浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2023-09-15 01:07:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


              第一章 或る愚か者の生涯

              ◆念力から祈りへの転換◆

先の続き・・・

ところが、無事帰還した兄は自分が運がよかったんだと、
六年間の祈りなどすべて知らなかったために、
なんとも言えぬ淋しさを味わったものです。
結局、幼い六年の経験を通じて私が学んだことは、
「祈りは人のため」という一事でした。
つまり、相手が喜んでも喜ばなくても、
ただその人のために祈るということです。
愛の祈りであれば、神様に聞いていただけます。
我が事に関して祈れば、そこに必ず自我の欲望が
入ってくるスキが生じます。
そして、いつしか祈りというよりも念力でもって
願望を成就させようということになりかねません。
しかし、大切なのは神様の御心を自分の生活に
現わしていくということでなくてはなりません。

これは現在でも私の神癒の根底に生きていると思います。
でなければ、奇蹟的な治癒が起きるわけがありません。
神は真の祈りに感応して力をお与えになるからです。
念力で願望を成就しても、決して幸せにはなれません。
愛のまごころとは、すべてを神様に託していくという、
神の子としての素直さということにもつながります。
祈りが純粋なほど、自我がなく無私であるほど、
天の神様は聞き届けてくださいます。

みんなが念力を使って自分の思いどおりになどしようとしたら、
この社会は念力合戦みたいなことになり、
不調和になってしまいます。
やはり、自分を忘れて他を活かすという精神こそが美しく、
尊いまことの祈り、
真祈りに通じるものだと言えましょう。
己を忘れて他を利する。
これが神の御心だと思います。

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