古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

今年の土手焼きは近くで見ました。

2012年01月30日 02時55分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 孫たちが来て、寒いから畑には行かず裏山で焚き火をしました。まずたきぎ拾い。燃やすものは山ほどありますが、竹ははじけるので枯れ枝を集めました。次におじいちゃんに教えてもらって、ノコギリで長い枯れ枝を切ります。萌ちゃんも大志くんも上手にノコギリで切れるようになりました。そこへママたちがサツマイモを持ってきて焼き芋。おじいちゃんのところではふつうのことですが、街にいたのではなかなか体験できません。
 孫たちが帰ったので散歩に出掛けました。きょうは村の土手焼きです。佐の広池の土手でも、竹に油にひたした布を巻いて待機しておられました。近くで見ようとぼくらも待っていると、村の消防団の人が軽トラにポンプを積んで来ました。火をつける前に、池から水を吸い上げて延焼しないように横の笹薮にかけます。
 写真は池の下の休耕田が燃えているところです。数日前の雨でそんなに燃えやすい状態ではありませんでしたが、風にあおられてかなりの勢いでした。孫たちにも見せたかったな。
 先日タマネギの追肥をしましたが、道子さんが「12月はタマネギに追肥をやらなかった気がする」といいます。ぼくも「どうだったかな」と記憶がありません。というか、追肥をしたかどうか考える手がかりが消えています。若いうちは「どうだったか」と記憶をたどっていくうちに「ああ、やったやった」とか「やらなかった」という確信にたどり着くものです。しかし75歳近くなると12月を振り返っても「城崎に蟹食いに行った」ことくらいしか思い出せません。山道で「何か落としたようだからちょっと戻ってみよう」と振り返ったら、歩いてきた道が消えているようなものです。
「年寄りの『ものわすれ』だから仕方がない」とやりすごしたらいいでしょうか。過去が消えていく。その奇妙な浮遊感と、これからどう付き合えばいいのでしょうか。
 
 
コメント
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