古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

吉村昭の随筆『わたしの流儀』

2021年04月13日 20時13分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 藤沢周平/城山三郎/吉村昭/は小説家で、3人とも昭和2年に生まれている。敗戦の年は18歳だ。あの戦争をどのようにくぐってきたか。
 城山三郎は熱血少年だった。海軍・予科練に志願した。「志願してくる馬鹿がいる」と先輩にさんざん殴られた。敗戦後、彼は「廃墟となって生きた」と書いている。その文をみてから城山三郎の本を読むようになった。それまでは「経済小説を書く人」と思って敬遠していた。
 吉村昭は『戦艦武蔵』などの大作を書いている。彼は軍人や戦争のことを書く小説家と思って敬遠していた。
70代になってから、大型活字本を図書館で借りて読むようになり、吉村昭の『破獄』を読んだ。文の力に圧倒され、引き込まれた。
 彼は、自分で調べ、事実に足をつけて大地から生えたように立っている。「彼ほど史実にこだわる作家は今後現れないだろう」(文芸評論家・磯田光一)という。図書館で借りる本に、吉村昭の本を加えるようになった。
『わたしの流儀』は吉村昭の小随筆集である。彼の文は実感の重さがある。一字/一文/もすべらないで、食い込んでくる。117編の小随筆集を数日かけてぽつりぽつりと読んだ。味がある。おもしろかった。短いので一篇だけ紹介します。

                 美人
 新聞記事にも、歳月の流れで移り変わりがあるようだ。
 夫が妻を殺害した。一家心中があったなどという出来事に、現在では新聞にその原因がはっきりと書かれている。が、以前は、それらの出来事の内容を記した後に、
「複雑な事情があるらしい」
 と、むすばれているのが常であった。
 この文章は、なかなか味わいがある。そうだろうな、複雑な事情があったのだろうな、と読者はあれこれと想像する。はっきりとした原因が書かれていなくても、読者はそれで納得するのである。
 終戦前の新聞では、美人という表現が多用されていた。
 たとえば、美人の人妻自殺、美人女給殺さる、といったたぐいである。事件に関与した女性は、新聞紙上ではおおむね美人で、それは読者の関心をひく常とう手段であったのだろう。
 年配の新聞記者からきいた話だが、「美人の首なし死体発見」という見出しの記事もあったという。首から上方がなくて、なぜ美人とわかるのか。
 それでも読者からは、別に抗議もなかったという。
 なんとなくほほえましい話である。「複雑な事情があるらしい」というような、物事を割りきらぬおおらかさも必要である。

 何がいいたいか不明だけど、なんとなくあじがある。

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