鯛の活け造り
ナガレコ
鰹のタタキ
最近、『おきゃく』に招かれることがありました。
『おきゃく』(宴会)の主役は、土佐の郷土料理の『皿鉢料理』(さわちりょうり)です。大きな皿に、一種類の食材(たとえば、刺身など)を盛り付けたり、複数の食材を盛り付けることもあります。
たとえば、バッテラ、鯖の姿造り寿司、いなり寿司、巻寿司、鳥のから揚げ、果物などをひとつの大皿に盛り付けることもあります。
皿鉢料理の中でも、見栄えがもっともいいのは、活け造りだと思います。こういう、皿鉢料理を食べるのはあまりないことなので、目の前にあった、にぎり寿司を一桶、空にしました。
周りにいる方は、食べるというようよりは、酒のほうがいいようでした。
寿司を食べていると、どこからともなく、鰹のたたきが乗った、小皿が回ってきます。
自分の目の前にない、料理は、他の人がその人の目の前にある料理を小皿に取って、こちらに回してくれます。
男女、目上、目下にかかわらず、少し、離れた場所にいる方には、小皿に入れて料理を回します。
こういう習慣は、都市部ではあるのでしょうか。
目下のかたが、目上に方に料理を回すということはあるかも知れないですが、その逆はないのではないかと思います。
自分の席のまわりに女性の方がいれば、女性の方が世話をしてくれて、目上、目下にかかわらず、いろいろと、料理の乗った小皿を回してくれます。
『おきゃく』の席では、こういうことはふつうですが、都市部ではこういうことはしているでしょうか。
料理は、いろいろと、美味しいものがあったのですが、やはり、室戸といえば、『鯨料理』です。
皆さん、美味しいものは分かっていて、鯨のベーコンの皿鉢はすぐに空になりましした。
高知といえば、鰹のたたきです。そのまま、素直に刺身にすればいいのですが、高知では、なぜたたきにするのでしょう。たたたきと言っても、鰹を実際に“叩く”わけではないので、なぜ、“たたき”というのか分かりません。
何かの言葉がなまって、たたきになったのでしょうか。
“生焼き”とか、“半焼き”とかという名称だったら、どういうものか、想像がつくのですが、“たたき”というと、魚を叩いて、身を柔らかくして、刺身にするというイメージになると思います。
実際は、魚の表面をさっと焼くだけです。 高知の人は、ややこしいことは嫌いだから、もともとは、生の刺身で食べていたと思います。
生のまま、庶民が鰹を食べていたのを見た、土佐藩の初代藩主の山内一豊が、生で食べると、食中毒になるので、生で食べることを禁止したところ、さすが、高知の城下の庶民は、生の魚をさっと焼いたわけです。
これだったら、生ではないから、山内一豊も禁止できなかったわけです。
ほんとか、どうか分かりませんが、高知県民の特質が現れた話だと思います。
体制に反骨し、大きなものに巻かれるのが嫌な県民性です。
この県民性がいい方向に現れたのが、幕末に活躍した志士たちだと思います。
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