古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「あの戦争」のことではいまも心が波立ちます。

2015年08月18日 04時10分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 日本が戦争に負けたときぼくは7歳でしたし、山陰の片田舎に住んでいましたから、空襲で逃げまどったり身内を戦争で失ったりしたわけではありません。でも戦争でズルいことをした人のことを知ると、いまも心が波立ちます。
 そんな「ズルいこと」をして、若者や一家の大黒柱を死に追いやり、敗戦後何の反省もなくのうのうと生きて、何のおとがめもなくて安楽に暮らしていいのか。そんなやりきれない気持ちになります。
 岩波新書の『アジア・太平洋戦争』(吉田裕 著)から引用します。


 召集逃れ …… 国民の兵役負担の平等性という建前を根底からくつがえす、情実による召集の延期という事態が実際にあったことも指摘しておく必要があるだろう。  (中略)  召集の事務を担当する連隊区司令部の職員への「金品贈与」によって、「召集原簿となるべき在郷軍人名簿の綴中より本人の名簿の抽出破棄、或は在郷軍人名簿に戦時召集延期者或は兵役に堪えざる疾病者としての指定記入等の方法を以って召集死角者を造り」出すことも行われた。(文献名が記されてる)  (中略)
 注目したいのは、連隊区司令部には、夫や息子の召集の取り消しを求める女たちの姿が常にあったことである。(文献名) すべての女性が男たちの出征をあらがうことのできない運命として受け入れていたわけではなかったことを、この事実は教えている。


(負け戦がつづき)戦局は急速に悪化したとはいえ、政府と軍部による徹底した情報統制によって、一般の国民は戦局の正確な実相を知りえなかった。 (中略)  それでも、ガダルカナル島を中心とした南太平洋方面の戦死者が公表されると、宮城、福島、新潟など、戦死者の出身県には衝撃が走った。  (中略)   (そこで戦意高揚のため)戦死者の公表に際して検閲当局は、国民が戦死者の総数を知ることができないよう、戦死者名の公表を、「当該(地方)新聞の直接関係ある地方の戦死者名のみに止めること」などの措置を講じていた。


(アッツ島で負けたとき)翌30日の大本営発表は、守備隊の全滅を報じたが、その中では、「爾後通信全く杜絶、全員玉砕せるものと認む」という形で、初めて「玉砕」という表現を使用した。「玉砕」とは、玉が美しく砕けるように、最後まで戦っていさぎよく死ぬことの意味であり、この日のラジオ放送では、大本営陸軍報道部の谷萩那華雄少将が、「守備せる全員悉く玉砕し、かくてアッツ島は皇軍の神髄発揮の聖地として永遠に歴史の上に記されることになりました」と絶叫した。以後、孤島の守備隊が全滅するたびに、凄惨な戦場の現実を隠蔽する玉砕キャンペーンが展開されることになる。
 その後、マキン島・タワラ島の守備隊全滅を報じた大本営発表では「全員玉砕せり」の表現が使われたものの、クェゼリン島・ルオット島の守備隊全滅の報道では「全員壮烈なる戦死を遂げたり」の表現に変わり、以後、「玉砕」の2文字は基本的に使われなくなる。
 この政策変更は、「玉砕」という表現が、逆に日本軍の無力さを国民に印象づける結果になるという判断に基づいていると考えられる。 


コメント
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