として存続不可能だろうと思います。

どこかの国に日本は吸収されてしまいそうです。

女性が社会に進出して結婚をしないで、自分の思い通りに生きることを奨励してきたのは、国策ではなかったのか。

その結果がどうなるのかは、分かっていたはずだろうと思う。

男と、女を同列に扱うのも、正しくはなかったと気付いた時には、まるで、デフレスパイラルように、人口が減少し続けています。

日本の言葉と、文化と歴史を守るためには、何をすればいいのでしょうか。

多数の移民を受け入れると、純粋な日本民族は、世界の中では少数民族になってしまう。

昭和の南海地震、戦争は、経験したかも知れないけれど、現在の高齢者は、ある意味、幸せです。

これから、高齢者になる人々、そして、それを支えなければいけない若い世代は、不幸かも知れません。


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南海トラフの200キロの断層

2012年01月30日 13時42分34秒 | 日常
和歌山県、潮岬沖の南海トラフで、南海地震と、東南海地震の震源域にまたがる東西200キロに及ぶ、断層があり、数百メートル隆起していることが発見されたということです。

この断層が、南海地震と、東南海地震は何度も連動して起こっている証拠なのでしょうか。

この断層が動いた時に、巨大地震が発生して、巨大地震津波が起こっているようです。

地震学者の研究と、地震の発生の予測は、まだまだ未熟なもので、地震学者の言う事はそのまま、100パーセント信じる事はできないので、個人個人が、その時に判断するしかありません。

津波から身の安全を守ってくれる物は、堤防ではありません。自分自身です。

まず、誰に何と言われようとも、大きな揺れが起こったら、逃げるが勝ちです。

1メートルでも高い所に逃げるべきです。 


学者の言葉は信じられないといえば、地球は温暖化しているといわれていますが、ほんとに温暖化しているのでしょうか。



冬が寒くなって、どうも、地球は、氷河期に向かっているような気もします。

恐竜が地球を支配していた時代は、地球は今よりはるかに暑かったわけですから、その時代から比べると、間違いなく、寒冷化しているはずです。


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寒い時期でもイベントは続きます

2012年01月29日 09時58分15秒 | イベント・祭り・コンサート
まだまだ寒いというよりは、真冬ですが、室戸市では、来週末には、室戸市春の観光びらきがあります。

春というには早すぎますが、毎年、2月の最初の日曜日に行われます。

いろいろなイベントがあるのですが、寒さ対策をして出かけてください。

この観光びらきを見るにしても、目的は様々だろうと思うのですが、何か物を買えば経済効果は生まれます。


室戸市春の観光びらきの詳細は下記のアドレスで確認してください。

http://www.muroto-kankou.com/info/37kankouopen.pdf


『吉良川町並み飛脚レース』は今年も開催されます。

2012年2月26日(日)に開催。

見どころは、コスプレーヤーさんたちです。

被写体としては、興味が惹かれるのですが、何時頃に、どこで待っていればコスプレーヤーさんたちを見られるのか分かりません。

午前中だろうとは思うのですが、正確な時間は分かりません。

寒い時期でも、イベントは、続きます、3月の第1週には、『町並み雛まつり』が開催されます。




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本日、100万ページ閲覧数達成

2012年01月28日 09時23分20秒 | 日常
本日で、ブログのページ閲覧数が、100万ページを超えました。

このブログを開設したのが、2007年5月です。

ページ閲覧数というのは、実際に、誰かがブログのどこかのページを見たというだけではなくて、おそらく、ロボットが訪れたページも計算されているだろうし、グーが、ブローガーにやる気を起こさせるために、水増しもしているだろうと思います。

思い返すと、ネット上に、初めて、HPを開設したのが、1999年でした。

その当時は、室戸市の公式サイトは、キラメッセ室戸で管理していたようでした。

その内容があまりにもお粗末だったので、自分で室戸市を紹介するHPを開設しました。

HPというのは、一度開設すると、なかなか頻繁にはページの更新をする必要がありません。

情報は生ものなので、できるだけ早く発信する必要があります。

時を経て、HPから、ブログが主流となりました。

ブログは、日記感覚で気軽に更新できます。

そして、情報も素早く伝える事ができます。

ただ、基本的に、ブログは、毎日更新する必要があるので、かなり気合を入れる必要があります。

ブログの更新にも時間を取られます。何度か、ブログをやめてしまおうかとも思いました。

ブログは読者がいてこそ、書く意味があり、何かの役に立っているという思いがないと、なかなか継続はできません。

室戸市関連のブログは他にも多数あるので、自分がブログを続ける事の意義はあまりないようにも思います。

ブログの内容は、室戸市関連というよりは、趣味的なものを中心していきたいとは思っています。

今後も、ブログは続けるつもりではいます。

これまで、ネット上の辺境の地にある当ブログにご訪問いただきまして、ありがとうございました。

これからも、細々と更新していきます。よろしくお願いします。

『ミス高知』に室戸市出身の方がいるようです。

誰でしょうか。気になります。

そんな人が室戸市にいるのであれば、『ジオガール』になって、室戸ジオパークをPRしてほしいものです。





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本日、ソニーNEX-7発売

2012年01月27日 09時56分08秒 | カメラ関係
本日、ソニーのNEX-7の発売です。

タイの洪水の影響で発売日が延びていましたが、やっと、発売されるようです。

現在、メインで使っている機種が、α700です。

すでに、4年は使っています。

この後継機種が、α77です。

今年の2月には購入しようと思っていたのですが、ネット上の情報ではあまりにも、評判がよくないようです。

2400万画素なので、高感度はノイズが多くなることは予想できるのですが、それよりも、ダイヤルとか、ボタンの動きがよくなくて、電源を入れた時の起動時間も長くて、電源が切れるまでの時間も長いようです。

4年も待って、この程度なのです。

α77の購入は、保留にします。

NEX-7は、評判がいいようですが、マウントが、Eマウントです。

いまさら、マウントを変えるわけにはいきません。

α55の後継機種が春には発売されるという噂もあります。

この機種の評判がよければ、それを購入するかもしれません。

もし、α77の値段が下がって、緩慢な動きが解消されると購入するかもしれません。

今年は、4月には、安芸市内原野公園で、例年通り、『つつじ祭りモデル撮影会』は開催されるだろうと思います。

もし、撮影会に行く事ができたら、どうしても、もう一台、カメラが必要になります。

いまさら、600万画素のカメラを使うわけにはいかないので、α77を購入するべきか悩むところです。


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第10回、『だるま太陽フォトコンテスト』応募締め切りまで1ヶ月

2012年01月26日 10時28分30秒 | イベント・祭り・コンサート
新聞でも、NHKの総合テレビでも紹介されていた、『第10回だるま太陽フォトコンテスト』の応募期間は、2012年の2月24日までです。受付は、室戸市役所、『商工観光深層水課』です。

これまでは、受付は、田野町役場だったので、間違わずに、室戸市役所に搬入してください。『商工観光深層水課』は、室戸市役所の1階の左側にあります。

県外の方は郵送になると思うのですが、木製パネルを郵送するとなると、費用がかかるし、破損の可能性もあります。

一般的に、コンテストは、郵送です。

サイズは、ワイド4切りまでです。

こういう風景、祭り、イベントを対象としたコンテストは、応募数が減ってきます。祭りにしても、イベントにしても撮りつくしてしまうからです。

応募を増やすためには、県外の方が応募しやすいように、木製のパネルはやめて、だるま太陽と、一般部門のサイズは、4A~ワイド四切までにするべきです。

このサイズが、全国のフォトコンの基本的なサイズです。

このサイズで、基本的に、応募は郵送にして、応募料金は無料にすれば、応募は増えます。選外の作品は返送します。

そのようにしているのが、『内原野つつじ祭りモデル撮影会フォトコンテスト』です。

安芸市にしても、予算が充分にはあるわけではないのですが、カメラマンに配慮した、良心的なコンテストです。

そのおかげで、コンテストでは、400点ほどの応募があります。

だるま太陽フォトコンの場合は、全紙サイズでクリスタルプリントにすると、4000円程度で、木製パネルも4000円程度かかります。1枚仕上げて、8000円です。

それを4枚応募すると、32,00円プラス審査料金が2000円です。

市展と同じだけの費用がかかります。

これだけ費用がかかると、気軽には応募できません。

おそらく、県内、室戸市内在住の応募者は、今後は増えないと思うので、県外の応募者を増やすべきです。

そのためには、応募規定を変更するべきです。

応募作品は、ほぼ決まっているのですが、他の人と同じような作品は出したくはないので、自分の個性を出した作品にします。

そういう作品は評価はされないのですが、それでも、自己主張します。

ワイド四切で3点の予定です。

桜の風景とかイベントの写真でも入賞するようなものもあるのですが、それを出品すると、他のカメラマンが撮りに来て、桜の咲いている場所の住民に迷惑がかかるので、出品はしません。

イベントとか祭りの作品は見飽きているだろうし、誰でも撮影できます。

それでも、祭りを祭りとして撮影するのではなくて、違った視点から撮影したものを出品しようと思います。


気になるのは、『室戸ジオパークフォトコン』です。だるま太陽フォトコンと、テーマが同じなので、『室戸ジオパークフォトコン』をメインに応募しようとは思うのですが、詳細がまだ、分かりません。



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『室津の泊』はやはり、室津

2012年01月25日 14時08分31秒 | 地域情報


室戸市の昭和30年代頃から、平成までの、日常の風景を撮った、『撮って置きの写真集』の中には、まだあまり民家とか、その他の建物が建っていない、田園地帯の領家から、原池付近の写真も掲載されています。

その光景から、なんとなく、1000年前の、『室津の泊』の辺りの光景が想像されます。

紀貫之が、『室津の泊』で停泊していたのは、今頃と、同じ季節の、北西の季節風が吹く、1月の中旬から下旬にかけてです。

1000年前は海岸線も違うし、室津川も一本だけだったのか、支流があったのかも分からないし、そもそも、『土佐日記』の記述のどこまでがドキュメントで、どこまでがフィクションなのかも分からないので、『室津の泊』を推定するのは困難です。

ですが、地質学的に分かっている最新の事実を元にすれば、1000年前の海岸線と、そのころの地形は何となくは想像できます。

当時の船はオールの手漕ぎの船だったことを考えれば、港にふさわしい地形というものは想像できるのではないかと思います。

台風、あるいは、津波に襲われ、一年中風の強い室戸で、港にふさわしい場所といえば、波と風の影響を受けにくい、入り江なった砂地の場所になります。

つまり、河口付近です。

イメージとしては、東洋町の白浜海岸です。白浜海岸にも川が流れ込んでいるのですが、川幅は狭くなっています。

入り江で、砂地であれば、小さな天馬船であれば、入り江の砂浜の上に引き上げればいいのですが、大型の船の場合はそういうことはできなかっただろうから、やはり、波の影響を受けないように河口から川を遡り、川の流れの影響の受けない場所に停泊しただろうと思います。

ここで、疑問に思うことがあります。

川の水量が多くて、川の流れが速いとしたら、大型の船が川を遡ることはできたのでしょうか。

よほど、川の流れが遅くないと、大型の船が川を遡るのは難しいような気もします。

もし、川を遡れたとしても、川岸に船を着けていたら、川の流れで、船が海側に流されるのではないかと思われます。

台風とか、大雨の時は、川は濁流になるので、川岸は港としては使えません。

河口近くは湿地帯になっていて、川の本流の支流によって、いくつか池ができていたのではないかと思います。

船をその池の中に停泊させておけば、波と、川の流れの影響は比較的受けにくくなります。

『室津の泊』のイメージは、入り江になった砂地の川の河口をある程度遡ったところにある池です。

池があったから、原池という地名が残っているのだろうと思うのですが、現在の原池橋のある辺りではなくて、1,000年前の海岸線が、室戸市役所のあたりだったとすると、原池よりはもう少し室津川を下った場所の、室戸市保健福祉センターから、室戸中央病院付近の池だろうと、思います。

原池とは、あまり場所が違わないのですが、原池説はすでにあるので、あえて、別の場所にしてみました。

できることなら、過去の津波の到達地点を調べるという名目で、もう一度、室津川沿いでボーリング調査をすれば1,000年前の海岸線が分かるはずです。

『室津の泊』の石碑が室津にはないので、市役所の裏の室津川沿いにでも建ててほしいものです。







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1000年前の室戸市の海岸線を推理する

2012年01月24日 13時25分29秒 | 地域情報


紀貫之の時代(935年頃)は、室戸市の海岸線は、どのあたりだったのか。

このことは、以前にも書きましたが、室戸岬は世界でもっとも地質の調査が進んでいる場所ですから、それが分からないはずはありません。

しかし、地質専門家には当然の事実であっても、一般の人には知られてはいませんでした。

それが、一般の観光客にも知られるようになったのが、室戸ジオパークが世界ジオパークとして注目されるようになってからです。

画像のパンフレットは室戸市観光協会で手に入ります。

このパンフレットには、土佐日記の、『室津の泊』の場所を推定するのに、重要な手掛かりが書かれています。

海岸線を推定する根拠は、ヤッコカンザシの化石です。

ヤッコカンザシは水面近くに生息するので、その化石があった場所が、当時の水面の位置ということです。

その年代測定をすれば、その当時の水面の海抜が分かります。

これは、科学的に証明されたものですから、その結果を無視することはできません。

そのヤッコカンザシの年代測定によると、紀貫之の時代には、今日よりも、8メートルから9メートル土地が低かったことが分かります。

ただ、気になるのは、今から、1,000年前に4メートル土地が隆起しています。

これは、紀貫之の時代の後だろうと思うのですが、はっきりとは分かりません。

パンフレットの書き方からすると、紀貫之の時代の後だと思われます。

今より9メートル土地が低かったとなると、今の地形の海抜で考えると、室戸市役所のあるあたりが海抜9メートルです。

この海抜は、『マピオン』の地図を参考にしています。

もっと、イメージ的に分かりやすく言うと、現在の、市役所前の室戸大橋から、四国銀行前を通って、室戸岬方向に向かう国道が波打ち際だったということになります。

ヤッコカンザシの化石の年代測定以外の方法で、1,000年前の海岸線の位置を知る方法も、あります。

それは、ボーリング調査です。

室戸市が、原池近くで、水質検査をするために、ボーリング調査をしたようです。

この情報源は、『土佐日記室津の泊りはどこか』(佐藤省三著)という書籍です。

ボーリング調査は、1963年に行われていて、地質学者の方が、原池は、1000年前は入り江になっていたと判断したということです。

原池橋のあるあたりは、海抜10メートル程度です。

これは、室戸岬のヤッコカンザシの化石の位置の年代測定と、ほぼ一致します。

これらの科学的調査の結果を無視することはできないだろと思います。

室戸市役所のあるあたりから、原池橋までは少し距離があるのですが、台風、大潮の時などは、原池近くまで海水が入り込んでいたことは充分にありえます。

実は、この入江のような地形は、港として利用するには、絶好の条件です。

波と風の影響が小さくなります。

室津川の河口の波打ち際近くは、おそらく、湿地帯のようになっていて、室津川の支流によって、池がいくつかできていたのではないかと思われます。

現在も、原池よりも、もっと内陸側の室戸広域公園の中の池があります。

このような池が、室津川の河口付近にはあったのではないかと思います。

科学的実証から、『室津の泊』は、室戸市役所のあるあたりから、原池にかけてのどこかにあったのではないかという可能性が高くなります。

ただ、不確定なこともあります。

それは、千年前の4メーターの急激な土地の隆起です。

これが、紀貫之の時代の後だとすれば、1,000年前の海岸線は、現在の、市役所前の国道あたりになります。

もし、4メーターの隆起が、紀貫之の時代の前だったら、1000年前の海岸線は違ってきます。

『室津の泊』といいながら、肝心の室津に、『室津の泊』の石碑がないのは、どうにも納得がいかないのですが、実は、この石碑があったという情報をネット上から入手しました。

その場所はどこかというと、1000年前の海岸線だったと推定できる、現在の室戸市役所前の国道沿いです。

昭和、40年代には、『土佐日記室津跡』という石碑が、今の、四国銀行の駐車場の付近にあったということです。

昭和40年代ですから、その石碑を実際に見た人もいるはずです。

しかし、あまり重要な石碑ではないので、道路建設の邪魔になって取り壊したのだろうと思います。

それとも、その場所が、『室津の泊』だという確証がないから、取り壊したのでしょうか。

この石碑の写真や、水質ボーリング調査の資料などは、図書館にあるのでしょうか。定かではありません。

『室津の泊』がどこにあったのかということは、ほとんどの人が興味がないかもしれないですが、津波浸水マップとなると興味があるだろうと思います。

南海地震で10メートルの津波が室戸市を襲った場合の詳細な津波浸水予想マップを作れば、1000年前の海岸線が分かるわけです。


『土佐日記室津跡』があったと思われる場所

http://www.mapion.co.jp/m/33.2856758333333_134.153925555556_10/



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土佐日記、『室津の泊』は津呂なのか

2012年01月23日 12時39分33秒 | 観光スポット

室戸岬の東側の、『ホテルニューむろと』前には、『土佐日記御崎の泊』の石碑が立っていますが、もう一カ所、土佐日記の、『室津の泊』と推定される場所に、石碑があります。

旧室戸岬漁港の北東の角にその石碑はあります。

室戸岬漁港といえば、『とろむ』ですが、『とろむ』は、『室戸岬新港』の岸壁にあります。

一般的に、室戸岬漁港といえば、室戸岬新港とは別の場所を指します。

室戸岬新港と、室戸岬漁港という二つの呼び方があって、混乱します。

室戸警察署からから室戸岬方面にかけての国道は、『とろむ』の入り口からは、高架になっています。

その橋の下に見える漁港が、一般的に、室戸岬漁港です。

その室戸岬漁港から、さらに、山手に入った場所にあるのが、旧室戸岬漁港です。

一般的には、古い室戸岬漁港とか、津呂港とか、内堀の津呂港とか、旧国道沿いの津呂港と呼びます。たいへん混乱します。


古いほうの室戸岬漁港といえば、だいたい、誰でも分かります。

旧室戸岬漁港になぜこの石碑があるのかというと、それは、土佐日記に、『室津の泊』では、月が海から出るのが見えるという記述があるので、『室津の泊』は、室戸岬付近だろうということで、この場所にしたのだろうと思います。

地名の混乱もその要因だっただろうと思います。

今でも、県外からきた方は、室戸岬漁港と、室津漁港を間違えます。


おそらく、紀貫之は、室津と津呂の区別なく、室戸岬と旧室戸町を含めて、室戸岬の西側は、室津と思っていたとも思われ、実際に、千年以上前は、津呂という地名があったかどうかも疑わしいです。

この場所に、千年以上前の当時としては、大型の船が入れる自然の地形を利用した港があったのかどうかは、疑わしい。

室津より、津呂は、磯の岩も多かっただろうし、港として利用するには地形的には、ふさわしくはなかったはずです。

ふつうに考えて、港に利用できる自然の地形といえば、入江か砂浜、もしくは、川です。

『室津の泊』というからには、現代の室津に、『室津の泊』の石碑がないというのはおかしいです。

実は、その石碑があったらしいという事実をネットを検索していると見つけました。

その石碑があった場所は、紀貫之の時代の室戸市の海岸線と関係があります。

次は、その、千年前の海岸線がどのあたりだったのか、考察します。


旧室戸岬漁港の、『紀貫之朝臣泊舟之處』の石碑の場所は、下記の地図で確認してください。

http://yahoo.jp/toO1Zh



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『土佐日記御崎の泊』の石碑の謎

2012年01月22日 13時01分33秒 | 観光スポット



室戸岬の、閉館している『ホテルニューむろと』の横の駐車場から、海岸に下りて行って、乱礁遊歩道を『エボシ岩』の方向に進むと、『土佐日記御崎の泊』の石碑があります。

この石碑の建っている場所が少し、平らな岩になっていますが、これは、『波食台』です。

なぜ、この場所に、『土佐日記御崎の泊』(とさにっきみさきのとまり)の石碑が建っているのでしょうか。

これは、紀貫之の、『土佐日記』の記述に由来しています。

『室津の泊』ではなくて、『御崎の泊』になっているのも何か意味がありそうです。

土佐日記では、『室津の泊』の場所がミステリーになっているのですが、『土佐日記』の記述からは、『室津の泊』が二か所あったように推理できます。

『土佐日記』の『十七日・・・』の章には、夜明けに、『室津の泊』を漕ぎ出したことが書かれています。

そして、雲行きが怪しくなったので、船は引き返しています。

この引き返した場所が元の、『室津の泊』だったのか、あるいは、別の港だったのか。

船は、すでに、室戸岬沖を通過していて、天候が悪くなったので、引き返したのだから、わざわざ、『室津の泊』まで、引き返すはずがなく、室戸岬の東側の、『ホテルニューむろと』の前の海岸に船に停泊させたはずだということで、この場所に『土佐日記御崎の泊』の石碑が建てられたのだと思われます。

この場所は、あまり高い岩がなくて、なんとなく、船が入れるような海岸のようにも思えます。

この場所では南海地震によって土地が隆起した跡が見られます。

土佐日記が書かれた時代(934年)は、今より、はるかに土地が低かった(土地がどれだけ低かったのかは、室津の泊の場所を推定するには重要)ので、岩が船の底にぶつかることもなく、自然の港のような形になっていたのではないかとも思われます。

この場所が、『室津の泊』だったと推理できる記述が、『土佐日記』の『二十日・・・』から始まる章です。

この章には、月が海から出ると書かれています。

海から出る月が見られるのは、室戸岬の月見ヶ浜から東側です。

海から出る月が見えるとするなら、月見ヶ浜から東側に、『室津の泊』があったとしても、おかしくはありません。

しかし、まだ、謎があります。

『土佐日記』はほんとに、事実を書いたのか。

『土佐日記』は日記とはいいながら、航海日誌ではありせん。

船旅をしながら毎日船の中で書いたのではなて、紀貫之が都に帰ってから書いたものです。

謎は、つづきます。

『土佐日記御崎泊』の碑の場所。

http://yahoo.jp/4LMgCL



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