昨日は墓参りをして来ました。青木家の先祖代々の墓は長野の奥にあります。
先祖の供養は大事な行でありまが、遠方の墓所にはなかなか行くことも出来ません。
いつもなら元気な母が墓参りをしていてくれましたが、今年は母が病気療養中でもあり成り代っての墓参です。
久しぶりに寺の住職とお話する機会を得ました。
曹洞宗の古い禅寺で静かなたたずまいのなか、お茶をいただきながら「行持道環」の話に花が咲きました。
まことに静かな心穏やかなときが過ぎ、最後に住職に円相についての禅の哲学を聞いてみました。
住職とこのようなお話が出来たのもありがたいことです。特にこの言葉がこころに響きます。
まどかなることたいきょに同じ欠くることなく余ることなし
とてもよい心の学びを得て下山しました。
帰り際雨が降りましたが、突然雲が割れて夕日が一条の光となって私を射してきました。
久しぶりの対面に黄泉の国の父も喜んでくれたでしょうか?
なにかとても印象深い今年の墓参りとなりました。
先祖の供養は大事な行でありまが、遠方の墓所にはなかなか行くことも出来ません。
いつもなら元気な母が墓参りをしていてくれましたが、今年は母が病気療養中でもあり成り代っての墓参です。
久しぶりに寺の住職とお話する機会を得ました。
曹洞宗の古い禅寺で静かなたたずまいのなか、お茶をいただきながら「行持道環」の話に花が咲きました。
まことに静かな心穏やかなときが過ぎ、最後に住職に円相についての禅の哲学を聞いてみました。
住職とこのようなお話が出来たのもありがたいことです。特にこの言葉がこころに響きます。
まどかなることたいきょに同じ欠くることなく余ることなし
とてもよい心の学びを得て下山しました。
帰り際雨が降りましたが、突然雲が割れて夕日が一条の光となって私を射してきました。
久しぶりの対面に黄泉の国の父も喜んでくれたでしょうか?
なにかとても印象深い今年の墓参りとなりました。