古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

介護の勉強中です。

2015年08月07日 00時49分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                      
 きのうは午前中汗だくになりながら裏の小屋で、写真のような座椅子をつくりました。余っていた塗装コンパネと木材の切れ端をつかった頑丈な座椅子です。
 母・妙子さんはいま、車イスに座らせて食事を食べさせています。ベッドに座るとだんだん体が傾いて寝てしまいますので。でも車イスに座らせるにはこちらが腰を入れて立ち上がらせなくてはなりません。抱き起してベッドに座らせ、後ろに座椅子を置いて体を支えてはどうか。というわけで座椅子を作ったのです。でも強度の関係でどうしても下の板が必要ですし、実際に使ってみたらうまくいきませんでした。やはり車イスに座らせて、こちらが食べさせることにします。
 介護でもう一つの問題は排泄です。
 おそらくどなたでも、力が残っておれば自分で便所に行こうとします。便所に行こうとして転んで、大腿骨(頸部)骨折 ⇒ 入院 ⇒ 手術 ⇒ リハビリ ⇒ 「歩行器生活」 または 「寝たきりになる」 というのはよく聞く話です。母も転びますが「骨粗しょう症」でないので打ち身だけで済んでいます。
 でも便所に行く力は衰えました。ベッドから60センチのところが「押入れを開けると水洗トイレだった」というドアなのですが(家を建てるとき母の要望を入れてそうしました)そのトイレに行く途中で転びます。行くのが間に合わないときもあります。
 汚れたら自分で処理しようとしてかえって汚れが広がることがあります。何度かそういうことがありました。いまのオムツパンツは優秀なので意識を切り替えられたらいいのですが、これがとてもむずかしい。
「自分で衣服を脱げないようにしたい」と介護用品を調べたら「つなぎの寝間着」がいろいろあります。自分で脱いでしまう人がいるのでしょう。朝アマゾンに注文したら夕方には届き、夜中に着せ替えました。これでうまくいくでしょうか。
 
 介護のことを書いてすみませんが、ぼくたち高齢者はいずれ避けて通れない問題です。「便所で排泄する」という意識がいかにしぶとく、根強いか。どうしたらその「便所で排泄する意識」を手放して、(介護する人が)気持ちよく介護できるような被介護者になれるか。
 いままで「PPK」と気安く書いてきましたが、そんなに簡単にコロッと死ねるものではない。自分が食事や排泄の世話になるときはかならずくるでしょう。
 傍(はた)から見ると無理でも、本人は「できる」と思い込み「やろう!」をいう強い意志を持っています。そして無理にでも「やります」。そして「失敗します」。その意識は実に頑強です。
 いちばんのしあわせは、「便所で排泄する」意識を手放し、介護してもらう人に「心から感謝して」(愛をあげて愛をもらって)、できるだけの協力に残る体力をつかうことです。
 母を介護しながら自分の意識をトレーニングして鍛えます。
コメント
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